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ミュリエル・ジョリヴ『日本最後のシャーマンたち』/中山太郎『日本巫女史』/セバスチャン・ボー/コリーヌ・ソンブラン『シャーマン 霊的世界の探求者』

☆mediopos-3084  2023.4.28

一九七三年から半世紀にわたって
日本に在住しているベルギー生まれの日本学者
ミュリエル・ジョリヴが
東北・北海道・沖縄・東京と
さまざまなシャーマンたちを訪ね歩きその実際の声を採録
その交流を記録したドキュメントである

日本で古くから存在してきた存在でいえば
「巫女」といったほうがいいかもしれないが
(古代から近代にいたる
「巫女」の歴史を記録したものとしては
中山太郎『日本巫女史』(一九三〇年)がある)

本書ではチャネリングといったものも含め
それらをすべてシャーマンとしてとらえている

それらは基本的に霊的存在との交信だといえるが
(潜在意識の回路を使ったものだともいえる)
本書ではそうした霊的な世界に関する
神秘学的な考察は見られない

基本的にシャーマンたちとの交流の記録であって
それ以上でもそれ以下でもない
貴重な記録ではあるが
本書で霊的認識が深められることはなさそうである

ぼく個人としていえば
神秘学的な観点での霊的認識に関しては興味があり
そうした認識を深める必要は不可欠だと考えてはいるが
かなり後年になるまで
現代でも身近なところに「拝み屋」的な存在が
いるということさえ知らずにいたし
チャネラーなるものが比較的多くいるということにも
ほとんど関心をもったことはなかった
そしていまだに「拝み屋」やチャネラーから
個人的に話を聞く必要を感じてはいない

事実として把握する必要があるのは
そうした人たちを必要としている人が
現代でも一定数存在しているということだろう

そうした人たちの「交信」の仕方は
なんらかのかたちでそれぞれの人の
意識のフィルターによってさまざまな形態をとっていて
その恣意的な意識の影響を深く受けてしまっている場合から
(歴史的な「巫女」がそうであったように
またエドガー・ケイシーといった例もあるように)
比較的深いところの意識のフィルターまで
できるだけ影響を受けないでいる場合までさまざまである

そうした霊的なありようを古代的なものとして払拭し
霊的世界の認識をできるだけ正確に得ようとしたのが
現代的な方法を示唆したシュタイナーの霊学であるともいえる
(とはいえ言うは易し行いは難しであるのはいうまでもない)
少なくとも霊的認識を得ることは
いわば「お告げ」を聞くといったことでも
「信仰」を手放さないといったことでもなく
みずからが霊的認識を深めるということにほかならない
そのことは基本的な態度として求められる

さて著者のミュリエル・ジョリヴは
本書のタイトルが「日本最後のシャーマンたち」とあり
「今後しばらくは奄美大島や沖縄では生き延びるだろう」
といっているように古代から継承されてきたものが
消滅してしまうことを危惧しているようだが

霊的認識のありようは
時代に応じて変わらざるをえない
歴史的な背景のもとに生き延びる必要のあるものは残り
そうでないものは消滅していくことにもなるのだろう

とはいえ現在は世界各地で
シャーマンや魔女たちが闊歩しはじめている印象もあり
必要なのはそうした存在に対して
いかにみずからが「審神者(さにわ)となり得るか
ということだろう

そうでなければ
霊的なものに振り回されてしまうことにもなり
その反対に霊的なものを拒絶してしまうことにさえなる
重要なのはその「あいだ」にあって
みずからの認識の器を柔軟にひらいておくことなのだから

■ミュリエル・ジョリヴ(鳥取絹子訳)
 『日本最後のシャーマンたち』(草思社 2023/2)
■中山太郎『日本巫女史』(国書刊行会 2012/6 ※初版一九三〇年)
■セバスチャン・ボー/コリーヌ・ソンブラン
 (島村一平 (監修)・コスタ吉村花子訳)
 『シャーマン 霊的世界の探求者』(グラフィック社 2022/1)

(ミュリエル・ジョリヴ『日本最後のシャーマンたち』〜「序文」より)

「人生は長く、そして静かな大河であることは決してない。みんなそれぞれに体験するように、私が辛い思いをしていたときや、大切な友人が大変なとき、日本の友だちはきまって私に、誰それさんのところへ行けばいろいろなことがわかって楽になるとすすめてくれた。誰に相談したらいいのかわからないとき、好奇心も手伝って、私も神さまと交信できるというシャーマンに会いに行くことがあった。そんな女性たちが仕事場にしていたのは、東京の郊外だったこともあるが、私が会ったシャーマンのように都心の大きな駅の近くに居を構えている人もいて、彼女は私に、急須にお茶を入れるようにごく自然に————しかも私から頼んでもいないのに————どうしたら私が自分の指で人の身体や写真を透視し、身心で痛みのある部分を当てられるかを教えてくれた(以来、私は娘に飼い犬を透視してほしいとせがまれている!)。」

(ミュリエル・ジョリヴ『日本最後のシャーマンたち』〜「結論 最後のシャーマンを称えて」より)

