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C・G・ユング『ヨーガと瞑想の心理学 (ETHレクチャー 第6巻 1938-1940)』/『黄金の華の秘密』

☆mediopos3305  2023.12.5

ユングはスイス連邦工科大学(ETH)において
一九三三年から一九四一年にかけて
一連の講義をおこなっているが
その講義の内容がETHレクチャーとして
全8巻にまとめられている

本書は第6巻『ヨーガと瞑想の心理学』で
一九三八年から一九三九年の冬学期および一九三九年の夏学期
一九四〇年から一九四一年の冬学期の最初の二回の講義である

すでに第1巻の「近代心理学の歴史」
(一九三三年から一九三四年の冬学期に行われた講義)は
二〇二〇年八月に同じ創元社から訳出されている

本書第6巻は
東洋のスピリチュアリティに関する講義であり
アクティブ・イマジネーションに基づいた心理療法について
東洋の瞑想の行
とくにヨーガの伝統や仏教の行が説く瞑想に
その対応物を求めながら比較検討がなされてゆく

主要文献として講義に使われているテキストは
ヨーガの知識のもっとも重要な源の一つと見なされる
パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』
中国浄土教徒伝統の書『観無量寿経』
タントラ・ヨーガの経典
『シュリー=チャクラ=サンヴァラ・タントラ』の三つ

なお本書に関連した
東洋の神秘主義についてのユングの著作は
『黄金の華の秘密への注釈』
及び『クンダリニー・ヨーガの⼼理学』くらいであって
その意味でも貴重な講義となっている

ちなみにアクティブ・イマジネーションとは
夢や心理療法において用いられる手法のひとつで
夢を用いながら「意識の閾値を超えて現れる
ファンタジー的な知覚を意識化するもの」である
つまり「夢の継続をお願いするようなもの」

たとえばユングの『赤の書』では
「自分の夢やヴィジョンに登場した
人物像をもう一度想起して、それらと積極的に対話する
アクティヴイマジネーション」が記録されている

本書もある意味では『赤の書』にもつながる
「ユングによるイメージの書であり、その解釈の書」で
「ヨーガも瞑想も、彼の考える
アクティヴ・イマジネーションの一種であり、
それは能動性と受動性の狭間に生じる
心の活動として考えられている」(猪股剛)

しかしそこで考慮されていなければならないのは
西洋と東洋における心的なありようの違いである

たとえばユングは『黄金の華の秘密』を
「東と西の間に、内面的で心的な
理解の橋をかけようとする」ことを目的に著したというが
「西洋人が東洋のやり方をまねすることは、
二重の意味で悲劇的な誤り」となるという

典型的な意味においてではあるが
ユングは「東洋のスピリチュアリティの特徴として、
西洋が精神を中心としているのに対して、
身体に根ざして展開しているものであることも
繰り返し強調している」(河合俊雄)

それをあまり図式的にとらえすぎると
新たな錯誤も生まれてしまうことになるが
ある傾向性として理解しておく必要があるのは確かである

たとえば日本人が模倣を事とし
根幹にあるものをスポイルしがちであることも
さまざまなところでいまだに示唆され続けていることでもある

したがってこうした
アクティヴ・イマジネーション的なものを実践するときには
一人ひとりの根っ子にあるだろう心的な傾向性について
意識的であることが求められることはいうまでもない

■C・G・ユング
 (M・リープシャー 編集/河合俊雄 (監修)・猪股剛・宮澤淳滋・鹿野友章・長堀加奈子 (翻訳))
 『ヨーガと瞑想の心理学 (ETHレクチャー 第6巻 1938-1940)』(創元社 2023/8)
■C.G. ユング・リヒアルト ヴィルヘルム (湯浅泰雄・定方昭夫 翻訳)
 『黄金の華の秘密』(新装版)(人文書院 2018/4)

(C・G・ユング『ヨーガと瞑想の心理学』〜河合俊雄「監修者によるまえがき」より)

