【スマブラSP】1ミリも上手くならない勇者考察

スマブラの勇者に対して、
皆様はどんな感想をお持ちだろう。

運ゲー野郎?
ぶっ壊しキャラ?
ワンチャンお祭り男?
(ドラクエがスマブラに参戦するなんて言ったら子供のころ馬鹿にされたけど正しかったのおれじゃねーか?)

ラリホーからの会心、ザキによる低パー即死、下Bガチャ。

少なくとも好んでスマブラ1on1をやるようなストイックな皆様にとって、
勇者の運がからむこれらの仕様に否定的な思いをお持ちの方も多いのではないかと推測している。
正直実装当初は勇者がなんでこういう仕様なのか疑問だったのだが、
最近はスマブラ勇者は極めて高度な「ドラクエ勇者」の再現である
という気がしてきたので、その点を考察してみる。
桜井さんマジ天才。

まず、スマブラは一部のボスを除いてオリジナルキャラが存在せず、すべてのキャラクターに原作となるゲームが存在する。
任天堂が育んできたブランドを体現するようなキャラだったり、各社を代表するようなキャラだったり。
とにかく色んなキャラが登場するスマブラにおいて「個性」というものは最重要であり、その「個性」は基本的に原作準拠で作られている。

その原作要素は主に以下二つに分けられると考えている。

①原作の特徴的な動き、必殺技等
②原作の「システム」、「ゲーム性」

①原作の特徴的な動き、必殺技等

これはかなり多くのキャラが当てはまるし、
普通に他ゲームのキャラをゲスト主演させるとしたらまあそうなるよね、
っていうキャラの作り方である。
マリオ、カービィ、サムスなんかは原作がアクションゲームであることもあり、
結構そのままの動きでスマブラに出しても違和感のないキャラである。
もちろん色々な要素がスマブラ用の動きにカスタマイズされてはいるものの、
基本的に原作からイメージされる動きに忠実に作られているのがこのパターンである。
9割くらいのキャラはこういう視点でキャラが作られていると思われる。
(CFは知らん)

②原作の「システム」「ゲーム性」をスマブラに取り入れる

こういう方向性で本格的にキャラを作り出したのは割と最近な気がする。
(何かの記事でマルスの下BはFEの「待って反撃する」というゲーム性を反映したかった、というのを読んだ気がするので、初出はマルスかもしれない)
そんなに多くのキャラに当てはまるわけでない。

というか、
まったく違うゲームのゲーム性をアクションゲームであるスマブラ上で再現する、
っていう発想が頭おかしい。(褒め言葉

わかりやすいのはリュウ、ケン、テリー
格闘ゲームのコマンド入力により必殺技がでるという「システム」や、
飛び込み攻撃から地上コンボを繋げて火力をとるという「ゲーム性」もスマブラで再現されている。
この辺は多少システムが違えど、大きなくくりで言えばスマブラも格闘ゲームに近いため、まあ格ゲー要素を取り入れるっていうのはわかる。

あとは意外かもしれないが、シモン、リヒター
攻撃範囲狭くてちょっとシフトミスったら空中攻撃が当たらないこいつを使っててある日ふと思った。
「なんか、昔のアクションゲームやってるみたい」
クロスや聖水等の武器を駆使しながらリーチはあるけども範囲は狭い鞭をペシペシする2Dアクションゲーム、それが昔の悪魔城ドラキュラ。
原作ゲームでのアクションがそのままスマブラで再現されているだけでなく、原作の「ゲーム性」まで再現されているのではないか。
そもそも2Dアクションはもともとスマブラっぽい面もあるから、近くなるのは必然なのかもしれないが、原作では基本飛び道具しかないロックマン、サムスなんかはやっぱり「スマブラ」のキャラだなあという気がする。

あとはインクリングなんかもインク塗ったら有利になる、っていう「ゲーム性」が再現されているし、ベヨネッタスティーブは言わずもがな。

多くの参戦キャラはだいたい上記の枠組みでキャラが作られており、
おそらく原作ファンも納得のかなりの完成度を誇っている。

めちゃくちゃ話がそれた気がするが、
勇者の話に戻る。

するとじゃあ勇者は何なの?って話になる。
もちろん原作要素満載の各種必殺技を持っているのだが、
腑に落ちないのが全キャラ中でもトップレベルのランダム要素となっている、下B、会心の一撃。

