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佐野元春 & THE COYOTE BAND『今、何処』

☆mediopos2799  2022.7.17

7月6日に発売されたばかりの
佐野元春とザ・コヨーテバンドの『今、何処』を
この10日間ほど毎日のように聴いてる

佐野元春を聴き始めたのは
ザ・コヨーテバンドとのアルバムからだし
それでもそんなに聴き込んできたというのでもないが
今回のアルバムには聴くごとに
深くシンプルに魂に働きかけてくるものがある

佐野元春は1956年生まれの66歳で
その歳なりの風貌になってはいるが
若い頃よりむしろ若く感じられる

真に成熟することは決して老いることではなく
むしろピュアなかたちで
新たなものが生まれてくるからだろう

オープニングにつづく
「さよならメランコリア」は
このようにはじまっている

イエスかノーか
  どっちでもなく
  白か黒か
  決まんないまま
  なんとなくHAPPY
  なんとなくBLUE
  曖昧なままのジェラシー
  そう、ぶちあげろ魂
  君の魂

そして

まにあいますように
  まだまにあいますように

でおわる

主題は

身近な未来越えた
  永遠のレボリューション

である

二項対立的なもののなかで葛藤している魂に
「永遠のレボリューション」を求めている

11曲目の「永遠のコメディ」には
こんな歌詞もある

すべては無常
  歩いてゆこう
  不完全な完全
  この永遠のコメディ

「永遠のレボリューション」は
矛盾に充ちたものであるがゆえに
それそのものが
「永遠のコメディ」でもあるのだろう

そして終曲の「今、何処」の前の
13曲目「明日の誓い」では
こう語りかけられる

それはただの理想だと人はいう
  でも理想がなければ
  人は落ちてゆく
  それはただの希望だと人はいう
  でも希望がなければ
  人は死んでいく

とてもシンプルで
一見青くさいメッセージのようだが
成熟した若さを体現している佐野元春の声は
「まだまにあいますように」と
こんな閉塞した時代のなかで
永遠のコメディでもあるレボリューションを求め
ともに歩きだすことを誘っているようだ

■佐野元春 & THE COYOTE BAND
 『今、何処』
(SMM itaku (music) 2022/7/6)

(佐野元春「ハートランドからの手紙」より)

「新しい音楽を奏でるバンドを組もうと集まったのが17年前。深沼、高桑、小松と初めてセッションをしたのは東京銀座の端にある音響ハウススタジオだった。2007年の夏だった。
 最初4人で始めたバンドはライブやレコーディングを重ねて自信をつけていった。そのうち藤田、渡辺が加わって6人となり、現在のコヨーテバンドとなった。
 元々独立心をもったミュージシャンでありタフな連中だ。さほど体型も変わらず、国から徴兵されることもなく、バンドとしてここまで無事に活動を続けられたのは幸運だ。
 本作はそのコヨーテ。バンドによる通算6作目のスタジオ・レコーディングだ。僕らはいつものようにレコーディングを楽しみ、冗談を競いあった。途中何回かのコンサートツアーを挟み、仕上げまでだいたい3年かかった。
 リリックはパンデミックや戦争という事態が起きる前に書いた。タイムマシンに乗って未来に行きそこでスケッチしたことを曲にしたような気分だ。但しポップソングなのであまり憂鬱なビジョンに引きずられないように気をつけた。
 その間、世界は狼狽した。疫病がはやり、大国が戦争を始めた。視界はぼやけるばかりで心許ない。まるで明日は我が身かと怯える人々の向こうで、奇を衒うように姿を変えたファシズムがざわざわと蠢いているかのようだ。
 その最中にレコ−ディングしたのが本作『今、何処』である。もしかしたら曲から透ける景色に硬い表情を見る人もいるかもしれない。音楽の愉楽よりリリックの意味に囚われる人がいるかもしれない。
 けれどここに集めた一曲一曲は言わば自分の大事な人に当てたラヴソングだ、ビタースウィートなフルーツであり、聴いてくれた人の心に愉快な電気を分ける発電機だ。クリックして、タッチして、僕らバンドと一緒に唄って、ダンスして、楽しんでほしい。車の中で、ベッドの中で、空の上で。とにかく僕が望むのは、時を超えて聴いてくれた人がグルーヴィーな気分になってくれること。それが叶ったら、他にもう欲しいものはない。
 この時代にロックバンドができることは細やかであるかもしれない。けれどロックバンドにしかできないこともある。僕らはその価値を知っている。それを信じていい音を鳴らし続けるしかない。アルバムを手に取ってくれた皆さんに感謝を。
 ありがとう。」

(青澤隆明「大事な魂の話をしよう、今こそ」より…)

