サンドイッチと紅い口紅

「サンドイッチほど冷遇された食べ物ないはずだろ」

 「そう?」

 「だって映画でよくルームサービスなんかで頼むだろ」

 「そうかしら」

 「その時に大体、いらないとか、だべたくない、とか言われているよ」

 「そんな映画観たことないわ」

 「君は映画をあまり観ないからね」

 「あなたが観すぎるのよ」

 「他に何もすることがないからね」

 「無趣味な人」

 「君だって」

 「私はあるわ」

 「君はサンドイッチでは何が挟まっているのが好きだい」

 「その話、もう飽きたわ」

 「君が飽きたら話題を変えるということをするのは君のことを好きな男が す る事だ。」

 「飽きたわ」

 「煙草を吸うんじゃない」

 「だってあなたの話つまんないもの」 

 「いつ変えたんだ、その口紅」

 「昨日」

 「かなり紅いね」

 「紅いのがすきなの」

 「初めて聴いたよ。そんなこと」

 「初めて言ったのも」

 「はぁ~」

 「あなたこそ、黒が好きなの」

 「どうして」

 「だっていつも黒じゃない。ジャケットもパンツも。おまけにサングラスまで」

 「紅いサングラスがあったら観てみたいね」

 「そういうところ嫌いよ」

 「僕は愛しているよ」

 「ばかね」

 「インド人は全員右利きと思っていた君よりましだよ」

 「誰だって最初はそう思うわ」

 「思わないね。少なくとも僕は」

 「あなたは誰だっての中に入っていないわ」

 「悲しいね。何年も連れ添った夫が誰だってのなかにはいっていないとは」

 「何年もではないわ。何十年よ」

 「たしかに」

 「さぁ。はやくサインをして」

 「チェックアウトまではまだ時間があるよ」

 「2時間もあなたといられるほど我慢強くないの」

 「何十年も一緒にいたのを思えば一瞬だろ」

 「あれは仕事だったから」

 「これは」

 「私のプライベートな時間よ。何十年ぶりのね」

 「貴重な時間だね」

 「そう。だから無駄話はあまりしたくないの」

 「君のあまりは、余りに長いね。もう4時間も一緒にいる」

 「それはあなたが射精しないからよ」

 「しかたがないさ、そういう身体なんだ」

 「さぁ早くサインして」 

 「そんなにせかさないでくれよ。ここはモノをかける場所じゃない」 

 「そっちのサイドテーブルをつかえば」

 「なるほど。それにしたって照明が紅すぎる」

 「ごちゃごちゃ言って時間をかせがないで」

 「まるで上海か台湾の夜店のようじゃないか」

 「行ったことないわ」

 「僕もさ」

 「あなた、どうしてこんな場所を選んだの」

 「ここで会えば君ともう一度やりなおせるかなって」

 「無理よ」

 「どうして」

 「私、この後彼と会うの」

 「それはまた残酷なフレーズだね」

 「そして指輪を買うの」

 「あのカルティエで」 

 「違うわ。カルティエは彼の趣味じゃないの」

 「へぇ。彼の趣味の指輪を買ってもらうなんて、まるで子どものカップルじゃないか」

 「尽くしたい。そう思うの」

 「僕の時は候補の店のカタログをずっと飽きもせずそれこそ四六時中」

 「ねぇ、もう終わった話よ。それに若かったの私たち」

 「もうお互い50を過ぎたからね」

 「そう。もうそんなカタログを見る体力ないわ」

 「相手の男はいくつだい」

 「私の半分よ」 

 「若い燕」

 「古い言葉ね」

 「紅い口紅はその燕の趣味かい」

 「いいえ。私の」

 「いい色だ」

 「ありがと」

 「愛していたよ」

 「私もよ」

 「ほら、サインを描いた。これで僕らは他人だ」

 「ありがと」

 「最後に、キスしてくれないか」

 「どうして」

 「君の事は忘れる。だけれど君の口紅の色は忘れたくないんだ」

 「そう」

 「あぁ」

 「なら、あげるわ。これもうすぐきれるところだったの」

 「つれないね」

 「好きな色を、嫌いな男に残したくないの」

 「だろうね。だけど君が食べたサンドイッチにはきっとその口紅がつくだろうね」

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