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ピエール・アド『生き方としての哲学/J.カルリエ、A.I.デイヴィッドソンとの対話』

☆mediopos2744  2022.8.31

ピエール・アドの著作については
『イシスのヴェール』につづいて
少し前に『ウィトゲンシュタインと言語の限界』を
このmedioposでとりあげているが
本書はおもに古代哲学を引き合いに出しながら
自伝的に語られた哲学についての対話である

『生き方としての哲学』というタイトルや
繰り返し語られる「精神の修養」という表現は
アド自身そして訳者さえも語っているように
たしかに「あまり魅力的ではない」が

ここで意図されているのは
「哲学とは情報を与えるものではなく、
精神を育成してゆくものであるということ」であり

「修練とは実際に精神を、
そしてものを見る目を変容させる訓練であって、
日常の見慣れたものを新しい視線で眺め直すこと」である

そうすることでアドは
「哲学の論理の基盤をなしている
ある種の語りえない直観とも言える」
「特定の宗教のドグマや形式的な祭礼を通したものとは
異なった一種の神秘の感覚」を見いだしてきた
そんな自らの哲学者としての「生き方」を語っている

先日来このmedioposで
哲学研究とは異なった
ほんらいの哲学とはいったいなにか
研究や科学とは異なった
ほんらいの学問とはいったいなにか
について考えようとしてきたが
このアドの自伝的対話は
まさにそうした問いかけの核にあるものについて
古代哲学者などの「生き方」を通じて問いかけている

アリストテレスは哲学は「驚き」からはじまり
西田幾多郎は「悲しみ」からはじまると示唆しているが
それらと通底しているようにアドはこう語っている

「世界を初めて見るかのように見ようと努めること、
それは私たちが物について抱いている
習慣的で日常的な見方から脱すること、
現実に対する生のままの素直な見方を再発見すること、
したがって普段は見逃している世界の見事さに、
はっと気づくことなのです」

まさに「現在に生きること」
つまり
「世界を最後に見るかのように」
「初めて見るかのように見る」ということ

それは知識を積み重ね
体系的な知を構築するということではなく
つねに新しい今を生きながら
問い続けるということにほかならない

■ピエール・アド(小黒和子訳)
 『生き方としての哲学/J.カルリエ、A.I.デイヴィッドソンとの対話』
  (叢書・ウニベルシタス 1138 法政大学出版局 2021/12)

(「訳者あとがき」より)

「本書には、他書にも見られるように、ヘラクレイトスに始まり、ソクラテス、アリストテレス、プラトン、プロティノス、エピクロス、ルクレティウス、キケロ、セネカ、そしてエピクテトス、マルクス・アウレリウス等々、多数の哲学者の名が現れる。そしてそれぞれが、神、人間、倫理、社会、そして自然についての考察を行っている。しかしその多様な思想家のなかにアドが見る視点には、一つのメインテーマ、そしてそれを取り巻くようないくつかのサブ・テーマがあるのがわかるだろう。まず本書のタイトルに見る「生き方としての哲学」である。このタイトルは、著者本人も認めるように、あまり魅力的ではないかもしれない。本書でよく使われている「精神の修練(exercice spirituel)」も、ただの徳育と思われる可能性がある。それを承知の上でアドはこれらの言葉を使っている。哲学とは情報を与える(informer)ものではなく、精神を育成してゆく(former)ものであるということ、また修練(exercice )とは実際に精神を、そしてものを見る目を変容させる訓練であって、日常の見慣れたものを新しい視線で眺め直すことなのである。マルクス・アウレリウスの『自省録』(ta eis heauton)は「抽象的に終わってしまう哲学の言述を自分自身のなかに復活させるため」だった、そしてアリストテレスが言ったように「学問がわかるためには、それらの言葉が、いわば一つの根から出て来て生い茂るように相互に結び合わなければならないが、そのためには時間を要する」のである。」

