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ラドゥ・ルプーの引退公演

4月17日。ラドゥ・ルプーがこの世を去ってからちょうど一年がたつ。

2019年6月21日、ルツェルンでの引退公演のことを思い出している。

もうこのシーズンで演奏はやめると本人から聞いていたので、2019年の年が明けた頃から、夏までにはヨーロッパに飛ばなければとずっと思っていた。
ところが2月はじめのパーヴォ・ヤルヴィ指揮フィルハーモニア管とのロンドン公演以降、体調不良でキャンセルが続く。6月初めのバレンボイム指揮ベルリン・フィルでは、旧友との共演だし、ここでは弾くのではないかと思っていたが、それもキャンセル。
残されたのは6月21日のルツェルン公演のみ。「ラドゥ・ルプーは語らない。」でスティーヴン・イッサーリスが書いているように、この公演は直前までルプーが舞台にあがるかどうかはわからなかったし、引退のことは公式には発表されていなかった。

なんとか日本の予定をやりくりして、ラドゥが実際演奏するかわからないけれど、ルツェルン行きの切符を手にした。
しかしなんてことか出発の前日の夜に、急にのどがイガイガしてきた。これはまずい、体力をつけなければと、渋谷の焼肉屋にひとりではいり、にんにくの丸焼きを食べたのを覚えている。
朝起きても、のどのイガイガは治らない、それでも体は元気だ。国際線の機内ではホットレモネードを何杯も飲んではビタミンCを補給し、蒸気の出るマスクもずっとしていたが、スイスに着いた時、のどのイガイガはさらにひどくなり、声がまったくでなくなっていた。

アーティストや周りの人に迷惑をかけてはいけないので、着いてすぐにルツェルン駅の病院に行き、検査をしてもらう。のどに細菌がついているとのことで、薬を処方してもらった。
マスクをすれば普通に行動をしても大丈夫とのことで、よかった、これで晴れてルプーさんが演奏してくれるのであれば、私は聴けることになる。ルプー夫妻もルツェルンには到着していたが、最後まで本当に弾いてくれるかどうか、祈るような気持ちだった。

リハーサルを終え、いよいよコンサートが始まる。
ルプー夫人のデリアさんが隣に座っていたが、デリアさんはルプーさんのことを愛し過ぎているので、開演前はいつもそわそわしている。今回はなおさらだろう。開演直前に「あぁ私はもう平常心で聞いていられるかしら」と言いながら立ち上がったので、私は持っていた龍角散のど飴を彼女に渡し、なんとか座ってくれたが、彼女は飴を口に入れた後も、まだずっとそわそわしていた。

イッサーリスとのシューマンの3つのロマンス、イッサーリス指揮ルツェルン響とのモーツァルトのピアノ協奏曲第23番 K.488、そしてアンコールのブラームス op.118-2を聴きながら、もうこのまま永遠に時間が止まればいいのにと思った。

私は終演後に楽屋にいき、ラドゥの顔を見た瞬間に涙が込み上げてきた。その時、譜めくりをしていたポニーテールの若いお嬢さんが、ラドゥに向かってにっこり笑い、かん高い声で「Happy retirement (引退おめでとう)!」といった。ラドゥはにっこりと笑い返した。
私はといえば泣きながら、もうラドゥの生が聴けなくなるなんて人生の終わりだと思っていたので、譜めくり嬢の言葉に「えーーーーーーーっ!」と心の中で叫び、床に崩れ落ちそうになった。今となってみれば、ステージでのプレッシャーから解放されたラドゥにとっては、ほっとした幸せな瞬間なのではなかったのかと思う。

私はいつも肝心な時に的確な言葉がみつからない。とくに大切な瞬間は心が高ぶって、自分の気持ちをうまく表現できない。なのでかえって声が出ていたら、とんちんかんなことを言ってしまったかもしれない。声がでなくてよかったと思っている。

ラドゥの目はいつもおだやかで優しい。その目を見ながら、私は精一杯、目で感謝の気持ちを伝えようとした。なんとなくわかってくれたような気がする。

コンサート後のディナー。左からルツェルン響のマネージャー、ラドゥ・ルプー、イッサーリス友人、スティーヴン・イッサーリス、デリア・ルプー、クリスティアン・テツラフ、板垣


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