[短編小説]小さな一歩
***
――どうしてこうなったんだろう。
高校の校庭にある小さな水道に潜み隠れるように、大きな体をぎゅっと縮こまらせながら、僕は一人考えていた。
水道の反対側にいるのは、僕と同じサッカー部に所属するチームメイト数人。
「体だけしか能がないんだから、雑用くらいしっかり手伝えよな」
「プレーもびくびくしてばっかで、ディフェンスの意味なくね?」
「本当に風太って、でくの坊」
かろうじて彼らの声が聞こえる。話している内容は、僕についてだった。
周りの高校生よりも、僕の体は一回りほど大きい。この体で堂々としていれば、どこかのモデルみたいに持て囃されたかもしれないけれど、いつも僕は小さな背中を丸くして俯き加減に過ごしている。
一か月ほど前に入部したサッカー部でも、その内気な性格を変えることは叶わず、周りの部員から注目を集めないように必死に自分を押し殺している。自分からコミュニケーションを取ろうとしない体が大きいだけの人間なんて、みな疎ましく思うのも当然だ。僕自身、僕みたいな人がいたら、どう接していいか分からない。
だから、でくの坊と言われることにも慣れていた。慣れているけど、陰口を叩かれている場に立ち会ってしまうと、心臓がぎゅっと握られるようになる。
体育座りで自分の膝に顔を埋める姿を俯瞰すると、昔からは想像できない姿だと一笑に付してしまう。
小学校の頃は、神童と呼ばれていた。
当時から人並外れた体を持っていた僕は、スポーツ万能だった。運動会では必ずリレーのアンカーに選ばれたし、ドッジボールでも相手にボールを当て自分自身は最後まで生き残った。
そんな僕をみんな慕ってくれたし、どこに遊びに行くにも引っ張りダコだった。
この大きな体を活かせば、何でも出来ると思っていた。人と違う僕は、まるでヒーローのようだった。
けれど、中学校に入学すると、いつしか上手くいかなくなることが多くなった。そして、上手くいかないから自信がなくなる。自信がないから、更に失敗を重ねる。まさしく負のループだ。
昔は大きな体が自慢だったけれど、今は全く反対だ。どこで何をするにも悪目立ちするこの巨体を、疎ましくさえも思う。
なんでこうなってしまったのだろう。原因は分かっている。冷たいコンクリートを背にして、三年前のことを思い直していた。
あの日の空模様も、今みたいな五月晴れが広がっていた。
一つだけ違うのは、あの頃の僕はまだ期待に満ち満ちていたということだ――。
***
「やれば出来る」
中学校に入学する直前、僕が慕っているお祖父ちゃんから激励の言葉を貰った。僕の背が大きいのは、お祖父ちゃん側の遺伝を受け継いでいる。それゆえ、周りの小学生よりも背が高い僕でも、お祖父ちゃんは常に見上げなければならない存在だった。
「だから、風太。最初から諦めることはしないで、やりたいことに挑戦しなさい」
僕の頭を撫でるお祖父ちゃんの手のひらは、すっぽりと頭を収めてしまうほどに大きかった。脳天から全身に力が巡っていくような感覚を抱いた。
これから始まる新生活に幾ばくかの不安を感じていた僕にとって、まさに勇気づけてくれるようなものだった。
入学早々、僕はサッカー部に入ることを決めた。元々サッカーが好きだったこともあるし、小学校の時にサッカーをすると、この大きな体を活かしてゴールを決めることも出来た。
お祖父ちゃんの言葉を信じ、サッカー部でレギュラーになるためならば、僕は何でもすると決めた。
最初は順調に事が進んでいた。
小学生と変わらない体格をしていた周りの新入部員に対して、僕の体格は既に高校生の域に達していた。上級生に比べても、文字通り頭一つ抜けてもいた。期待の大型新人として、サッカー部の中で僕は持て囃されるようになった。
――これなら頑張れば僕もレギュラーになれる。
お祖父ちゃんの言葉と、自身の体格、そして過去にスポーツ万能だった経歴もあいまって、僕はやる気に満ち満ちていた。
そして、入部してから一か月ほどが経過し、新入部員の実力を知るためが目的の、中学最初の紅白戦が行なわれた。