「本書は、ユングがチューリッヒのスイス連邦工科大学で一九三三年から一九四一年にかけて行った一連の講義の一つの記録である。(・・・)
 本書は東洋の実践的なスピリチュアリティに関連するものとして、『ヨーガ・スートラ』、日本人にもなじみの深い仏典である『アミターユル=ディアーナ=スートラ(観無量寿経)』、『シュリー=チャクラ=サンヴァラ・タントラ』の三つのテキストをかなり詳細に紹介して心理学的に解釈している。」

「ユングは「ヨーガはまさしく、インドで最も古い実践的な哲学」と述べているように、この三つのテキストを非常に実践的に、自分自身の経験に基づいて読んでいる。その背景にあるのは自分自身の夢や心理療法で用いる夢であり、アクティヴ・イマジネーションと言われるある種のメディテーションの方法である。ユングの『赤の書』は、自分の夢やヴィジョンに登場した人物像をもう一度想起して、それらと積極的に対話するアクティヴイマジネーションの基づいて成立したものである。本書でも「夢の継続をお願いするようなもの」として説明している。」

「ユングは、ヨーガのテキストに向きあうに際して、それを自らの経験から共感的に読んでいきながら、文化による違いを非常に意識している。「私たちが完全に無意識でいる多くの物事が、東洋では意識されて」いるとか、「東洋の人々は、教育を通じて、視覚化する能力を習得して」いると述べているのに対して、「その能力が私たち西洋人には欠けて」いるとさえしている。また、東洋のスピリチュアリティの特徴として、西洋が精神を中心としているのに対して、身体に根ざして展開しているものであることも繰り返し強調している。そこには西洋人にとって異質なものであるインドのスピリチュアリティに対するリスペクトが感じられる。しかし時には、やや一方的な対比の図式に当てはめすぎのように思われることもあるかもしれない・
 それと同時に、ユングが関心を持っていた錬金術などを参照すると、ヨーガと類似することも認められ、そこにはこころを深めていくなかで生じる出来事の普遍性が認められるのである。ユングは心理療法で生じてくるプロセス、特に結合を理解するために晩年は錬金術の研究に専心する。このヨーガのテキストを理解するためにも、本書においてユングは常に西洋における錬金術やドイツ神秘主義のマイスター・エックハルトのテキストなどを参照し、比較している。たとえばタントラのテキストと錬金術を比較すると、最初のシューンヤーター(空)はカオスに対応し、どちらにも山が出てきたり、ヴィハーラ(精舎)にはヘルメスの器が対応したりと、驚くほど重なっていることが本書で示されている。このように自分の経験からだけでなくて、西洋のコンテクスト、特に通常の哲学史や栗シスと今日などの表の伝統に隠れて続いてきた西洋の文化伝統に対応するものを見つけることから東洋のスピリチュアリティを理解しようとしているのである。しかしユング心理学になじみのある人にとっては、錬金術などの西洋のテキストをユングが解釈しているところの方がわかりやすくぴったりとするかもしれず、ヨーガのテキストには、西洋からのアナロジーでは汲み尽くせないものが認められる。」

(C・G・ユング『ヨーガと瞑想の心理学』〜「全体の序論」より)

「第6巻:ヨーガと瞑想の心理学(一九三八年から一九三九年の冬学期、および一九三九年の夏学期、さらに一九四〇年から一九四一年の冬学期の最初の二回の講義)

 一九三八年から一九三九年にかけての冬学期(一〇月二八日から三月三日までの15回)と一九三九年の夏学期の前半(四月二八日から六月九日間での七回)の一連の講義は、東洋のスピリチュアリティに関するものである。ユングはアクティヴ・イマジネーションという心理学的概念から話をはじめ、東洋の瞑想の行にその対応物を求めた。なかでも、さまざまなヨーガの伝統や仏教の行が説く瞑想に焦点が当てられている。ここでユングが解釈しているテキストは、最近の調査でが西暦四〇〇年前後の執筆とされ、今日のヨーガの知識の最も重要な源の一つとみなされるパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』、(・・・)『アミターユル=ディアーナ=スートラ(観無量寿経)』、そして(・・・)『シュリー=チャクラ=サンヴァラ・タントラ』である。
 ユングの他のどの著作にも、この三つのスピリチュアルなテキストに対するユングの見解を理解する上での重要さから言えば、この一九三八年から一九三九年の講義に比肩するものは、彼の『黄金の華の秘密』への注釈とクンダリニー・ヨーガ・セミナーだけだと言えよう。」

