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4/20 風の吹かない港に住むこと

まだ真っ暗な朝日の登る前に目が覚めると、自分一人だけが違う惑星に飛ばされてきたかのような静けさに愛おしさを覚える。文章を書くなら圧倒的に朝方が冴える。自分の中にまだない手触りと情景が降りてきてくれて、ひとつずつ完成させるごとに見たことのないものがやってきてくれる。
冷蔵庫が絶え間なく振動する音、遠くで目が覚めたカラスの鳴き声、家の脇を通るタクシー、大型トラックが交差点を曲がらず真っ直ぐに進むエンジン音。1日の始まりがどんな天気なのか、天気予報を見る前からわかるような感覚。部屋の中のジャスミンに水をやるのは日が出てからの方が良さそう。

私は元気が有り余っている時、家の間取り図を見たり引っ越す予定もないのに内見に行くのが好きだ。不動産をやる人からするとはた迷惑かもしれないが、モデルルームのような家よりも人がそこに住み優しく手入れされたような痕を見ていると気持ちがすっと癒されてくる。昨日見た家はまさにそんな感じで、ウッドデッキや裏手に見える竹藪の景色、ピカピカに磨かれたよく使われているキッチンと、木目がよく見える階段の質感が大変居心地の良い空間だった。そこは家主が売主であるパターンの物件で、立地といい価格帯といいすぐにでも売れてしまいそうな一軒家だった。家を買いたいというよりも、安寧が確保された空間を手に入れたい、のような羨望で後にする。私が不動産屋をやっていたら、こんな冷やかしのような客は除外したいだろうが、丁寧に住われた家の中はいるだけで癒されるのでやめられない。庭に咲く大きなアカシアの木に歓迎されながら、こんな所に毎日帰ることができたら、心置きなく旅を続けることができるのだろうな、というような気持ちになった。旅に出たらこの住所宛に手紙を書き、たくさんの荷物とともに履きなれたスリッパが待っていてくれる玄関。家の中に暖炉があるのも珍しかった。投資目的で買われた賃貸向けの物件とは違う、自分たちで住み良い空間にするために最善を尽くされた環境。でもこんなに居心地のいい場所にいたら、もう旅をすることをやめてしまうのかもしれない。今まで住んだ数々の家を思い出しながら、その度にいい所を見つけて都にする努力をしてきただろうか、と回顧する。大学を出て初めて借りたのは親友と住むルームシェア用の家だった。今思うと破格に安く、駅からは歩くけれど使いやすいスーパーも近くにある閑静な住宅街にあるマンションだった。私は新しく自転車を買い、春には近くの巨大な公園で開かれるフリーマーケットに行き、玄関に置くための大きな鏡を買った。パイナップルで縁取られたあの鏡の前で撮った写真を今でもしげしげと眺めて、なんて自由を象徴する写真なんだろう、と嘆息を漏らす。私はルームシェアで住んでいたあの頃の家にいたときのことを、この先も時折大切な記憶として思い出しながら生きていくんだろう。私の部屋はベランダのある和室で、いつも片付けられることなく物が乱雑に置かれ姿見の前で座って化粧をしたり髪の毛を乾かしていたことを思い出す。死ぬ前の走馬灯は、まだカーテンのないあの部屋からの朝焼けの色かもしれない。
あのフリーマーケットで買った、ポール・スチュワートの春色のトレンチコートは、まだ私のワードローブの中にある。

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