影差す美しさ


さて、今日は
BWV617をもう一度録音した。

とってもとっても難しい。
相当練習したんだけど
なんだか必死で弾いてます感が大きいなぁ。
この曲、シメオンの賛歌がもとになっている。
死がもう近くに来ているときに
誕生した救い主にあったというシメオンね。
私はこの曲を練習し続けて、
バッハ先生が曲を通してほんとに
シメオン老人を表現したんだなあって思った。
和声時々メジャーコードも現れながらも
基本的にはマイナーで、
シメオンの悲喜こもごもの人生が
表されているように思う。
ペダルは音形を変えながら、
でもリズムはずっと同じ。
淡々と。
いろいろありながら懸命に生きてきた
シメオンの生涯が感じられる気がする。
左手は美しい下降するスケールに似た音形が
ずっと続く。
下降する音を弾きながら、
シメオンが生きている間に遭遇した
悲しみや嘆きや
いろんなものが感じられた。
その中に、今度はまっすぐ上昇する
スケールが現れる。
これこそ、救い主を見たシメオンの
最後の喜び、希望の表現なんだろうな、
と思った。
そしてパラダイスに昇っていこうとする魂。
美しい曲です。
私が美しく弾けるわけではないけどね💦
悲しいとか辛いとかいう思いは
私も嫌だし一般的に忌避されるものなんだけど、
でも、それがあってこそ喜びが一層際立つんだと思う。
あるいは、それそのものにも
価値があるものなのかもしれない、と
私は思い始めている。
はっと気づいたが、
私は上記でマイナーを「美しい」と
感じている。

悲しみの秘義、
涙のしずくに洗われて咲いずるもの

この2冊を読んでいる。

図書館で借りたのを読み終えたのだが
私にとってはあまりにも示唆に富んでいるので
買ってもう一度じっくり読む。
著者の若松氏はカトリックだそう。
クサれプロテスタントの私とは違うが、
何かが同じである。

これを書いているとき、
Eテレでおばあちゃんが
「影差す美しさ」
という民話の語りに出てくる表現について
語っていた。
影、これこそを美しい、という
古い日本文化だね。
私はこれをずっと否定的にとらえてきた。
これが発展すると
死は美しいという独特の価値観にたどり着く。
だから侍はハラキリとかしたんだろう。
戦場に散るとかいう表現があるのも
その証拠でしょ、と。

でも、今の私は、
何が何でもそれを否定するという気持ちではない。
いろんなことがあって、
私もかなり変わってきた。
シメオンには全然及ばないけど
私も半世紀生きたのでね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?