「哲学の論理の基盤をなしているある種の語りえない直観とも言えるものを、アドは古今の多様な哲学者や文筆家に感じ取っていた。その感覚は、(…)彼の「大海原にいる感覚」」とも重なり合う感覚、特定の宗教のドグマや形式的な祭礼を通したものとは異なった一種の神秘の感覚だったのではないだろうか。その感覚は、彼自身、説明に困難を感じるものだった。それはキリスト教における人格神との出会いではなく。またプロティノスにおける全一者への帰入と合一でもないのだ。それは日常見慣れたもののなかに、あるいはそれらを通して無限なもの、あるいはその本質となるものを感じ、自分自身もその一部なのだ、と感じる瞬間だった。
 しかしこの感覚はアド自身にとっても希少な経験である。それは日常のものごとから、その習慣的な姿、感覚的知覚の表面を一瞬透過して、その本質に迫ろうとすることであって、それが彼の哲学の方法の根底にあったと言えるだろう。哲学は言語による体系の構築ではなく、自分の周囲のものを素直な目で見直すことだという、(…)ベルクソンの言葉が彼の指針になっているのはそのためである。言い換えればそれは初めて見るかのように、あるいは最後に見るかのようにものを見るということ、あるいは視点を変えて高所からの全景の一部としても見ることだとアドは言う。またアドの文章には「この日を摘め(Carpe diem)というホラティウスの言葉がしばしば見られ、それは「死を忘れるな(Memento mori)」と対比されるが、彼にとって死を意識することはむしろ現在の生を意識することであった。このことは、より日常的なレベルでは、他者のなかにあって他者と繋がりながら一個の主体である自分を見いだすことでもあり、このことが、他者との動きのなかで動的に形成されていく自己という古代のモデルに、アドが見ようとしたものでもあったと思われる。」

(「第六章 精神の修練としての哲学」より)

「アーノルド・I・デイヴィッドソン 哲学の視点から見た精神の修練とは何でしょうか?(…)
 (…)
(ピエール・アド)
 精神の修練に関して私が著書で一般的に語ったことが、私がそれを避けようと努めたにもかかわらず、次のような印象を与えかねないものでした。つまり、精神の修練とは哲学の理論や哲学の言述に付け加えられるものだ、という印象です。修練とは実際には哲学全体であって、それは教育的言述であると同時に、われわれの行動の指針となる内面的理念でもあるのです。確かに修練とは、むしろ内面の言論のなかで、またそれによって実現されるものです。(…)しかし外的な言述、教育の言述のなかにも精神の修練はあります。(…)プラトンが対話篇を書いたとき、アリストテレスが講義をしてその講義録を公けにしたとい、エピクロスが書簡をまとめその複雑で長い自然論を起草したとき——不運なことにそれはヘルクラネウムで発見された小片群の形で断片的にしか残っていないのですが——これらいずれの場合も、哲学者が一つの学説を展開していることは確かです。しかしその展開はある種の方法、すなわち情報を与えるというよりは育成するという方法で行なわれているのです。すでに話したように、哲学的言述はしばしば学問教育の方法と関連して、問いに対する答えの形で表されています。たんに知識欲を満たすためであれば、ある問いに対してある答えを与えれば十分でしょう。しかし多くの場合、特にアリストテレスにおいては特徴的ですが、学者は問いに対してすぐには答えず、答えをもってくるために多くの回り道をします。プラトンの対話篇においても、またプロティノスの場合も同じです。彼らは証明をいくたびか繰り返しさえします。この回り道と繰り返しはまず論理的思考を会得するためですが、また同時に探求の対象が、アリストテレスが言ったように、ついには完全に内面化することです。この訓練の意義はソクラテス的対話と呼ばれるもの、そして結局はプラトン的対話でもあるものにおいて明らかで、そこでは問いまたは答えが個人のなかに疑問を生じさせ、さらには感動を、そして反発さえも引き起こすとプラトンは言っています。この種の対話は一種の苦行であって、議論の気息に従わなければならない、つまり第一には、他者に自己表現の権利を認めること、第二には、明白な証拠があるときにはそれに賛同すること——これはひとが間違っていることが分かったときには難しくなります。——そして第三には、対話相手たちの上に、ギリシア人がロゴスと称する規範、どんな場合にも客観的であろうとする言述を認識することです。このことはソクラテス的論法的には確かに当てはまりますし、いかなる理論的と称される論説も、特に弟子たちに対して精神的生き方の教育を目指すものにおいては真実なのです。それはより劣った理屈、とくに感覚的証拠や感覚的知識を超えて、純粋な思考と真理への愛に向かって上昇しようとすることです。理論的説明に精神的修練としての価値があると私が考えるのはそれゆえなのです。理論的説明は、聞き手が同時に内的な努力をしないかぎり完全ではないというのも本当でしょう。プロティノスの言葉を例にとるなら「人は情念と肉体から解脱しないかぎり、魂の不死を理解することはできない」のです・」

(「第七章 生き方としての哲学、知の探求としての哲学」より)

