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谷川 多佳子『メランコリーの文化史/古代ギリシアから現代精神医学へ 』 (講談社選書メチエ/ルドルフ・シュタイナー「人間の四つの気質」

☆mediopos2766  2022.6.14

メランコリーといえば
デューラーの《メレンコリアⅠ》が
イメージされるが
メランコリーは憂鬱質であり
四体液説でいえば黒胆汁である

古代ギリシアから
血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の四種類を
人間の基本体液とする体液病理説の
四体液説が説かれてきた

それらが調和していると
身体と精神の健康は保たれているが
バランスが崩れると病気になるのだとされてきた

その四体液説は古代インド(アーユルヴェーダ)から
ギリシアに伝わったともいわれているが
西洋で行われていたギリシャ・アラビア医学の根幹であり
どの体液が優位であるかが
人間の気質や体質に大きく影響する

四体液説のそれぞれを気質として表現すると
血液は多血質
粘液は粘液質
黄胆汁は胆汁質
黒胆汁は憂鬱質である

現代ではそうした体液説による医学は
精神医学の成立によって
ほとんど過去のものとされているが
シュタイナーの説く気質論では
人間は胆汁質・多血質・粘液質・憂鬱質という
四つの気質のどれかが主となっていて
ほかの気質に対して支配的になるとしている

そのなかの憂鬱質のメランコリーについて
谷川 多佳子『メランコリーの文化史』では
古代ギリシアから現代精神医学へ
メランコリーという鬱なる気分が
どのように捉えられ対処され
表現されてきたのかが興味深く辿られている

アリストテレスは憂鬱質に肯定的であったものの
中世のキリスト教世界では
「修道僧の「怠惰」と同一視されて罪」となり
バビロニアの占星術から伝えられた土星が
メランコリーと結びつき「病や死、恐怖、
悲しみをもたらす不吉な惑星」とされた反面
魂に深い瞑想力を与えるとされた

ルネサンスになると
デューラーの《メレンコリアⅠ》のように
メランコリーと土星は復権し
近代的な内面性や陰影を表現するものとなり
やがてそれは思考による自己省察へと向かうが
近代医学ではメランコリーは
精神医学的な不安や抑鬱などとして
とらえられるようになっている

そのようにメランコリーは
両義的にとらえられてきたが
シュタイナーによれば憂鬱質という気質は
「肉体」が支配的になることで
それが苦痛・不快・陰鬱な気分が生まれるのだという

古代から近代を経て現代へといたるにつれ
人間が個的な自我を獲得していくにあたって
次第に人間を肉体(のみ)としてとらえるようになり
メランコリーのもつ両義性がさまざまなかたちで注目され
クローズアップされてきたともいえるのではないだろうか

■谷川 多佳子『メランコリーの文化史/古代ギリシアから現代精神医学へ 』
 (講談社選書メチエ 講談社 2022/6)
■ルドルフ・シュタイナー「人間の四つの気質」
 (ルドルフ・シュタイナー(西川隆範訳)
  『人間の四つの気質』風濤社 2000/3 所収)

(谷川 多佳子『メランコリーの文化史』より)

「時代の大きな状況からの鬱、他方、個人の生の根底にある深い苦しみや死の隣接への恐れ、両者は重層的に私たちに鬱をもたらしている。

「メランコリーは古代ギリシアから始まる。美術に、図像として座位で肘をつき手を頬にあてる姿勢がある。医学は人間の体液を四つに分け、そのうちの黒胆汁を憂鬱の原因とし治療を探る。黒胆汁は夜の禍々しさを表し、狂気の源ともされたが、アリストテレスは憂鬱質に肯定的で、黒胆汁を天才に結びつける。こうした古代の医学や哲学は、シリアやアラビアに移り、メランコリー医学はアラビアで優れた業績をなし、それが一一世紀以降ヨーロッパに環流する。

 中世のキリスト教世界では、メランコリーは修道僧の「怠惰」————それは精神の疲弊、ある種の絶望といえる————と同一視されて罪となる。だが、ビンゲンのヒルデガルトは自然界の薬草や動物をもちいた治療法を示して中世の優しさを感じさせ、またアガンベンは現代、「怠惰」に、精神の豊かな可能性を前にした逃走の感覚をみるなど、中世の豊穣さがみえる場面もある。

 バビロニアの占星術から伝えられた土星は、メランコリーにつながり病や死、恐怖、悲しみをもたらす不吉な惑星とされる。だが土星によって深い瞑想力を与えられた魂は、外面から内面へと向かう。」

「ルネサンスになるとメランコリーと土星の復権が著しい。デューラーの《メレンコリアⅠ》は迷宮とまでいわれる複雑な銅版画だが、そこでは憂鬱は不活発や悲しみとともに、知力ある瞑想を表現している。技術や数学にかかわる道具類は、幾何学的な学問の力につながり、メランコリーの人物の瞑想には近代的な内面性がみられる。デューラーは遠近法の誕生にもかかわるが、そうした遠近法は近代の思想や科学の、空間や主体の確立を助ける。宗教改革の荒波のなかでデューラーはルターを支持し、デューラーやクラナハらはプロテスタントのための作品を遺した。他方、カトリックの側でも、聖書の物語を視覚化する画家たちの仕事がある。同時代、神の対極である悪魔についての絵画もみられる。」

