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「インタビュー 松波太郎「コトバのカラダにハリを打つ」」 ( 佐々木敦 (編集)「文学ムック ことばと vol.4」

☆mediopos-2570  2021.11.29

佐々木敦編集「文学ムック ことばと」の
vol.4の特集は「ことばとからだ」

特集のなかに
小説家であり臨床家でもある松波太郎への
佐々木敦のインタビューがある

インタビューの前に松波太郎に
佐々木敦が全身ハリを打ってもらい
その後でインタビューが行われた

それで題が
「コトバのカラダにハリを打つ」」

佐々木氏曰く
「言葉の中にも身体的要素はあるし、
身体と呼ばれているものの中にも
言語的な要素は当然ある」という

ハリを打つのは
いわゆる対症療法的な西洋医学ではない
探りながらツボを見つけたうえで
ツボだけに対症的に働きかけるのではなく
からだぜんたいの働きをバランスさせてゆく

からだは機械ではないから
故障したところを修理する
または取り替えるようなものではない
症状はからだ全体のなかでとらえる必要がある

ことばもまた記号ではないから
記号を使って論理を表現し
間違ったところを訂正していけば
ことばとして生きたものになるわけではない

ことばが病むときにも
(じぶんでは病んでいることがわからなかったりするが)
病んだことばだけに働きかけても
ことばぜんたいの働きをバランスさせることはできない

健康のためにからだを動かすような仕方もあれば
病を癒やすようにからだを癒やすような仕方もあるように
気分を良くするためのエンターテインメントとして
ことば(小説など)を享受することもあれば
魂にはたらきかけ成長の糧にするようなことばもある

からだをどのようにとらえるかは
ことばをどのようにとらえるかに似ている

からだのことば
ことばのからだ
という視点から
からだとことばをとらえるとき
そこからひらかれてゆく世界がある

■「インタビュー 松波太郎「コトバのカラダにハリを打つ」」
 ( 佐々木敦 (編集)「文学ムック ことばと vol.4」2021/10 所収)

(ことばと編集長 佐々木敦 巻頭言より)

「特集は「ことばとからだ」です。
 言葉と体、言語と肉体(ここは「身体」でなく敢えて「肉体」と記したい)は、どんな風にかかわりあっているのか、あるいはまた、かかわりあえるのか。
 最初に思いついたのは、文字通り「ことばとからだ」という言葉だけでした。
 それから時間を掛けて肉づけをしていって、こんな特集になりました。
 他の頁も、これまでと同じく、すべてが響き合っています。
 雑誌とは、それ自体、ひとつの体のようなものだと思います。
 このからだに、触れてください。」

「インタビュー 松波太郎(聞き手 佐々木敦)「コトバのカラダにハリを打つ」より」

「佐々木敦/本日はありがとうございます。松波さんが院長をされている「豊泉堂」で施術を受けてから、小説家としての松波太郎氏にインタビューするという、おそらく前代未聞の企画です。今、ちょうど施術が終わったばかりで、僕はこんなに本格的に全身にハリを打ってもらったのは数十年ぶりだったのですが、最初に記入した予診票をもとに丁寧に説明してもらいながらの施術で、自分で考えた企画とはいえ、これはもう役得としか言いようがない(笑)。
松波/患者さんが言ったことをうのみにしない、信用しすぎない、訴えのとおりにある程度、肩が痛いなら肩もやってあげないと満足はいかないと思うんですけどね、根本だは肩に来ているのはかなり遠隔のツボだったりということがよくあるので、そのへんはある意味アドリブで手で触りながら。いわゆるツボというのがあるんですね。でも、ツボを見つけて万歳ではなくて、真ん中を打ちすぎると、野球で喩えるとストライクゾーンをやりすぎると、当たりが強すぎる場合もあるんです。」

「佐々木/一般的には言語と身体って対立概念だと思われがちだと思うんですが、そんなことないんじゃないかと。言葉の中にも身体的要素はあるし、身体と呼ばれているものの中にも言語的な要素は当然ある。そこの交叉点みたいなことを特集で扱えないかと考えたんです。そうすると、松波さんはこの特集にドンピシャなんですよね。だから小説もお願いして、こうして自分が施術してもらってからお話をうかがおうと。これは我ながら素晴らしいアイデアを思いついたかなと。」

「佐々木/誰しも持って生まれた体があるわけですが、意識的じゃない部分も含めて、こういう体になってきて、今はこうです、という状態があったときに、そこで小説を書こうとすると、この体であるがゆえにこうなるんだ、という「こうなるんだ」に対して、そこで無理をして自分の体に合っていない理想像とかモデルを設けて無理やりやろうとすると、体を言葉が裏切ることになる。だから無理をしない、みたいなことになるんだと思うんですけど、でも一方で、それ自体がけっこう無理になるというか。」