「すべては魂の問題だ。つまるとらゆることはここにかかってくる。佐野元春からの「真新しい世界へ」の呼びかけに、聴き手の心はきっと自由に答えるだろう。それは、魂を謳うロック。しかも、スピリチュアルななにものかよりも、もっと生の実感、さまざまなライフの経験をもったそれぞれの心の話なのだ。
 「何も変わらないものはなにも変えられない」。1987年の佐野元春はそう痛烈に言いきった。「風向きを変えろ」と。あれから35年がめぐって、いま風は————つまり時代は————さらに閉塞し、不気味に停滞し、誰もが窒息しかかっている。イエスでもノーでも、光でも闇でもなく、すべては曖昧で、未解決のままだ。しかし、ほんとうのところ、それこそが人生の実感なのではないか。稀代のソングライターの成熟は、そのことを存分に明かしている。そのように街に生き、風に揺れる人々を省察し、明快な筆致でスケッチしてみせる。
 『今、何処』と問うこの新作には、新しいうねり、痛快なグルーヴがある。生の脈動と、ある意味意味穏健な咆哮が、それはもはや狂おしいユースの苛烈なシャウトではなく、その滾りをしっかり芯にとどめながら、さらに複雑な感情を多く呑み込んだ大人の吠え声である。だから、あたたかで、したたかで、しなやかで、しっくりと新しい。逞しい魂をやわらかに弾ませている。さらなる“奇妙な日々——STRANGE DAYS”を堂々とポップに歩きぬくための新たなステージ、私たちが今作に聴くのはその熱い息吹と、やさしくタフな意志である。「素朴にゆく道」だ。「この道」は充ち満ちている、コヨーテたちとの頑健な足どりのなかに。
 深く鐘を打ち鳴らすようなオープニングから、「さよならメランコリア」へ。抑制されたトーンで語り出される始まりの曲は、それこそ人生のパレードである。だが、「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に祝祭的な冒険心とは違う。もっと不穏な社会を生きぬくための、決してあきらめない魂たちにそっと寄り添う賛歌だ。かくしてアルバム冒頭から示される主題は、イエス/ノー、HAPPY/BLUE、始まり/終わり、生/死といったあらゆる二項対立、抗争状態を脱して、「身近な未来越えた/永遠のレボリューション」を探しに行く、魂の沸騰である。二項対立の超克というテーゼは、正義/悪、右/左の区別の無化というように、かたちを越えてアルバム『今、何処』に通底する。
 いっぽうには、魂がある。2003年の名曲「君の魂、大事な魂」から大切に敷衍されてきたように、それは佐野が長年謳ってきた「約束」という主題を反響させている。「愛」や「信じること」をともにして、そして、風が変化と時代の象徴として、魂に対比される。時代の傾斜は「下り坂」、「最後の時」に「時が朽ちる」黄昏を示し、たとえば「彼女が恋をしている瞬間」と鋭く対立している。
 だが、こうしたコンセプチュアルな構想設計を越えて、ここに響き出す音楽はポップで、いつもどこかやさしい。多様でありながら一体感に充ちたバンドサウンド、音の温かさ、やわらかさ、タッチの明朗さ、包み込むような質感は、詩の言葉の勇敢な平明さに十全に調和している。サウンドの骨格はしっかりと迷いなく、ポップ・ロックの多様な実りをふまえ、細部の意匠は煌びやかなアイディアを詰め込んでいる。ミュージシャン個々のプレイアビリティが自発的に織り込まれ、コヨーテバンド十数年来の成熟と愉楽を証している。エッジをぬくもりでしめたようなアルバム全体の音像も、この時代に大人がひらく懐を感じさせる。堂々たる構えだ。」

「佐野元春は、やさしく広く語りかける。「すべては無常」だが、「愛していこう」と。諦念もシニシズムも超えた地平で、今作の本懐が明朗に明かされるのは終局手前、「明日の誓い」としてだろう。「それはただの理想だと人はいう/でも理想がなければ/人は落ちてゆく/それはただの希望だと人はいう/でも希望がなければ/人は死んでいく」と佐野はかつてないほどシンプルに、わかりやすく説く。この輝かしい平明さのなか、心は高らかにひらかれてある。」

「『今、何処』は、異例な時期に生まれ見出された、特別な傑作である。しかし、それはそこにとどまるものではない。新たに出かけて行くための、自由な心は今もここにあると思い出させるからだ。
 寄りはまだ更けきっても、明けきってもいない。佐野元春の気高い魂は、今なお元気に吠えている。」

◎佐野元春 & ザ・コヨーテバンド
 『今、何処 - Where Are You Now』映像トレイラーhttps://www.youtube.com/watch?v=i2GStu0MMhM


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