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カプセル

お母さんが仕事で毎晩家を空けるので、学校から帰ってご飯を食べ終わる時間が苦痛だった。

自分でお皿を洗って明日の分のお米を研ぐ。その間にお母さんは鏡の前で化粧をしたり派手な服に着替えたりしている。

夕暮れが近づくと人は本能的に物悲しくなるものだ。獣に襲われる心配があった太古の名残りらしいけど、現代人も一人でいるのが心細くて灯りのある場所に集まるのだろう。

お母さんが仕事に出ると、電気を消してしんと静まり返った部屋に一人きりになる。怖がりの私はそれが嫌で仕方なかった。

けれど誰もまともに話を聞いてくれることはなかった。「さみしい」と言えば「さみしいなんて言うな」と言われ、消えてしまおうとしたら「二度とするな」とだけ言われた。

何も言わず、とにかくそこに居て、外ではお利口にしていて欲しい。それがお母さんの願いだった。

家という暗くて冷たいカプセルの中に入っていたら、とうとう暗くて冷たい人間になった。

ずるいと思うのは、お母さんが歳をとったこと。お母さんの背中が小さく見えて「あの時はさみしかった」なんて言えなくなった。

お母さんは心臓が悪くなってペースメーカーをつけた。そのせいで大動脈瘤が大きくなったけど手術は出来なかった。憩室炎でICUに入り人工肛門になった。最後は肺気腫から肺腺がんになり、眠るように亡くなった。

元々体が丈夫ではないけれど、なんでこんなに病気になるんだろうと思った。私は自分の小さい頃を思い出してハッとした。

本心では気にかけて欲しいのに言葉に出せない時、多くは体に症状が出るものだ。私は小学生の頃よく具合が悪くなって夜中に吐いた。するとお母さんが仕事先から飛んで帰ってくるので嬉しかったものだ。

歳をとったお母さんは、子ども返りをしていたのではないか。私が二十歳で家を出て以来、お母さんとは微妙な距離感を保っていた。親戚に「なんで一緒に住まないんだ」と言われてムカついたことを覚えている。

誰も私の気持ちを聞こうとしない。そのことがどれだけ辛かったか。私は最後までお母さんを見捨てなかった。それで十分ではないのか。

同様に離別したお父さんのことも看取った。あれから数年経ったけれど、まだ力が抜けて放心しているのかも知れない。

空っぽになった心を埋めるように何かに没頭する。なるべく自分を傷つけないものを選ぶようになったことだけは成長と言える。

カプセルからやっと出られた私は、自分の足で歩き始めた。それでもまだ「さみしい」という言葉は、灯りを探して孤独な夜にさまよっているみたいだ。

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