KANさーん。

やっと筆をとりました。

KANさんの訃報を聞いたのは、
金曜の夜FM802を聞いていて、
KANさんについて詳しく語ってるなぁ。 
と。
末尾に
「ご冥福をお祈りします」
で、
「わーん。」と泣いた。
手放しで、本当に
「わーん」と泣いた。
すぐポストしたのが、
「お会いしたかった」でした。

その後、翌日までFM802では、各番で、KANさんについて語られで、曲が流されてその度に泣いていた。

KANさんが、メッヘル憩室癌と発表されたのが、3月。
ラジオだけは、続けると云う事で、
でも、休みながら、やっていた。

先月だったかは、フランスだったか海外に行かれて。
「KANさん,ラジオやってよ」
などと思っていたが、
もう覚悟を決めてたんですね。


KANさんは、私の理想の結婚相手です。
♪永遠♪という曲に、
「KANさんみないな人と結婚します。」
と誓ったのだ。

飄々として、ひょうきんで、
物を大切にして、車、鞄など、直しながら使って、
いつもアイビールックでキチンとしてて、
自宅では、ヨレヨレのパンツに、靴下はかかとを出して履いて。

何よりも、こんなふうに愛されたら、幸せだろうな。
恋がれて求められて結婚された奥さんは、幸せだろうなぁ。
こんな旦那さんがいい。


私がYouTubeの動画で、
♪ポップミュージック♪を歌いながら踊ったのも、
♪エキストラ♪を必死でコピーして、
弾き語ったのも、
「KANさん。私すごいでしょう」
と、褒めて欲しかったから、やったのだ。

最接近したのが、ラジオの公開生放送。
ガラス越し1m。
小さくて、アイビールックで、大切に使ってる革の鞄を拝見できた。

ラジオでも、メッセージが読まれた。

アルバムも全部持ってる。

海外に行くと、ワールドダジャレフォトを撮り。現地の大学のオリジナルTシャツを買う。

LIVEは、笑わせておいて、バラードで、泣かせる。

遺影は、宣材写真の夏目漱石で。
還暦に写真館で撮った振り袖姿の写真を本当は等身大パネルにして、葬儀場の入り口に飾りたかったそうですが、間に合わなかったそうです。

誰にでも、最初の1音で、和音で、ジーン、キャーとなる曲があると思う。
それが♪永遠♪なのです。
私が世界一好きな曲でした。 

ピアノの先生が♪永遠♪を私のレベルにアレンジして下さった。私が初めてポップスを弾いた曲です。

新曲が、聴けない事も、
LIVEに行けない事も、
お会いする事が叶わない事も、
悲しい、辛い。

1曲1曲が、KANさんと結んだ約束の思い出で。
その思いが崩れてしまうようで、
悲しい、辛い。

去年7月、私も検査した時、
メッヘル憩室が、できかけていた。
「KANさんと一緒♡」と思った。
メッヘル憩室が、できる人も珍しく、
そこに癌ができる事も珍しい。
そのために発見が遅れた。

父と同い年で亡くなった。
私も、あと9年で61才。

母を悲しませたくないから、
生きていた。
けど、母にも長生きして欲しいし、
私も、もっと生きたいと、
思えるようになった。
そう思う年齢になったんだね。

夢も希望も失ったわけでない。
これから、どんな辛いことが、たくさんあろうとも、
自分を信じて輝けると、
自分の幸福を願っていこうと、
思うのです。

大丈夫。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?