その後半六分、マッチアップした同級生である大弥に怪我をさせてしまった。
今でも鮮明に思い出すことが出来る。当時の僕の身長の三分の二ほどしかなかった大弥が足を抱えて蹲る姿を、僕は見下ろすことしか出来なかった。
とんでもないことをしでかした、と僕は思っていた。
言い訳はある。
僕は自分の実力を発揮するために、パスをたくさん求めていた。パスを受け取ると、僕は敵陣を切り開き、多くのゴールを決めた。正直に言えば、僕の独壇場だったと思う。だからこそ、体の大きな僕に対して、相手チームは思い切り体当たりをして止めようとしていた。度が過ぎる当たりは、僕を精神的にも追い詰めていった。
そんな状態で、ボールを持った大弥が僕の前に迫って来た。ふつふつと湧き上がった怒りを発散するように、中学一年生の平均よりも背が小さかった大弥に、僕は力加減を誤ってしまった。
思い切りスライディングをした結果、僕は大弥に大きな怪我を負わせてしまったのだった。
大弥を怪我させる前のシーンは、こんなに憶えているのに、その後のことはあまり憶えていない。
足を抑えて蹲る大弥を見て、大きな体では許容出来ないくらいの速さで心臓が高鳴っていたことだけは憶えていた。
「タンカ持って来い!」
顧問の先生は大声を張っていたのに、やけに遠く響き渡っていた。世界がけたたましい速さで動くのに、僕は指一つ動かすことさえ出来なかった。
「やれば出来る……。やれば……」
お祖父ちゃんから貰った大切な言葉を、呆然と立ち尽くしながら、何度も縋りつくように呟いた。
あの日語ってくれたお祖父ちゃんの言葉は、きっと嘘ではない。行動しなければ何も生まれない。そんなこと誰にだって分かる。だけど、やった分だけ成功するなんて、全ての人に適用されるわけでもない。
僕には、その言葉の実を結ばせることは出来なかった。
頑張ったって出来ないことは、この世界にたくさんあるのだ。
僕はそう痛感してしまった。
***
あの日から周りの僕を見る目は変わった。
期待の眼差しから、失望の眼差しへ。尊敬の眼差しは、畏怖の眼差しへ。やがて僕に関わる人は少なくなった。
自然、嫌でも目立つこの大きな体を少しでも目立たなくさせるために、背中を丸めて俯きながら過ごすことが多くなった。なるべく人と話すことも避けるようになっていった。
結果的に、図体だけが大きい、臆病なでくの坊が生まれてしまった。
もう三年近く前の出来事だから、忘れたっていいし、切り捨てたっていいのに。
「どれだけ弱いんだよ、僕は……」
僕は膝に顔を埋めながら呟いた。
この高校で、あの日の出来事を知っているのは二人だけ――、僕と、怪我をさせてしまった張本人である大弥だけだ。
全治二か月の怪我から復帰した大弥は、復帰してからより熱心に部活に励み、中学校の中でエースストライカーとしての地位を確立させた。いや、大弥の実力は僕らの母校だけで収まることはなく、都のベストイレブンにも選出されるほどになった。
周りの同学年と比べても小さな背丈を見ると、誇らしく思うと同時、一抹の申し訳のなさも抱いてしまう。
もし僕が怪我をさせなければ、大弥の身長はもっと伸びて、誰も手が届かないほど有名なプレーヤーになることも出来たのではないか。
大弥は根っからの明るい性格をしていて、僕が怪我を負わせたことなどなかったかのように気兼ねなく接してくれる。
しかし、未だに上手く割り切ることの出来ない僕は、勝手なたらればを想像しては、謝罪の念を心に染み込ませ続けている。
大弥は僕と仲良くしてくれるけれど、本心はどう思っているのだろう。きっと周りと同じくでくの坊だと思っているに違いない。
その何よりの証拠が、この水道のコンクリートの向こう側に大弥がいることだ。
陰で罵る声が、僕の耳を劈いていく。やめてくれ、と心の中で必死に叫ぶ。
そんな時――、
「それ、違うぞ」
否定する声が響くと同時、少しだけ空気が変わった。離れた場所にいる僕でさえも、息がしやすくなるような感覚を抱く。