「(ピエール・アド)
 哲学的な生き方というのは、まさに単純に、哲学者の日常の振る舞いなのです。」

「この日常生活の問題は、古代哲学にとってなかなか複雑でした。最近エピクテトスの『手引書』を研究したのですが、残された『語録』(Entretiens)と同様に『手引書』においても、エピクテトスは時々矛盾した方法を助言しているようであることに気がつきました。ニコポリスで彼が教えていた生徒たちは、若く、その多くは裕福で、政治家への道を選ぼうとしていました。しかし学校にいる間は、彼は生徒たちに最も厳格な哲学を実践するように指導していた。つまりこんなふうに言ったのです。女の子をおいかけてはならない、食事は控えめにしなければならない等々。すべての勧告がいわば厳格主義の勧告です。これを私は、宗教的生活のために修道院に閉じ込められている修道士見習士、しかしその後は世間に送り出されてゆく若者たちのようだと考えました。エピクテトスの生徒たちもやがて出てゆくので、彼らが家に帰ったときに何をするか、エピクテトスは予見していた、だからエピクテトスは、宴会に出席するときの作法、劇場での作法、政治家としての心得まで助言しています。これは理論的には世間から隔離していなければならないが、しかし実際のは世間の戻って他者とともに日常生活をしなければならない哲学者の問題なのです。この領域でソクラテスはつねに模範でした。プルタルコスが正しくも語ったみごとな文章を私は思い出します。ソクラテスが哲学者だったのは教団に立って教えたからではなく、友人たちと歓談し、彼らと楽しんだからであると。彼は市民の広場にも出かけて行き、そして最後には模範的な死に方をした。ですからソクラテスの真の哲学は、彼の日常生活の実践だったのです。」

(「第十章 いま在ることがわれわれの幸福」より)

「(ピエール・アド)
 現在に生きること、それは世界を最後に見るかのように、そしてまた初めて見るかのように見る、ということでした。世界を初めて見るかのように見ようと努めること、それは私たちが物について抱いている習慣的で日常的な見方から脱すること、現実に対する生のままの素直な見方を再発見すること、したがって普段は見逃している世界の見事さに、はっと気づくことなのです。世界の光景が不意に突然目の前に現れたら、人間の想像力はこれ以上見事なものを着想することはできないだろう、とルクレティウスが言ったとき、彼が努力してえようとしたのはこの経験でした。そしてセネカは、世界を眺めるときに彼の心を打つ驚愕の念を語り、この世界はまるで自分が初めて見ているかのように思われるときがしばしばある、と語っています。」

「結局のところ、世界はおそらくすばらしくもあり、ときには残虐でもあるが、何よりもそれは謎である、ということでしょう。賛嘆の心は驚きとなり、啞然とさせ、恐怖にさえなりえます。ルクレティウスは、エピクロスが開示してみせた世界のヴィジョンについてこう言っています。「この光景を見ると、一種の神聖な歓びと恐怖の震撼が私を捉える」。神聖な歓びであると同時に畏怖でもあるものは、たしかに世界に対する私たちの関係の二つの要素です。しかし私が知る限り、この文章は、人間の経験のこうした次元に言及している古代では唯一のものです。さきに話したセネカの驚きを加えるべきかもしれません、いずれの場合もこの畏怖の戦慄は、ゲーテのファウストが、現実の謎めいた性質を前にしたときに人間が感じる聖なる畏怖と言っているものの前兆だと言えるでしょう。そしてそれは、世界に対して私たちが抱く意識が強化されたものであるがゆえに、「人間性の最高の部分」(であるとゲーテのファウストは言っています。近現代の思想家たち、シェリング、ゲーテ、ニーチェ、フーゴー・フォン・ホフマンスタール、リルケ(その「第一の悲歌」には「美は畏れの始まり以外の何ものでもない」とある)、そしてメルロ=ポンティもまた、世界の実在のうちには不思議と神秘があるということを、古代の人々よりもいっそうよく説明し、またいっそう強く感じていたのです。人はこの聖なる畏怖を意識的に生み出すわけではありませんが。その感覚に捉わけら稀な機会には、そこから逃れようとしてはならない。私たちは言葉にならない存在の神秘に直面する勇気をもたなければならないのです。」

《目次》

はじめに
第一章 教会の法衣のもとで
第二章 研究・教育・哲学
第三章 哲学の言述
第四章 解釈・客観性・誤読
第五章 合一体験と哲学的生
第六章 精神の修練としての哲学
第七章 生き方としての哲学、知の探求としての哲学
第八章 ソクラテスからフーコーまで──ひとつの長い伝統
第九章 受け入れがたいもの?
第十章 いま在ることがわれわれの幸福
結びとして
訳 注
訳者あとがき
人名索引

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