喪失からの回復2

教会で行われる葬儀に参加すると
死後の救いが語られ、
天上での再会が語られる。
それに最終の希望を見出すことが
それが遺族にとっての究極の慰めとなる。

翻って、父に関しては
「信じないものはすでにさばかれている。
 神のひとり子の名を信じなかったからである」
を根拠と考えると、
究極の慰めは適応されないということになる。

私が信じる神、信頼する大きな存在。
それが、私が愛する彼を裁くという。
それが私の中の大きなギャップとなった。

私の中の神とそのことばは
すべて私の心を切り裂く刃物となった。

野薔薇のとげなんかは
外に向かって生えているから私よりよほどよい
(永瀬清子「野薔薇のとげなど」)

その苦しみに対する答えを求めて
私はもがき続けたが、
どこにも答えはなかった。
それに気づいたとき、
ついに私の心が神に反逆した。
正確に言うと、その背きは
私の意志ではなかった。
その証拠に、
私はなぜ神に対して嫌悪を感じるのかを
理解できず、
嫌悪を感じる自分に対して罪意識を感じていたからだ。

私は神の存在を信じてはいるが、
神は私には関心がない。
ただ、そのような悲しい納得だけがあった。
それからさらに数年が過ぎ、
自分の心に何が起こったかがようやく理解できた。
私にとって何の慰めにもならない聖書、教会、
クリスチャンたち。
彼らを愛し従うに足る理由が
何もないということだ。
父を裁く聖書の言葉に従う教会に連なることは
私には苦痛なのだ。
それに、理性より先に感情が反応したのだった。

これが、私の挫折であり、失意である。

これを理解する人はついに現れなかった。
神は私の近くにいるというが、
私はそれをついに感じることはできなかった。
私は孤児として捨て置かれた。

しかし、このたびの若松氏との出会いによって、
私と同じ性質の生の根源を揺るがされるような
挫折・失意を味わった人たちは
たくさんいるのだということに気づいた。
私はそこに連帯を感じてよいのだと
ようやく気付いた。

15年。
長かった。
しかし、この年月は
少なくとも無駄ではない。

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