そっと目線だけ向けると、声を上げていたのは大弥だった。
「小学校から一緒だけどさ、あいつは優しい奴だよ。周りに気を使い過ぎて、本来の自分を曝け出せないだけだ。本気出した風太は、すごい」
大弥の声音からは、偽りがないことが伝わって来た。
「やれば出来るよ、風太は」
「まぁ、大弥がそこまで言うなら……」
大弥の真っ直ぐな声に、声を静めていくチームメイト達。そして、そのまま興が醒めたようにその場から去っていった。実際、休憩時間もあとちょっとで終わりで、そろそろ部活に戻らなければいけない時間でもあった。
コンクリートの向こうから人の気配がなくなったことを確認すると、僕は「はぁ――っ」とずっと溜め込んでいた分、大きな溜め息を吐いた。スッキリした心持ちで、晴れ渡っている空を見上げる。
まさか大弥があんな風に僕のことを思ってくれているなんて思いもしなかった。
良くしてくれるのは表向きだけで、裏では僕のことを嫌っているという僕の前提は間違っていたということか。
僕は自分の考えで勝手に判断してしまうことが多い。大弥の一件然り、あの時だって――。
「てなわけだから、遠慮すんなよ」
「わっ」
頭上から降り注ぐ声に顔を上げれば、そこには大弥がいた。
「な、なんで……」
「最初からそこにいるのはバレバレだったぜ」
屈託ない笑みを浮かべる大弥は、人との隔たりなんていとも容易く壊してしまう。
「風太の過去を知っているのは、ここには俺しかいない。もう昔みたいに本気出したっていいんだぞ?」
「……でも」
大弥の提案に素直に頷くことは出来なかった。
僕が本気を出したところでたかが知れているし、頑張ったところで何も変わらない。お祖父ちゃんの言葉は、僕には適さない。
「じゃあ、なんで高校でもわざわざサッカー部に入ったんだよ」
思考が止まる。
「俺達の中学では、部活に所属するのが当たり前だった。だから、サッカー部に居続けたことは分かるよ。でも、この高校では任意なはずだ。風太もサッカーやりたかったからじゃないのか? だったら本気でやれよ。本気でやらないと、部活に入った意味がないだろ」
「それはそうだけど……」
大弥は痛いところを指摘してくる。言い逃れは出来なかった。どんな言葉を用いたとしても、聞き苦しい言い訳になってしまうのは、誰よりも自分が分かっていた。
「何度言ったか分からないけど、もう一度言わせてもらう。あの怪我は風太のせいじゃない。俺のせいだ。プロの世界では、怪我をする人間は下手な人間の証拠なんだぜ。上手かったら、怪我なんてしない。いや、そもそも触れさせることすらさせない」
そう語る大弥の目は、ギラギラと輝いている。遠く離れた獲物を狩るかのような、獰猛な瞳だ。
同世代のプレーヤーと比べても、大弥は抜群に秀でている。プロという響きも、大弥が
語れば現実味が伴なっている。
「それをいつまでも引きずられていたら、俺が下手だという烙印を押されて馬鹿にされているように思える」
「そんなつもりはないよ!」
この時初めて僕は力強く大弥の言葉を否定した。
都のベストイレブンにも選出された大弥を下手だと言える人間がいるのなら、出会ってみたい。というよりも、そもそも僕が大弥のことを馬鹿にするなんてあり得ない。
「じゃあ、本気出せよ。やれば変わるだろ」
大弥は軽く拳を突き出した。コンクリートよりも上にある大弥の手。その手に僕の手を重ね合わせたら、何かが変わる。そんな感覚が、僕を襲う。
恐る恐る僕は手を伸ばそうとしたけれど、
「ミニゲーム、楽しみにしてる」
ニヤリと笑みを浮かべた大弥は、校庭の方へと戻っていった。僕の手は何も触れることが叶わず、虚空を彷徨った。僕はゆっくりと手のひらを眺めた。
同年代に比べて大きな手のひらが、僕の目に映る。
僕が願って手に入れたいものは何だろう。
中学入りたての僕は、レギュラーになるとか自分の力を誇示したいとか考えていたけれど、今の僕にはそんな理由はない。やれば出来る、とも思っていない。