(C・G・ユング『ヨーガと瞑想の心理学』〜C・G・ユング「冬学期 第1講」より)

「アクティヴ・イマジネーションとは、意識の閾値を超えて現れるファンタジー的な知覚を意識化するものです。私たちの知覚には、ある種のエネルギーがあると想像しなければなりません。そのエネルギーにより、私たちの知覚はそもそも意識されるようになります。意識することは大きな成果であり。そのため、比較的長いあいだ意識的でいると、疲労してくるのです。そのときは、眠って回復しなければなりません。未開人は簡単な質問をされても、しばらくすると疲れ果てて眠くなります。放っておくと、彼らは何も考えず、座って無為に過ごし、眠りもせず、考えることもしません。頭の中ではないところで何かが起こっていて、それはまったく無意識的なのです。何を考えているのかと彼らに尋ねると、侮辱されたと考える人さえいます。彼らにとって「頭の中に生じてくるものを聞いているのは、気のふれた人だけ」で、彼ら自身はそうではないからです。私たちの意識が、実際にどのような夜から目覚めてくるのかを見てみましょう。
 心的な内容には四つの異なる状態があります。

意識       意識的知覚
閾値での知覚   意識の閾値を超える内容、
         それよりも下方は闇が支配している
         (裏の基盤での知覚)
個人的無意識   未知あるいは忘却された内容、
         しかし個人の涼気に属するもの
集合的無意識   他の時代にすでに考えられていた思考、
         最も興味深いのは、この最も深遠な内容であり、
         それは個人的に獲得されたものではなく、
         本能的で根本的なパターンとして、
         したがってカテゴリーの一種として、
         考えることができる」

「ヨーガの教えを概観する古典的なテキストは、紀元前二世紀に書かれた文法学者パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』です。これは他に例を見ないほど深遠な書物で、非常に多くの含蓄のあるアイデアを含み、ヨーガの極意を非常に簡潔な言葉で表現しています。そのため、翻訳はとても難しいのです。それは、合計一九五の教義を含む四つのテキストから成り立っています。」

(C・G・ユング『ヨーガと瞑想の心理学』〜猪股剛「解題 ワールド・メイキングとしてのイメージの展開/東洋と西洋、他者と自己の出会いと、心の生成 より)

「本書は、ユングによるイメージの書であり、その解釈の書である。ユングにとって、ヨーガも瞑想も、彼の考えるアクティヴ・イマジネーションの一種であり、それは能動性と受動性の狭間に生じる心の活動として考えられている。ヨーガと瞑想は、ユングの考えるイメージの自律的な活動の世界に連なり、彼の『赤の書』の取り組みに連なり、マンダラの発生や制作に連なり、おそらく、行為遂行的な(パフォーマンス的な)アート活動に連なっている。ユングは、そのイメージに献身し、そのイメージと対話し、そのイメージと共に生きることを通じて、ある種の「ワールド=メイキング」に携わっていく。もちろん、このワールド=メイキングとは、客観的で実証的な世界の創造のことであなく、心という現実において運動している世界の創造のことである。ユングの考える心理学は、この心という世界を実証的な世界に従属させることはなく、むしろ、一人ひとりの心のあり方をミクロな世界として理解して創造していく。そして、それはユングによって個性化過程と呼ばれる心理療法の作業となり、まさしくそれはその一人ひとりの世界の創造のプロセスだと考えられていく。私たちの現代社会は。共生社会を目指しており、多様性を許容するインクルーシブ・ソサイエティであることが求められているが、本来的な意味での共生とは、たった一つの世界にすべての人を包摂することではなく、一人ひとりの個別の世界が自律的に存在することであると考えられ、本書で試みられているッユングのワールド=メイキングは、そういう意味では民主主義的で、現代的な取り組みに連なっていくものかもしれない。」

