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積石考

趣味の関係で水辺に行くことが多い。河原の小石を調査することもある。河原の石の状態で、川の様子を推測したりもする。
そんな中で、よく見かけるのが積石。河原で見ないことは殆どないぐらい見かける。──人は何故、石を積んでしまうのか。

積石というと、真っ先に思い浮かべるのは三途の川、賽の河原のお話ではなかろうか。親より先に亡くなったこどもが行き着くところがこの世とあの世の境目とされる三途の川のほとりにある賽の河原。そこで親を想い石を積むが、絶えず鬼がやってきて無情にも崩してしまう。最終的には地蔵菩薩が現れて救ってくださるんでしたっけ。

この賽の河原で積んでる石は、仏塔としての積石と解釈されてますね。石を積む=仏塔を作る、その功徳で地蔵菩薩が三途の川を渡らせてくれるのだとか。

石を積む目的を考えてみる。

願いを積む

仏塔として積まれてるものもあるかもしれませんね。賽の河原をイメージして積んでみただけなのかもしれませんけども。願掛けとしての積石であるかもしれません。パワースポットとして話題になったりする場所だと、石を積んだら願いが叶う!なんて話がどこかしらから出てきたりして、こぞって積んでいる光景もあるらしいです。
その目的は供養であったり、自分の願いであったり、いろいろありそうですが、何かを祈って積んでいく、という行為を思い浮かべます。

目印として積む

次に思ったのが、何らかの目印?、マーキング行為として積むこともあるかなーと。
山登りでも、ケルンと呼ばれる道標の如く石を積み上げるものがあるそうです。そういえば、ハイキングしたときに石積みしてるの見たことあるような?山頂あたりでよく見るのは登頂記念のケルンなのですね。

みたくなったから積む

は?て言われそうですが。ありません?衝動的に行動起こすことw
河原で沢山の石がある場所で何の気なしに小石を手にとって・・・積んでみた、的なノリ。あると思うんだよな~、私が手癖悪いだけかしらw


ここで、なんとなく積石の進化のストーリーを思い描いた。

最初はただ石を積んだだけだったかもしれない。それが、想いが込められて、石塔となり。更に積まれたものが塚となり。その流れは、君主への沢山の想いを集めた集大成となって古墳となったのかなぁ、みたいな。

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保渡田八幡山古墳での儀式再現イベント

そんなことを思っていたら、古墳に行きたくなってきました(笑)。しばらく行けてないので、なんでも紐つけてしまう気がしなくもなくw


そういや、西の方に住んでいた頃は、神社の鳥居に石を投げて載せるってことを願掛けでやってたんですけど、東の地に来たら鳥居に石が載ってなくてびっくりしたのでした。
あなたの地元の神社では、石を載せる願掛け、やりますか?


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