そんな僕がサッカー部に居続けるのは、単純にサッカーが好きだからだった。
今は好きなことに堂々と胸を張れる自分が、切実に欲しかった。
***
今年の新入生による、六対六の紅白戦が始まった。
このミニゲームで成果を上げて、監督の目に留まることが出来れば、一年生ながらにしてレギュラーもしくはベンチ入りすることも可能になる。
だから、チームメイトの目はギラギラとしていた。
そんな状況下に立たされると、否が応でも三年前の出来事が脳裏をよぎる。すると、僕の身は縮こまって固くなっていた。
肩を竦める僕に対して、赤ビブスをつけたチームメイトが軽く言葉を掛けてくれるけれど、僕は上手い言葉を返すことが出来なかった。緊張していたことに加え、上っ面だけの言葉だということが伝わって来たからだ。
僕に対するチームメイトの評価は、体がでかいだけのずぶの素人。部活内の雑用もろくにこなすことが出来ないと思われている。
その評価は、全くもって正しい。
あの日以降自信をなくした僕は、自分の意志で何かをするということに対して臆病になっている。失敗して疎まれてしまうことを考えたら、一歩を踏み出すということがどうしても出来ないのだ。
「大弥、来た!」
周りの歓声に、ハッと意識が醒めた。
気付けば、エース候補の大弥にパスが通っている。大弥にボールが渡れば、いつも華麗なプレーで人を惹きつける。たとえ部活の中の小さなミニゲームであっても、それは変わらない。上級生たちが、前のめりになって大弥のプレーを目に焼き付けようとしている。
周りの声や期待なんて関係ないかのように、大弥は軽くボールを蹴り出すと、一気にトップスピードに乗った。守備陣が道を阻むも、大弥は華麗な足さばきで難なく進んでいく。瞬く間にフィールドを切り開く姿は、敵ながら見惚れてしまうほどだ。
そして、気付けは最終ディフェンスラインは、僕だけになっていた。
止めなければ。でも、僕に出来るのだろうか。それに、もしまた怪我をさせたら、今度こそ――。
錯綜する思いを抱えながら、恐る恐る正面を見る。
大弥と目が合った。
大弥とこうして直接マッチアップするのは、あの日以来だったことを衝動的に思い起こす。
怪我をした大弥は二か月ほど部活に出なくなった。同時、二か月という期間は僕の性格を変えるには十分だった。ミニゲームでさえも僕は実力を発揮できなくなり、期待の大型新人という肩書きはずるずると落ちていき、お荷物と称されるようになった。
一方で、怪我から復帰した大弥は低身長ながらも誰の目も見張るほどのプレーで、レギュラーの座を射止めるようになった。いや、それどころか、全国の中学校でも名立たるプレーヤーとして、一躍有名になった。
同じ部活にいるというのに、フィールド上で大弥と向き合うことはなくなった。
久し振りに対峙した大弥の目は、本気の目だった。
「やれば出来る……っ」
僕は自分に言い聞かせるように呟く。そう言うと、脳天を起点に全身に力が巡ったのが分かった。抗えない衝動に、心が突き動かされる。
僕は大弥の前に壁となって立ちはだかった。
逃げない。逃げるわけにはいかない。
大弥がそのまま僕を抜けようとして――、
「?」
その場に留まった。大弥は息を乱しながら、僕を見つめている。何だろう、いつもなら躊躇いなくゴールを奪いに行くのに、大弥らしくない動きだ。大弥は短く息を吐くと、ニヤリと歯を見せた。そして、その唇が七回動く。音にはならなかったけど、「しきりなおしだ」、そう言ったことがハッキリと分かった。
僕は重心を改めて据え、大弥の全身を視界に入れた。大弥がどう動いても反応出来るように、その一挙手一投足に注視する。
ミニゲームであるのだから、本来であれば誰もが自由に動いて良いはずだ。しかし、今は誰も動かない。僕と大弥の一騎打ちに全神経を注いでいる気がした。
大弥が軽くボールを蹴る。同時、体を低姿勢に沈め、地を駆け始める。大弥の姿が消えるような錯覚を受ける。このコンマ数秒と少ない動作で、大弥はトップスピードに乗った。小さな体だからこそ成せる業だ。