「重要なのはヨーガを実践する人の心の国の創造であり、その国とアミターバ〔無量光/阿弥陀〕の国との一致である。だが、私たち日本人にとって阿弥陀の国と言われてしまうと、抹香の香りが漂いはじめて、死後の世界やこの世からの解脱といったものが思い浮かべられてしまう。しかし、そうした死後の世界や宗教的な信仰と、ここでユングが論じているものとは何ら関わりがない。重要なのは、死後ではなく。いまここで、自分のアイデアやファンタジーがリアルに具体的に存在しはじめることである。はじめはあいまいで茫洋としたイメージだったとしても、そのイメージに注意を向けて、それに関心を注いでいくと、そのイメージが次第にはっきりと現実性を持ちはじめる。私たちがイメージに関わることで、つまり、意識が無意識の世界に関わりを持つことで、一つひとつの世界がはっきりと具体的に思い浮かべられ、それが細やかな質感を帯びて、自律医的に存在しはじめる。このようなイメージとの関わりをユングはアクティヴ・イマジネーションと名付けて、自分の心理学手の実践の一つの到達点においている。そのような心理学的な世界創造をユングは、東洋の三つのテキストを解釈しながら、ここで講義しているんである。

(『黄金の華の秘密』〜C・G・ユング「ヨーロッパの読者のための注解d」より)

「ある古代中国の賢者はこう行っている。「正しい手段でも、誤った人間が用いれば、正しくなくなる。」この中国の格言は、残念ながら、正にその通りなのである。こういう考え方は、〝正しい〟方法はそれを用いる人間に関係なく正しいと考えるわれわれ西洋人の信念とは、きわだった対照をなしている。(・・・)すべて、中国的洞察は、完璧かつ純粋で真実にあふれた生き方に由来するものであって、奥深い本能的直観にもとづきつつ、首尾一貫して、本能的直観と離れがたく関連しながら成長してきた、あの太古の中国の文化的生から生まれ出ているのである。このような生き方は、われわれ西洋人には全く縁通りものであって。到底まねのできないものである。
 西洋人が東洋のやり方をまねすることは、二重の意味で悲劇的な誤りである。形だけの模倣は、ニューメキシコや幸福な南海の島々、そしてまた中央アフリカへと放浪する現代のヒッピーたちの行動と同じように、不毛であるとともに、心理学的と言えない誤解からきているのである。そういう場所にゆくと、西洋文化に育てられた人間が、彼自身の為すべきさし迫った課題————「ここがロードスなのだ、ここで飛べ!」という教訓————をこっそり避けて、大まじめで〝原始〟的な生活を演じているのが見られる。生命体として異質なものをまねしたり、さらにはそれを宣伝したりするようなことは重要ではない。大事なことは、さまざまの病気をわずらっている西欧の文化を、この西欧という場で再建して、たとえば結婚問題や神経症、社会的政治的幻想、あるいは世界観の方向喪失に悩んでいる現実のヨーロッパ的人間を、その再建された場所へ、西欧的日常性において連れ戻すことなのである。」

「私の注解の目的は、東と西の間に、内面的で心的な理解の橋をかけようとすることである。」

「西洋的な意識は、どんな場合にも、端的な意識そのものである。それはむしろ、歴史的に条件づけられ、地理的に制約された要因であって、人類の一部分を代表しているにすぎないのである。われわれの意識の拡大は、他の意識様式を犠牲にして推し進めるべきものではなく、われわれの心の中にある。異質な〔東洋の〕魂の特質と類似した要素を発達させることを通じて、実現してゆくべきものである。それはちょうど、東洋がわれわれ西洋の技術、科学、そして産業なしてですませることができないのと同じことである。ヨーロッパの東洋への侵入は、大規模な暴力行為であった。それは、東洋の精神を理解するという義務————いわゆる高い身分にふさわしい責務nobless oblige————を、われわれに残したのである。それはわれわれが現在感じている以上に、おそらくわれわれにとって必要なことでもあるであろう。」

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