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岩井俊二『キリエのうた』/ヨン=ロアル・ビョルクヴォル『内なるミューズ 我歌う、ゆえに我あり』

☆mediopos-3160  2023.7.13

岩井俊二監督の映画『キリエのうた』が
10月13日に全国公開される

主演はミュージシャンのアイナ・ジ・エンド
そのほか松村北斗・黒木華・広瀬すずらが
出演するという

現在のところWeb等でも
まだ断片的な紹介しかされてはいないが
原作小説が文庫で刊行されている

「うた」といえば
岩井俊二は音楽家でもあり
監督作品である映画『リリイ・シュシュのすべて』も
歌手のSalyuがリリイ・シュシュ役となって
物語のキーパーソンとして位置づけられていたが
Salyu本人はプロモーション映像としてだけ出演していた

『キリエのうた』では
アイナ・ジ・エンドが
シンガーソングライターである〝KYRIE〟として
主演をつとめるという
まさに「うた」そのものがテーマとなった映画であり
東日本大震災がその背景となっている
今年は2011年の東日本大震災から12年である

YouTubeで公開されている
岩井俊二の【片付かない部屋 】08と09に
『キリエのうた』の主演として
アイナ・ジ・エンドと出逢った話が語られている

岩井俊二が脚本の原案を考えていたとき
アイナ・ジ・エンドのうたを聴いて
「この娘しかいないんじゃないか」と
直感的に感じて動きはじめたそうだ

アイナ・ジ・エンドのことをまるで知らなかったので
早速岩井俊二の紹介している「金木犀」
そして「きえないで」を聴いてみると
「リリイ・シュシュ」にもつながる「うた」「声」である
岩井俊二のイメージする世界にぴたりと嵌まったのだろう

さて主人公の「キリエ」は
路上ライブで「うた」は歌えるのに
話す「声」は「ほとんど息だけで話す」ようにしか出ない
東日本大震災で起こったことが原因のようだ

話すことはむずかしくても
うたうことはできる・・・

『キリエのうた』を読みながら
そのことを反芻していたのだが

ひとは「うたう」ことから始め
「話す」ことへとうつっていったのかもしれない

始めに「うた」があった
ということだ

思いだしたのがノルウェーのオスロ大学の
ヨン=ロアル・ビョルクヴォルの著書
『内なるミューズ 我歌う、ゆえに我あり』である
(原著は1989年・翻訳は2004年)

ひとはその生のさまざまな段階で
内に潜むミューズが大きな働きをしていることを
解き明かそうとするものだ

かつて「ミューズの女神たちは
存在に声を与えるために生まれ」
「ことば、踊り、歌で世界を変え」ることができたという

そのミューズの女神たちは
いまはひとのなかに潜んでいて
その「内なるミューズ」的な「うたう」力が
「生命への意志を表明し、動的に生を肯定し、
生を発展させる源泉そのもの」となり
そこから「創造的なものが育」っていくのだという

「キリエ」も
みずからの「内なるミューズ」の力で
その生を前へと
進めようとしていたのだろう

■岩井俊二『キリエのうた』(文春文庫 文藝春秋 2023/7)
■ヨン=ロアル・ビョルクヴォル(福井信子訳)
 『内なるミューズ 我歌う、ゆえに我あり (上)(下)』
 (NHK出版 2004/8)

(岩井俊二『キリエのうた』〜「名前のない街」より)

「彼女は立ち止まると、手にしたギターケースを路上に置いた、
 そのギターケースは年季物で、黒いボディは色褪せ、金具は錆びていた。留め金を外して蓋を開けると中から艶やかなギターが姿を現す。縦に二つ溝穴の空いたギターヘッドはクラシックギターの特徴だ。彼女は手を差し延べ、ギターをケースから取り出す。眠っている子供を抱き上げるようにして。
 彼女にとってそれは、かけがえのない音楽の相棒。旅の伴侶だ。
 ギターケースの底にはスケッチブックが一冊。それを出して開いて、道の上に三角に立てると、小さな看板が出来上がる。そこには手書きで大きくこう書かれている。

〝KYRIE〟

 読み方は、〝キリエ〟。彼女のアーティスト名だ。
 この日のキリエは、黒のワンピースにグレーのパーカという出で立ちである。キャリーバッグを横に倒し、それを椅子代わりに、黒く長い髪をそのままに、ペグを回してギターのチューに入を始める。チュ^ナーガあれば便利だが、生憎彼女は持っていない。音叉もない。絶対音感があるわけでもない。なんとなく適当に合わせているらしい。自分の声とギターの音色で。」