けれど、何度も何度も見て来た大弥の動きだ。僕は見逃すことなく、僕達のゴールを目指そうとする大弥の道を阻む。大弥はまるで自分の体の一部のようにボールを扱うと、華麗なボール捌きで、反対方向に逃げ込む。
この細やかな動きで相手を翻弄し、大弥は多くのゴールを掴み取って来た。
今までの僕――自信がないままの僕だったら、このまま大弥を見逃していただろう。
でも、今は違う。
「――やれば、出来るっ!」
そう心で唱えると、僕は右足に力を籠め、一気に大弥が逃げた方向へと跳ぶ。一瞬、大弥は目を見開かせたが、ニヤリと笑みを浮かべる。
大弥の目は、ゴールを見据えていた。そして、シュートモーションに入る。ボールの芯を捉えたシュートは、勢いよく大弥の足元から離れていく。
「うおおおぉ!」
気付けば、僕は吠えながら大弥のシュートに飛び込んでいた。僕の胸元に阻まれたボールは、鈍い音を立てて、ラインを割った。ゲームが、止まる。
しんと静まった校庭に、情けない僕の咳き込む声だけが響き渡った。一身で受け止めた大弥の本気のシュートは、ここまで力強いものだったのかと改めて知った。
何度か咳き込み、徐々に落ち着きを取り戻したところで、
「すげーな、風太!」
思い切り背中を叩かれて、またしても咳込むことになってしまった。突然の衝撃に、後ろを振り向くと、同じ赤ビブスを着たチームメイトがいた。いや、赤ビブスのメンバーだけじゃない。ビブスの有無を問わず、誰もが僕に近付いてくれて声を掛けてくれた。
背や肩を叩かれながら、僕は称賛される。今までからは想像も出来なかった。けれど、すぐに考えを改めて受け入れる。
トッププレイヤーの大弥――しかも、全力を出していた大弥を止めたのだから、ある意味当然のことだろう。
心地の良い痛みと共に湧きだして来るのは充実感だった。
「おい、まだゲームは終わってないぞ!」
監督の声でハッと空気が引き締まる。そうだ。大弥の攻撃を止めただけで、試合は続いている。これが部活の中のミニゲームでよかったと心から思う。
「やべ」
「この調子で頼むな」
チームメイトが肩を叩いて労ってくれた。
僕は胸に手を当てながら、お祖父ちゃんから教えてもらった『やれば出来る』という言葉を思い出していた。
中学生の時、僕はその言葉を文字通りに受け取ってしまった。その時に思っていたのは、
「レギュラーになる」とか「誰にも負けない」とか、僕だけのことだった。周りに目を向ける必要性は一切見出してなかった。
そんな自己中心的な振る舞いが、身を結ばせる訳がない。
だけど、今の僕は違った。
自分を変えたい。そして、僕を信じてくれた大弥に報いたい。
その思いだけで、僕は行動した。――結果、出来た。
僕でもやれば出来るんだ。改めて実感すると、胸から湧き出る感情を逃さないように、僕はギュッと拳を握り締めた。
「風太」
ボールを持った大弥が言う。
そう言えば、ボールを止めてからここまでの間、大弥との接点はなかった。
大弥のおかげで殻を破るキッカケを掴めるようになったのだ。大弥が僕に気遣って花を持たせてくれたからこそ――、
「あり――」
続く言葉を、僕は言えなかった。一瞬、大弥が僕に手加減をしてくれたのではないかと想像したが、大弥を前にしてその可能性はなくなった。
本気で挑んだ大弥を、僕は止めたのだ。
「次は決めてみせる」
大弥は僕に向けて言い放つ。まるでライバルに伝えるかのような言い方に、またしても心が奮える。
「僕も負けない」
自然と口をついて出たことに、自分でも驚く。僕と実力差が掛け離れている大弥に対して、さすがにおこがましすぎる発言だった。しかし、大弥はふっと微笑みかけると、プレーに戻っていく。
ライン上にボールを置いて、リスタートする準備を整えた。
僕は両頬を叩くと、大弥が持つボールに意識を集中させる。
もう、迷いはなかった。
<――終わり>
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