「近代初め、思考による自己省察の形姿をみると、モンテーニュにはメランコリーとの深いかかわりがみられる。モンテーニュのような、憂鬱質の、幻想的な怪物をみるような自身の想念は、デカルトの自己省察においてはなくなり、自己は、身体[物体]から分かたれた「精神」となる。その生理学において四体液説は残存し、狂気が脳内の黒胆汁によって説明される。当時の代表的なメタランコリー論(ロバート・バートンなど)も四体液説を受け継いでいて、治療には医学と神学との視点がある。医学的な体液による説明のあと、治療の基本は神への祈りで、神がメランコリーを治癒するのだが、媒介的に医師の扶けが必要になるとされる。だがデカルトでは、神学の視点が消失する。メランコリーの病理は、身心の相互作用によって説明され、そこから治療が与えられる。デカルトから半世紀あとのライプニッツになると、「メランコリー」の概念はみられず、「不安」が取り上げられる。不安は実生活の場で、選択や意志にかかわっていく。」

「これに呼応するかのように近代医学において、メランコリーが黒胆汁の過剰とされていた体液説が訣別されて、メランコリーは不安や抑圧、デプレッションとしてとらえられるようになる。精神医学の成立とともに、狂気やメランコリーの概念の分類がなされ、病としてのメランコリーは、近代の都市や郊外で、病院や医者によって治療されるものとなる。一九世紀半ばシャルコーは、鬱病と等価とされていたヒステリー発作を、写真や図像でとらえ、中世以来の悪魔や憑依の形象を研究する。フロイトも、悪魔や憑依に関心をもち、悪魔憑きの患者にメランコリーをみる。「喪とメランコリー」を考察して。メランコリーにおける対称の喪失(未知なるものの喪失)と自我の消尽を明らかにし、それは「死の欲動」につながる。対称の喪失や主体の分裂は精神分析においても語られ、芸術においてはジャコメッティが死に隣接した、未知の空虚、消滅への恐れを作品であらわす。フロイトの「未知なるものの喪失」はジャコメッティの「未知の空虚」にふれあい、そこでは存在が、空虚とそして死に接している。」

(ルドルフ・シュタイナー「人間の四つの気質」より)

「「別世界に由来する精神−心魂が、どのようにして地上の身体と結び付くのか。遺伝された身体的特質を、どのようにして纏うことができるのか。輪廻していく精神−心魂の流れと、身体的な遺伝の流れが、どのように結びつくのか」(・・・)。二つの流れが結合することによって、一方の流れが他方の流れを染めます。たがいに染め合うのです。青と黄が一つになって緑になるように、二つの流れが人間のなかで結び付いて、「気質」と言われるものになるのです。そこでは、人間の心魂と遺伝された特質が、たがいに作用を放射しています。その二つの間に気質があります。(・・・)

 人間が物質界に歩み入り、二つの流れが人間音なかで合流することによって、四つの構成要素(物質体(肉体)・エーテル体(生命体)・アストラル体(感受体)・自我)がさまざまに混じり合います。そして、どれか一つが他の構成要素を支配し、色合いを与えます。

 「自我」が他の構成要素を支配すると、胆汁質が現れます。「アストラル体」が他の構成要素を支配すると、多血質の人間になります。「エーテル体」が支配的だと、粘液質になります。「肉体」が支配的だと、憂鬱質になります。永遠のものと無常なものが混ざり合って、構成要素間のさまざまな関係が現れるのです。

 (・・・)

 胆汁質の人においては、血液系統が支配的です。ですから胆汁質の人は、どんなことがあっても自分の自我を押し通そうとします。(・・・)

 打ち寄せるイメージ、感受・表象に没頭する多血質の人の場合、アストラル体と神経系統が支配的になっています。(・・・)

 人間の内面で成長と生命の経過を調整するエーテル体(生命体)が支配的になると、粘液質が発生します。それは、内的な気持ちよさに表現されます。人間はエーテル体のなかに生きれば生きるほど、ますます自分自身に関わり、他のことはなるがままに任せるようになります。自分の内面に関わっているのです。

 憂鬱質の人の場合は、人間存在のなかでもっとも濃密な構成要素である肉体が、他の構成要素の支配者になっています。この最も濃密な部分である肉体が支配的になると、自分自身が支配者ではなく、「自分は肉体を、思うように取り扱えない」と観じます。肉体は、人間が高次の構成要素をとおして支配すべき道具です。しかし、いまや肉体が支配的になり、他の構成要素に抵抗します。それを人間は、苦痛・不快・陰鬱な気分として感じます。常に、苦痛が湧き上がってきます。肉体がエーテル体の内的なきつろぎ、アストラル体の内的な動き、自我の確固とした目標に抵抗しているので、陰鬱な気分が発生するのです。」

「どの気質にも、堕落する危険が多かれ少なかれ存在します。

 胆汁質の人の場合、青年期に自分を抑制できずに、怒り狂って自我を刻み付けるという危険があります。これは小さな危険です。大きな危険は、自分の自我から何か一つの目的を追求しようとする愚行です。多血質の人の場合は、気まぐれになるのが小さな危険です。大きな危険は、感性の波が打ち寄せ、狂気になることです。粘液質の小さな危険は、外界に対する無関心です。大きな危険は、愚鈍、白痴になることです。憂鬱質の小さな危険は、暗い気分であり、自分の内面に立ちのぼる暗い気分を乗り越えられないことです。大きな危険は、狂気です。」

●谷川 多佳子『メランコリーの文化史 目次』

第1章 古代から中世へ
1 古代の苦悩
2 病理から気質へ――四体液説
3 天才の憂鬱――プラトンからアリストテレスへ
4 医学の中世
5 土星のメランコリー

第2章 ルネサンスと宗教改革
1 幾何学の憂鬱
2 宗教改革
3 遠近法の誕生
4 宗教的メランコリー

第3章 近代の始まり
1 モンテーニュ
2 デカルト
3 治療されるメランコリー
4 バロックの想像力

第4章 現代へ
1 精神医学と悪魔
2 精神分析の登場
3 喪とメランコリー
4 根源的な喪失


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