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ジョナサン・ゴットシャル『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』

☆mediopos2934  2022.11.29

「陰謀論」という物語がある
これだけをとってみても
「物語」をただ信じ
それに従ってしまうのは危険だというのがわかる

「陰謀論」があるという物語を信じることも
「陰謀論」とされる内容の物語を信じることも
どちらにせよそれぞれの根拠は
それぞれの「物語」にあり
それらの物語をただ信じるのは短絡的な思考からくるものだ
片方を正しいとすれば片方は間違っているというように
白か黒かということになる

すべては相対的であるというのではない
相対的にみてみるという行為は不可欠だが
相対的にみているだけではなにもわからない

重要なのはおそらく
じぶんが選択しそれに拠っている物語について
もちろんその逆に選択していない物語についても
それぞれを多視点的にみることで
じぶんがどんな物語を選ぼうとしているのかを
意識化することだろう

またあえてじぶんの選んだ物語について
それを絶対的に正しいとするのではなく
新たに別の視点が得られたときには
その視点のもとに物語を吟味する必要がある

またどうしても「悪」としか思えない
じぶんとは別の物語があったとしても
それをじぶんとは無関係だとも思わないほうがいい
「悪」とは「時季外れの善」だという視点もあり
その物語が別の「時季」に置かれたとき
別の様相が見えてくることもあるからだ

しかしとりあえず重要なことは
世の中で「あたりまえ」「そういうものだ」
とされている物語の多くを疑ってみることだろう
それらの物語の多くは教師や政治家やメディアから
一方的に垂れ流されていて
それはその背後にある思想や権力や利権によって
操作されていることが多いからだ

それらの物語の多くは
組織の命令に従う数多くのアイヒマンによって
語られ実行されている
やがてアイヒマンの罪が明らかになったときも
アイヒマンは「命令に従っただけだ」というばかりだろう

アイヒマンにはアイヒマンの物語があり
その物語を生きているだけだが
尊厳と自由を持とうとするならば
そんなアイヒマンにはならないことを選択することだ

■ジョナサン・ゴットシャル(月谷真紀訳)
 『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』
(東洋経済新報社 2022/7)

(「序章 物語の語り手を絶対に信用するな。だが私たちは信用してしまう」より)

「たしかに、ナラティブは私たちが世界を理解するために使う主要な道具だ。しかしそれはまた、危険なたわごとをでっちあげる際の主たる道具でもある。
 たしかに、物語にはたいてい、向社会的な行動を促す要素がある。しかし悪と正義の対立という筋立て一辺倒であることによって、残酷な報復を求め道徳家ぶって見せたい私たちの本能を満足させ、つけあがらせるのもまた物語だ。
 たしかに、共感を呼ぶストーリーテリングは偏見を克服する最高の道具になる。しかしそれはまた、偏見を作り上げ、記号化し、伝えていく方法にもなる。
 たしかに、人間社会の善なる部分を見出すのに役立った物語の例は数えきれないほどある。しかし歴史を顧みれば、悪魔的な本性を召喚してしまったのも常に物語だった。
 たしかに、物語には種々雑多な人間たちを引き寄せて一つの集団にまとめ上げる、磁石のような働きがある。しかし物語は異なる集団同士を、ちょうど磁石の斥力のように反発させ合うのにも中心的な役割を果たす。
 このような理由から、私はストーリーテリングを人類に「必要不可欠な毒」だと考えている。必要不可欠な毒とは、人間が生きるために必須だが、死にもつながる物質をいう。例えば酸素だ。呼吸するすべての生き物と同じように、人間は生きるために酸素を必要とする。しかし酸素は非常に危険な化合物でもあり(ある科学者は「有害な環境毒」と言い切っている)、私たちの体に与えるダメージは一生の間に累積すると相当なものになる。」

「物語が全人類を狂気に駆り立てている、という私の言葉が意味するのは、次のようなことだ。私たちを狂わせ残酷にしているのはソーシャルメディアではなく、ソーシャルメディアが拡散する物語である。私たちを分断するのは政治ではなく、政治家たちが楔を打ち込むように語る物語だ。地球を破壊する過剰消費に私たちを駆り立てているのはマーケティングではなく、マーケッターが紡ぎ出す「これさえあれば幸せになれる」というファンタジーだ。私たちが互いを悪魔に仕立て上げるのは無知や悪意のせいではなく、善人が悪と戦う単純化された物語を倦むことなくしゃぶり続ける、生まれながらに誇大妄想的で勧善懲悪的なナラティブ心理のせいだ。」

「政治の分極化、環境破壊、野放しのデマゴーグ、戦争、憎しみ─文明の巨悪をもたらす諸要因の裏には必ず、親玉である同じ要因が見つかる。それが心を狂わせる物語だ。本書は人間行動のすべてを説明する理論ではないが、少なくとも最悪の部分を説明する理論である。
 今、私たちがみずからに問うことのできる最も差し迫った問いは、さんざん言い古された「どうすれば物語によって世界を変えられるか」ではない。「どうすれば物語から世界を救えるか」だ。」

(「第5章 悪魔は「他者」ではない。悪魔は「私たち」だ」より)

「歴史上の悪者と加害者に対して、私たちは共感をもって想像することができない。奴隷商人、異端審問官、アメリカ大陸征服者、虐殺者たちに対しては、神の恩寵がなければ自分がああなっていてもまったくおかしくなかったということを私たちは認めようとしないだろう。悪魔は「他者」ではない。悪魔は私たちだ。彼は同じ環境に生まれていれば私が——あなたが——なっていたかもしれない人物なのだ。」

(「終 章 私たちを分断する物語の中で生きぬく」より)

「最も重要な一歩は、私たちを分断する物語の中を歩くためのもっと寛容な規準を作ることだ。私は次のように提案したい。

  物語を憎み、抵抗せよ。
  だがストーリーテラーを憎まないよう必死で務めよ。
  そして平和とあなた自身の魂のために、物語にだまされている気の毒な輩を軽蔑するな。本人が悪いのではないのだから。

 自動的に物語を消費し制作する私たちの脳のあり方をコントロールするのは難しいだろう。結局は失敗する可能性もある。人類という種の誕生にひと役買ったストーリーテリングの本能は、私たちに牙を剝き絶滅させるかもしれない。だが、もし危険が実在せず、解決策が簡単に手に入るようなら、英雄は必要ない。
 勇者たる読者よ、これが冒険への誘いというやつだ。」

〈目次〉

序 章 物語の語り手を絶対に信用するな。だが私たちは信用してしまう
第1章 「ストーリーテラーが世界を支配する」
第2章 ストーリーテリングという闇の芸術
第3章 ストーリーランド大戦
第4章 「ニュース」などない。あるのは「ドラマ」のみである
第5章 悪魔は「他者」ではない。悪魔は「私たち」だ
第6章 「現実」対「虚構」
終 章 私たちを分断する物語の中で生きぬく

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