ドラクエあんまりやってない方は吹き出し出てきて呪文特技を選択できるだけで「原作再現してるじゃん」と思うかもしれないが、
ドラクエにおいて「選択」することは確かに重要なゲーム性だが、
「時間内に選択」することはドラクエのゲーム性ではない。
明確なターン性であり選択する時間は無限にあるのがドラクエである。
一方スマブラにおいては悠長に呪文なんかを選択している時間などなく、
一瞬の判断で「時間内に選択」することが求められる。
これはむしろFFのATBシステムのゲーム性に近い。
だから決して原作再現のためにこのような仕様になっているわけではない、のだと思う。

じゃあ何なのかというと、
それは
「勇者って何?」
っていう根本的な問題に対する回答だというのが僕の結論だ。

勇者って何?
この問に答えることは難しい。
近年の勇者関連のコンテンツを見ていると、おそらく
・魔王と戦う
・世界を平和にする
・強い
くらいの共通認識がある気がするが、
そもそもこれは完全にドラクエにより広まったと思われる認識である。
だいたいの勇者が剣盾をもって、ティアラのような頭飾りをしているのはドラクエ3の主人公のデザインそのものであるし、
勇者が魔王と戦うという設定もドラクエから始まった設定だと思われる。

勇者というのは一体何者なのか、
その答えはドラクエに求めるしかないのだが、
それが一筋縄ではいかない。

1~11のすべてに勇者が登場するが、
ある作品では伝説の勇者の血統であったり、
ある作品ではただの一つの職業でしかなかったり、
ある作品では天界人の末裔で合ったり、
ある作品では勇者についての言及が何もなかったり。

結局ドラクエを全部プレイしても、
「勇者」が何なのか答えが出ないどころか、
ますます「勇者」の海にはまるだけのではないかと思われる。

さらに厄介なことに、
スマブラには特定の作品の勇者ではなく、
キャラ設定、世界観、使用技、
何もかもが異なる4作品の主人公が参戦している。
これら4人のキャラが同じモーション、同じ技を使ってもまったく違和感がなく、
そしてスマブラとして成立する、
そんな「勇者」というキャラを作らなければならない。

なんかすごく無理ゲーな気がするのだが、
おそらく天才桜井さんは勇者というキャラをこういう風に定義した。

「勇者は、人々に希望を与える存在である」

「え、それだけ?」と思うかもしれないが、
こういう風に考えるとスマブラのキャラが腑に落ちてくる。

ドラクエの勇者は、
どの作品においても魔王と戦い世界に平和をもたらす存在である。
細かい設定は違えど、この点は全主人公に共通する。
逆に言うとこれくらいしか共通点がない。

そこでこの共通点を抽象化し、
よりスマブラで再現しやすい形に解釈し直したのが上記である。

「勇者は魔王を倒し、世界を救う。」
これだけではスマブラにおいてはガノン絶対倒すマンにしかならないが、
「勇者は魔王を倒し、世界を救う、と人々に希望を与える存在である。
と定義すれば、勇者のランダム要素は人々の希望の体現となる。

「ここで横スマ会心あてたらワンチャンあるぞ…」
「たのむルール出て」
「マホカンタはよ」
「よし崖だ、マダンテこい」
「ザラキ!(○ね!)」

勇者を使っていると少なからずこのような心の声が発せられていると思うのだが、
これは単に運ゲーの確率の偏りに期待しているのではなく、
勇者という存在に希望を与えられているのだ。

ドラクエ世界の人々は勇者に期待し、
世界を救ってくれると信じている。
その希望を一身に受けて、勇者は戦う。

「勇者ならまだいける!」

そう思えることが、
何よりの勇者の原作再現なのだ。

これは原作の「ゲーム性」、「システム」を超えたメタ的な原作再現であり、
より高次元での原作再現、と言えるのではなかろうか。

もちろんこれは僕の妄想で、
どういう理由で勇者がこういう性能になったのかは製作者にしかわからない。
だがこのATBに近い下BがFFのクラウドではなく、
ドラクエ勇者に採用されている理由を考えると、
あながち間違っているとは言えないのではなかろうか。
(作成時期が違うので、
クラウド作成時にはアイデアがなかっただけ、
ということも考えられるが…)

だから勇者にラリホーためる会心をくらって負けたとしても、
キレてコントローラをぶん投げる前に少し思い出してほしい。

勇者の会心の一撃には、人々の希望が詰まっていたのだと…。

あなたも勇者の奇跡を信じてみてはいかがだろうか。

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