「松波/本当に全体を治すということを考えると、まったく実験的や奇を衒っているように受けとめられるかもしれないけど、たぶんそれはまったくわからない。なんでここを触られているんだろうと思いますよね。ここにハリを打つことで、こっちの熱が引いていく、こっちに移っていく、和らいでいくっていうことが、体感として後からわかってきると思うんですよ。まずそこの目線に立てるかどうか。そうはいってもここを触られたい、ここは読みやすくてよかった、だけで症状が消えていく人もいるので、そういう人は放っておけばいい。そんなに重症じゃないんですよ。本当に重症の人というのは、なぜそこを触るのとか、なんでこの文体で来るのとか、なんでこういう書き方をされるのみたいなほうが、混乱しているようであって実はそれが認知症予防になっているかもしれないし、自分の思い描くストーリーのとおりに作品が運んでいけば読む側としてじゃ気持ちがいいかもしれないけれど、認知症予防にはならないと思うんですよね。自分の中で物語を作っているとおりに作品が流れ込んでくるだけだから。
佐々木/なるほど。ずっと同じ本を読んでいるだけになっているという。
松波/その裏をかかれることで、ここらへんがはっとさせられるとか、首の詰まりが楽になるとか。それは本人からすると気持ち悪かったりもすると思います。予定していたものがまったく違うところに話が進んだりしていくと。でも総合的な目で、もうちょっと一か月単位とかで見ると、そのときの嫌な気分とか。それも結果としては体にいい。その目線に作家側も立てるかどうかですね。
佐々木/それはすごい重要ですね。
松波/マッサージ的な気持ちよさで読者が「これが読みたい」というのだけ、肩だけをグリグリやって「ああ、気持ちいい」だけで帰しちゃう、そうしたら一か月後にもっとひどくなって、もっとエンターテインメントを求めるようになると思うんですよ。もっと強めに同じしますということになる。
佐々木/そこだけ揉んで内出血しちゃいました、みたいな。
松波/そういうことです。だからその場で嫌われたり、その場であんまり意味がわからないとか言われても、一か月後、一年後、あるいは自分が亡くなってから、評価されるというのもあれだけど、読者の体のために何かしら繋がっていることが伝わるというか。」

「佐々木/さっき施術していただいているときに、鬱病の話をしたじゃないですか。今はいろんな意味で心の病の時代だと思うんですけど、薬でなんとかなっちゃうというのがあるにはある。精神分析が衰退して精神医学のほうがヘゲモニーを握っているという現状があって、でもその一方で、精神分析に代表されるような、コミュニケーションの病をどうやって解消させるのかという問いは今でも有効だと思うんですよね。西洋医学と東洋医学の対立も、そういう感じがある。いわゆる「泣けるなんとか」みたいな、サプリメント文学みたいなの今は趨勢として強いから、そうじゃないほうの価値や意味付けを失われつつある病態の中にいかにして回復させ得るのかというのが文学の問題としてある。僕は文学の歴史的、制度的な、観念的な権威性みたいなものってすごく嫌だと思っているのだけれど。もう一方でやっぱり文学という言葉でしか捉えられない何かがあるよね、みたいな気持ちもあって、そこは両面なんだなというふうに思いますね。単にいい気持ちになりたいとか、クサクサするからスカッとしたいということだけだったら、そのための小説もあったりする。そうではないものをやろうとすると、途端にややこしくなる部分もあるし、反応がビビッドじゃなかったりとか、手応えを得るのが難しい。でも、だったら全部薬でいいじゃんということになるわけで、それだと重要なものが失われてしまうのではないか。だからこれは本当に東洋医学的な思考が教えてくれることなのだと思いました。」

「松波/言葉でそのまま言語化されちゃうようなものでは、結局はやっぱり解消されないですよね。スッキリしたいからスッキリした内容が書かれているものを読めばいいというわけではないし。
佐々木/そのときはそれでいい気もしたりするのかもしれないけれど。」

◎「文学ムック ことばと vol.4」目次

【巻頭表現】
菅原睦子「大丈夫、聞こえているよ。」

【創作】
上田岳弘「領土」
東山彰良「REASON TO BELIEVE」
古川日出男「太陽 The Sun」
マーサ・ナカムラ「人形師」

【特集 ことばとからだ】
◎小説
金原ひとみ「アイ ドント スメル」
戸田真琴「海はほんとうにあった」
藤野可織「心臓」
松波太郎「あカ佐タな」

◎対談
千葉雅也×村田沙耶香「水槽の中のからだ/水槽の中のことば」

◎インタビュー 松波太郎「コトバのカラダにハリを打つ」

【第三回ことばと新人賞】
笛宮ヱリ子「だ」

【翻訳】
トリスタン・ガルシア「地球外存在」(小嶋恭道訳)

【本がなければ生きていけない】
小田原のどか「本にまつわるエッセイ」
和田彩花「「本が好き」のためらい」

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