「あたしはイッコ。あなた、お名前は?」
 キリエはおずおずと名刺を差し出す。手書きの名刺である。
 アルファベットで〝KYRIE〟と書いてある。肩書きはシンガーシングライターとある。
「なんて読むの、これ」
「(キリエです)」
 キリエの話す声は声になっていない。ひそひそ声というか、ほとんど息だけで話す。
「キリエって読むの?」
「(はい)」
「シンガーシングライター! 歌も作るのね。さっき歌ってた曲も自分で作ったの?」
「(はい)」
「全部?」
「(はい)」
「そう。すごいわね。生まれは? 東京?」
「(石巻です)」
「 キリエは単語帳を取り出して、広げて見せた。そこには〝石巻〟と書かれている。次のページをめくると〝宮城県〟という単語が出て来る。よく聞かれる質問は、あらかじめ単語帳にその答えがストックされているようである。
「あなた、声どうしたの?」
「(声が出ないです)」
「風邪?」
「(違います。ずっとです)」
「歌ってたじゃない。歌は歌えるのに?」
 キリエは気まずそうに頷く。単語帳をめくり、それを見せながら同じ言葉を繰り返す。
「(歌しか歌えません)」」

(ヨン=ロアル ビョルクヴォル『内なるミューズ 我歌う、ゆえに我あり (上)』〜「訳者まえがき」より)

「「ミューズ」とは芸術的才能に恵まれた特別な人間にだけ関わるもの、と一般に思われている、(・・・)
 だがそうではない、とビョルクヴォル氏は主張する。ミューズとは普遍的なものであり、人間はみな誰も心にミューズをもっている。どんな人間の内にもミューズ的な何かが存在するという。心の中からわかいあがるような、生きている喜び、生きていく力は、誰の心にもあるはずだと、著者は繰り返し主張する。
 いわゆる西洋音楽の枠内にはおさまらない、音、運動、リズムをミューズ的な基本要素ととらえ、ビョルクヴォル氏の話は始まる。」

(ヨン=ロアル ビョルクヴォル『内なるミューズ 我歌う、ゆえに我あり (上)』〜「序章 ミューズ的人間」より)

「私たちは皆「ミューズ的人間」を必要としている。ミューズ的なるものを抜き取られるとたちまち、人は己の人間性に本質的なある深いものを失ってしまう。
 それゆえ、ミューズ的人間を理解しようとし、その始まり、特徴、様々な展開の仕方を少しでも把握することが重要だと思われる。」

「本書の願いは子どもの願いのように素朴である。力いっぱい、今生きている命に向かって身体を伸ばすこと。この命をすみずみにまでつかもうとすること。そしてそれを意味のある断片へと解釈しなおすこと。」

(ヨン=ロアル ビョルクヴォル『内なるミューズ 我歌う、ゆえに我あり (上)』〜「第二章 遊ぶ子どもは生きることを学ぶ」より)

「人間は「生まれながらにしてミューズ的」なのだろうか。
 簡単に返事はできない。人間の中のミューズ的なるものは、外部の印象や人生経験が創造的な表現をとって形づくられる瞬間初めて活動を開始するのである。これは乳児期の初期から高齢にいたるまであてはまることである。すべての人間にとって、存在、アイデンティティの確認、生命の熟知————これらを獲得するための手がかりとなるのである。」

(ヨン=ロアル ビョルクヴォル『内なるミューズ 我歌う、ゆえに我あり (上)』〜「第五章 教室でのミューズ的人間」より)

「古代の思考世界が表現しているように、ミューズの女神たちは存在に声を与えるために生まれた。当時はまだ「神々の」世界であった。ミューズの女神たちは、ことば、踊り、歌で世界を変えることのできるオリュンポスの女神であった。美と真実は、倫理的命題として一つであった。ミューズ的なものの議論で、私たちは女神たちのことに触れなかった。私たちが言及したのは「人間」、人生の初段階を経ていくミューズ的人間の進む道である。そのとき問題にしているのは、人間的に意味のあるものに到達するために、その鍵として真の表現があり、その真の表現を生み出す源泉が私たちの内にあるということである。このように見ると、子どもの表現力はミューズ的と言える————子どもの最初の、両親と一緒に喉をごろごろ鳴らす音遊びから、三歳児が友だち仲間と自発的に歌う歌。嵐の中死も乗り合わせた船の上で少女が歌う歌にいたるまで、子どもは皆ミューズ的表現力を所有している。それは生命への意志を表明し、動的に生を肯定し、生を発展させる源泉そのものである。
 ミューズ的なものから創造者の能力、つまり創造的なものが育つ。なぜならミューズ的な自己表現に近づかなければ、どんな人間も自分の人生を創造できないのだから。子どもは皆どんな日でも、創造的な突破を敢えて試み、昨日の認識の限界を踏み越え、常により大きな、より深い人生の場を征服しつつ進まなくてはならない。創造性がなければ人間は破壊的な成長をする。」

「私たち大人は年を取るにつれて、全体を見る能力、全体で生きる能力を失いすぎた。私たちの大半は、分裂し専門化し断片化した文明と教育制度の申し子であり、理性だけを唯一信頼できるものとして参照している。
(・・・)
 だが子どもたちはまだ「壮麗さや秘密の印」を見ることができる。」

◎映画『キリエのうた』

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