見出し画像

4/24 霧の向こうにいる神様

久しぶりに歩いて山の中に入り、お世話になりたい神様の元へ挨拶に行った。南京から来た友人は仕切りに「お金って日本語でなんていうの?」と聞き「お金、お願いします」と繰り返し唱えながら山道を闊歩する。
霧雨が降るとこの街は一層の潤いを見せてくれる。周囲に聳え立つ住居を見て歩くだけでなんだか趣があり、預金残高を無視すれば自分もその一員になったかのような錯覚に陥れる素敵な山道だ。私は良き仕事の縁と、尋ねてくれた友人の繁栄を祈ると言うと「自分の分は自分で祈れば良いの、私のことは祈らなくて平気だから」と念を押された。彼女は良い意味で祖母を思い出させる。中華料理屋で隣の席になったカップルが、昼のランチメニューについてくるスープが品切れになったと伝えられているのをみると迷わずに自分の分のお椀を差し出し「まだ手つけてないから、どうぞどうぞ」と渡そうとする祖母。商売をする家に生まれ、勉強はまな板の上でやったという祖母。自分の矜持に対して信心深い人。私が家族の中で最も似ていると言われる人。
南京から来た友人は写真を撮ることも好きだ。これまではビザのために料理人として頑張ってきたが、もう2度とキッチンには立ちたくないと笑いながら話す彼女は、ニュージーランドのパスポートを取るそうだ。中国も二つのパスポートを許してくれないので、彼女は自分の自由と移動のために国籍を変える。私は日本で、永住権を取った人が税金の未払いという実にくだらない理由で永住権を取り上げられる可能性があることに憤りを感じた。多分大概の人にとっては、取るにに足らない些細なこととして取り上げられないのかもしれないが、当人からしたら人生が大きく変わる大問題だ。税金は払える人が多く払えば良いし、税金を払い終わって雀の涙より少ない分しか残らないような給与形態にそもそもの問題がある。以前話した「いじわるなベンチ」と同様、見たくないものに蓋をするどころかそこから追いやる作戦は、誰に対しても起こりうる問題を先延ばしにしているだけだし、なんの解決策にもなっていない。にもかかわらずそこにお金をかけていることに心の底から落胆するし、恥ずかしいなと感じる。こういうときはとりあえず署名をして、その後にできることを考える。


昨日はずっと雨の中をぐるぐると歩き、歩き疲れて午後は家でゆったり過ごした。昼からお風呂を沸かすのは良いし、ビールを買って冷やすのも良い。「中国にこんなに大きなカラスはいないし、彼らはなぜあんなに大きな声で鳴くのだろう」と言いながら、しきりにカラスの声真似をしていた。中国のカラスはどんな声で泣くのだろう。確かにニュージーランドにもカラスはいなかったし、台湾やタイにもいなかった。鳩は世界中のどこに行ってもいるけれど、カラスにはカラスの事情があるらしい。

うちに大きな木がやってきた。キャベッジツリーと呼ばれるニュージーランド原産の木で、頭だけみると椰子の木のように見えないこともない。まだ背は低いが、頭の部分だけでも随分と面積を取る木だ。どんな場所でも雪さえ積もらなければのびのびと育つらしく、ひとまずベランダに出しておくことにする。龍のヒゲにも見える草の部分がこれからどんどん伸びて、背丈だってあっという間に私を追い越してくれれば良いなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?