私の「夜と霧」の先

1年前の「ありふれた祈り」の稀有な読書体験を振り返った。
この体験を1年寝かせた私に
どんな変化があるかを確認しなければならないと思っていた。
ボスが「また考えてみなよ」と
私の背中を押しているようにも思う。

一年前、自分にとって重要な何かが
指し示されたのがわかったが、
それを無理やり実生活にあてはめたり
自分をそれに無理に適応させたりするのは
早計だと感じていた。
分かったからと言ってできるわけでもない。
分かったからと言って得心したわけでもない。
その時が来るまで、押したり引いたりするものではない。

そして先日、「ありふれた祈り」を読んだ直後に放送された
若松英輔氏らの語りを
一年ぶりに聴いてみた。
それでわかったのは、私が回帰すべきは
フランクルの「夜と霧」だということ。
この本、20代の最後に購入して読み、
25年近く、そのまま書棚で寝ていた。
若かった当時の私がこの本から学んだのは、
人間がどのように残酷であれるかということ、
どのように崇高であれるかということ、
希望を失うことは人を死に至らしめるということ、
こんな感じだったと思う。
思えば、ずいぶん表面的。

それからだいぶ経って再度読んだ「夜と霧」は、
若松氏の解説と、読まずにいた間の私の経験とが混ざって
もっと深く深く私に語り掛けた。
特に最後の3つの章、
7.苦悩の冠 8.絶望との戦い
この2つが圧巻。

どのような苦悩の中にあっても、人間は態度を決める自由がある。
強制収容所のごとき、120%自由を剥奪された環境にあってもである。
希望が人を死から遠ざける。何の希望もない時にも希望を見出すことができる。それは、苦悩そのものに意味があるという希望。
生きる意味とは。ここでコペルニクス的転回。私が人生から何かを期待するのではく、私が人生に何かを差し出す。正しい行為によって応答する。
生きる意味がないと苦しむ人にも、実はある。苦悩そのものに意味があるからである。その意味とは何か、ということを、今の自分に言える言葉で具体的に表現すると、苦悩するという経験が、一つの業績となる。そしてのちに誰かを慰める可能性がある。それは、「同じ経験をしたものが慰められる」という意味を超えた次元のものである。本当の苦悩とは、だれも経験したことのない苦悩の経験、少なくとも苦しみの同士がいない状態で、孤独というもう一つの苦悩とともに長く苦しむものだろうと思うから。私もずっとそうだった。自分と同じような苦悩を持つ人がいたらどんなに慰められるだろうと思ってたけど、ついにそういう人はいなかった。そしてフランクルに教えてもらった。「この苦悩に満ちた運命とともにこの世界でただ一人一回だけ立っている」。
このような経験は強制収容所だけなく、実は程度の差こそあれ、多くの人の日常にある。私の日常にも15年以上あり続けている。
だから、フランクルの語りはあらゆる人の苦悩に寄り添い、慰めを与えることができる。

しかし、一体だれが、フランクルが言っているような「自由」によって自分の態度を純粋に正しく保つことができるだろうか。少なくとも私にはできない。私は、負った苦悩Xによって心身が侵された、まずはこれが客観的事実。そして「態度を決める自由」によって精神を正しく保てたかどうかというところ、それは絶対できなかった。とはいえ、100%できていないかといえばそうでもないかもしれない。そのことについてフランクルは「・・・恥じる必要はないのである。むしろそれは彼が苦悩への勇気という偉大な勇気をもっていることを保証している」と言ってくれてる。そして、神さまも、そんな人間たちをさげすまないと思う。
若松氏が言ってた「『安心して』苦しめ」という声が私の中にいつも響いていて、その中でうそぶいたり斜に構えたりしていたんだと思う。

私の苦悩とは、自分が信頼していた神が見えなくなって、あるいは神に裏切られたと感じて、または聞いてた話と違うと感じて、深い喪失感と一緒くたになったものだった。「なぜ」というのが自分のもう一つのHNで、なぜだ?と問い続けていた。なぜ裏切ったの?なぜ嘘ついたの?なぜこんなことが起こったの?そして、なぜ私の問いに応えないの?
当時私は、開けない夜もある、止まない雨もあるんだ!といって牧師にくってかかってた。

でも、少しわかった。この「なぜ」の答えは、ない。というか、ないのが、答え。

はっと気づいたら、

「知識もなしに言い分を述べて、
 摂理を暗くするこのものは誰か。」 ヨブ記38:2

これと一致してた。

そして自分の方が、答える。どう生きるか、どういう態度をとるか、ということを通して、人生に私の方が差し出す。

こうやって書いてみると、1年前にわかったことと、ほとんど同じ。
何が違うかというと、
私の雨が、小雨になってきたかもってこと。

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