「私は本書のサブタイトルを「もしそれが本当だったら?」にすることもできただろう。いずれにせよ、私がこの本を心から書きたいと思ったのは、なによりシャーマンがいなくなると、日本人の魂の一部も消えることになると思ったからだ。今後しばらくは奄美大島や沖縄では生き延びるだろう、需要はいまも非常に多いからだ。しかしシャーマンは東北(青森県の八戸、恐山)でも、同じく北海道でも消滅の危機に瀕している。北海道ではレラが最後のアイヌのシャーマンで、東北でも、中村タケはこの地方で正真正銘最後のイタコと言って間違いないだろう。
 なによりも私の心を打ったのは、彼女たちが…自信にあふれていたことだ。彼女たちは自分たちの使命の重要さを一瞬たりとも疑っていなかった。それは人生につきまとう苦難への答えを求めて彼女たちのところに来る人たちを助け、苦痛を和らげ、その人生に意味を与えることである。私は幸運にも素晴らしい女性たちに接することができ、そのうちの何人かとは本当の友人になった。それだけで、この仕事に費やした私の努力が報われると思っている。」

「私がよく聞かれる一つの質問に答えるなら、これらの女性たち————私から見てシャーマンと思った人たち————からは、とくにトランス状態になったという印象は受けなかった。例外はたぶん、八戸のイタコの中村タケさんで、故人に「降りてください」と言って呼び出し、あの世の人と交流したときの声に、私は凍りついた。しかも彼女は私たちに、そのとき何を言ったか覚えていなうと言ったからなおさらだ。
 「序文」でも書いたのだが、私は東京の都心で、瞬時にトランス状態になって身体をひねって顔をゆがめ、そのあとで相談者の質問に答えるシャーマンに会った。しかし最近の情報では、彼女はそのあと気が狂った・・・・・・ということだった。」

「私が出会った人たちを二つの部類に分けてみよう。一つは子どもの頃から直感や、自分はどこか「変」で(とくにミカや肥後さんのケース)、人とは違うと思っていた人たちだ。もう一つは、白羽の矢が当たったように、突然(レラや鶴見さんのように臨死体験をしたあとや、石橋マリアやサダエさんのケース)、天から才能が「降りてきた」人たちだ。天から指名された人たちも、待ち受ける仕事の大きさに不安を抱いて呼びかけを断ると昏睡状態に陥り、使命を受け入れることで脱出できている(サダエさんのケース)。」

「たえず繰り返されたのは、時間も献身的行為も軽く見られることの多いこの役割を、誰一人もう背負いたくないと思っていることだ。なかには、自分の子どもたちに後を継ぐ熱意が欠けていることを嘆いている人もいるが(サチコさん、肥後さん)、ほかの人たちは、サダエさんのように、もうその話題については聞きたくも話したくもないと思っている。この仕事特有の犠牲的行為の大きさがわかっているからだ。「私は二四時間カミンチュだから、のんびりすることはまずない!」とサダエさんは言っていた。
 松田広子も著者で、収入が不安定なのでクレジットカードをつくることができないと説明している。」

「「顧客」から問いかけられるテーマは、私には今日的に見える。みんなそれぞれが味わった試練の意味を見出そうとしているからだ。ここで仏教の概念であり「定命」が提唱されると、人はもう寿命という言葉を考えず、人生はあらかじめ定められていると考える・・・・・・。子どもを亡くすのは辛いことだが、しかし人生の長さは前もって定められていると考えれば、苦しみは消えなくても、少なくとも後悔はなくなるだろう。」

「私が集めた証言は「エキゾチック」に見えるかもしれないが、西洋と比較してみたい思いにたえず駆られていた。」(引用者註:エドガー・ケイシーといった事例紹介)

◎ミュリエル・ジョリヴェ(『日本最後のシャーマンたち』著者)
ベルギー生まれの日本学者、1973年から日本在住。早稲田大学と東京大学で社会学を勉強、東洋学博士。上智大学外国学部フランス語学科の教授を34年間務めたあと、2017年から名誉教授。日本社会に関する著書多数。うち邦訳は『子供不足に悩む国、ニッポン』(大和書房)、『ニッポンの男たち』(筑摩書房)、日本向け書き下ろしに『フランス新・男と女』(平凡社新書)、『移民と現代フランス──フランスは「住めば都」か』(集英社新書)などがある。

◎中山太郎(『日本巫女史』著者)
1876‐1947年。栃木県出身。報知新聞社、博文館につとめるかたわら柳田國男に師事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

◎セバスチャン・ボー(『シャーマン 霊的世界の探求者』著者)
人類学者。スイスのヌーシャテル大学民族学研究所、
ペルーのリマにあるフランス・アンデス研究学院研究員。
シャーマニズムや、中央アンデス高地やアマゾン河流域における、
不確実性管理の実践を専門とする。
現在は、結集された知やその継承法についての研究を進め、
人の構築過程とトランス、向精神性植物、ニュースピリチュアリティ、
現実における経験への志向を扱っている。
研究は学習対象として確立している。

◎コリーヌ・ソンブラン(『シャーマン 霊的世界の探求者』著者)
旅行作家。モンゴルのシャーマンからシャーマンと認められ、
数年にわたり儀礼やトランスの訓練を受ける。
モンゴルのシャーマンのトランスについての、最初の科学的研究の端緒を開いた一人。
2007年以降、いくつもの研究に積極的に関わり、
あらゆる人間の脳がトランスを実現できること、
意志の力だけで到達できることを証明した。
2019年、フランシス・トレル教授とトランス科学研究所を設立。
この研究所は、現在、認知トランスと呼ばれるようになった潜在能力のメカニズム、
医療応用を探る研究者たちの国際的ネットワークである。

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