肯定ノート

若林さんは30代になって
肯定ノートを書いたそうな。
今ならその必要性がわかる。

僕は好き嫌いが激しい
はっきりしている。
だが、しかし理由がわからず
好きなものも嫌いなものも多い

僕が今このnoteでしているのは
認知行動療法であり
自分の肯定ノートである。
自分がどう考えているかを文字にして認知し
間違えているところは修正する
そして、行動してみる
そして、行動してみた不安も認めて
自分の全体を肯定する
それが大まかな目的になりつつある
それが自分史にもつながり
自分史の形として残る

だが、書いてて時々何か違うところが
引っかかる。
さっきの事なら頑張ることを馬鹿にしているだ。
何故馬鹿にしているのか
それは必ず結果が伴うわけではないからだ
だが、それは結果という狭い範囲でしか
自分は物事を判断していないということで
頑張った人にはやってきたと言う
経験も残ること
それが自信となること
器さのデカさなど
色々なことに繋がるとは考えていない
自分に残るのは視野な狭さと自意識だけだ
だから、自分の番になると動けなかったりする
やっていないから不安だし、行動もできない。

これに近い意味を若林さんも書いていた
なんならその否定のせいで自分が何が本当に好きかもわからないと書いていた。

無理にでもしたというが
僕は無理にでも出来るのだろうか
しっかり他者肯定ノートもつけたいなと思う
そうすれば嫌いでも許せることは増やせる
何より自分のためにはなる

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