見出し画像

争いの根源

やっと、一つわかってきた氣がする。

私たち人は、自分と他者を切り離して見てしまう。だから不安や怖れや悲しみを感じ、時にそれが怒りや憎しみに変わるとき、何かを守らなければと、奪い合い、争いあい、傷つけあってしまうのかもしれない。

私たちは分離した別々の存在なのだというものの見方が、すべての争いの発端なのかもしれない。

森の木々たちは、《私》と《あなた》が常につながりあっている。こうして交わりあって、分かちあいながら共に立っている。近くに居ても、遠くに居ても、深くつながって共に感じあっている。

本当は、私たち人も森の木々と同じなのだと思う。私たちの根っこは目には見えないけれど、《私とあなた》はつながっている。私たちは《意識》でつながっている。私たちの中の《心と心》でつながっている。

《私とあなた》は本来は別々の存在ではなく、生かしあい、共にここに在って、誰一人欠くことなく皆が大切な同じ存在。

その事を忘れて、この世界に分断をつくっているのは、私たち。

この世界を支配する誰かでもなく、私たち一人ひとりの自分と他者を切り離す意識がこの世界のシステムをつくり動かしているのかもしれない。

私があなたを傷つける事は、私が私自身を傷つけること。
私が私を大切にしない事は、私があなたを大切にしない事と同じ。

わかっているようで、わかってない。
頭ではわかっていても、肚の底からはわかっていない。

だから互いを傷つけ合う。
だからいつまでも誰かのせいにしてしまう。

そしていつまでも対立を生み続ける。

これが争いの根源なのではないだろうか?

平和をつくる為に必要なものは、Empathy 共感。
そして慈しみと愛、なのだと思う。

私が私をしっかり感じ、
その先の私であるあなたを感じることから。
そしてそこに愛と慈しみを注ぐことからなのだと思う。

《私とあなた》はつながっている。
《私とあなた》は常にひとつ。

この意識をもっともっと自分のものにしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?