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河路由佳『日本語はしたたかで奥が深い/くせ者の言語と出会った〈外国人〉の系譜』

☆mediopos3233  2023.9.24

ひとくちに日本語といっても
これが日本語だといえるような日本語を
ぼく自身使えているわけではない

ぼくは日本語以外に
ある程度満足に使える言語を持たないけれど
その日本語でさえも
たしかに使えているとはつゆほども思えないので
これが日本語だと言えるような
日本語話者=使用者であるとはいえないだろうし

現代の日本語といわれている言語も
原型としては現在に連続しているものの
表記法のなかった時代から
その後漢字が導入され
そしてそれをもとに真名や仮名が作りだされ
それらの使い手によって
創造的にあるいはなし崩し的にさまざまに変化しながら
しかも明治維新そして第二次大戦後と
大きな変化の契機を経て変化し続け
今もなお変化し続けている

本書ではそんな変化のなかで
古代から現代まで
「日本語とさまざまな出会いをした
〈外国人〉にスポット」を当てながら

「日本で暮らす〈外国人〉がますます増えていく今日」
「日本語文化を共に支えていく仲間として
大切な役割を担っている」〈外国人〉とともに
「日本語を自覚的に使い合い育て」ながら
「日本語をより豊かなものにしてゆく」視点が
示唆されている

さておそらく現代はこれまで以上に
日本と日本人そして日本語にとって
大きなエポックとなっているように思われる
それは決して明るい未来につながるものではなさそうだ
そしてそうした未来さえも
それに応じた「変化」を生きていかなければならない

現在日本は「貧困国」にさえ
指定されるようになっているように
貧しい国民が増えていくなかでの
政治的な方向づけとしても
現在の日本人を極端に減らし
外国人を増やしていくことで
なんとか生き延びようとしているように見える
現在のそうした方向づけが変わらない限り
「日本語」の未来も
決して明るいものではないかもしれない

しかしそんななかで〈外国人〉の使う日本語が
これからどうなっていくかが
重要な契機ともなってくるのかもしれない

しかしそれはそれだ
日本と日本人そして日本語が
「したたかで奥が深い」ものであることを
現日本人として願うばかりである

そのためにも
せめてじぶんの貧しい日本語力を
少しでも懐の深いものにできれば・・・

■河路由佳『日本語はしたたかで奥が深い/
      くせ者の言語と出会った〈外国人〉の系譜』
 (研究社 2023/7)

(「はじめに――日本語と出会った〈外国人〉」より)

「本書では、(・・・)過去にさかのぼり、それぞれの時代に〝日本語に出会った〈外国人〉〟に、会いに行こうと思う。第一章では、七世紀から十七世紀半ば、江戸時代初めまでの千年ほどの期間に点在する魅力的な〈外国人〉を訊ねる。第二章では、十七世紀から十九世紀、〈外国人〉が日本に来るのが難しくなった江戸時代に、日本語の聞こえない遠い地で日本語に親しみ、大きな功績を残した人びと、第三章では、十九世紀から二十世紀初め、開国前夜から昭和初期にかけて日本の内外で日本語に出会った人びとを訪ね、そうした人びとが著した日本語文学の一部を鑑賞する。第四章では、一九三〇年代から一九四〇年代半ば、国際化が進み戦争が展開する時代状況の下、日本の支配する領域の拡大とともに国内外で飛躍的に増えた〝日本語に出会った〈外国人〉〟の中の印象的な人びとに近づき、彼らの紡ぎ出す日本語の表現を味わう。第五章では、戦後早期から一九八〇年代に戦争をくぐっって内外で活躍した人びとを訪ねてその日本語に耳を傾け、第六章では一九九〇年代から現在へと歩みを進め、続々と生まれてくる日本語文学の一部を鑑賞する。現在に近くなればなるほど〝日本語に出会った〈外国人〉〟の数は増え、多様性に富んでくる。本書では、文学的な営みに重点を置いた。」

「国の内外で、大勢の〝日本語に出会った〈外国人〉〟が、日々新たに生まれ、それぞれの人が自分の日本語を話したり書いたりしている。耳をすませば、彼らの日本語が聞こえてくるはずだ。
 なお、本書で取り上げる山括弧つきの〈外国人〉は、国籍や民族の如何を問わず、言語だけに着目した呼称である。」

「〝日本語に出会った〈外国人〉〟には、布教や商業、外交や勉学その他、何らかの事情で日本で暮らすことになった〈外国人〉、また、日本の国外で通商、外交、戦争などを目的に日本語を学ぶことになった〈外国人〉、たまたま図書館で未知の言語、日本語の本に出会い研究にとりくんだ〈外国人〉など、さまざまな人がいる。私たちの使っている日本語には、こうした人びとが気持ちを込めて使って、味わってきた歴史がある。
 日本で暮らす〈外国人〉がますます増えていく今日、〈外国人〉は、これからの日本語文化を共に支えていく仲間として大切な役割を担っている。〈外国人〉を含めた私たち一人ひとりが、日本語を自覚的に使い合い育てていくことが、これからの社会を、そしてその社会における日本語をより豊かなものにしてゆくことにつながるのではなかろうか。」

(「第六章 現代の〈外国人〉の日本語文学――一九九〇年代以降 1 留学生の増加と来日外国人の多様化」より)

「一九八二年時点の日本の大学や短大など、口頭教育機関で学ぶ外国人留学生の数は、八一一六人だった。
(・・・)
 一九八三年に中曽根康弘総理大臣の指示により設けられた「二十一世紀への留学生政策懇談会」が「留学生一〇万人計画」を打ち出した。二十一世紀初頭に当時のフランス並みの一〇万人を目標に留学生の受け入れを拡大しようというのである。
(・・・)
 留学生の受け入れに関するさまざまな制度や機会が整えられ、留学生数は順調に増加し、当初、途方もない数字のように思われた一〇万人は、目標どおり二〇〇三年に達成された。
(・・・)
 しかし、そのあと二〇〇七年ごろまで一一万人から一二万人あたりで横ばい状態となり、二〇〇八年には新たに「留学生三〇万人計画」が掲げられ、さらなる取り組みが進められた。(・・・)二〇一九年には目標の三〇万人を突破した。二〇一九面(五月一日)の留学生数は三一万二二一四人、アジア諸国から来た留学生がそのうちの九十三・六パーセントを占めるのは変わっていない。
(・・・)
 その後、世界的な新型コロナウイルスの感染拡大に直面し、感染防止のために国際的な異同が制限されたあおりをうけて、留学生数も三〇万人を少し割り込んだが、ほぼその水準を維持している。そして、留学生の日本での周食を促進するための諸制度が調えられつつある。これは、少子高齢化の進む日本で優秀な留学生を今後の日本の経済、社会、文化を支える人材へと育てることが期待されているからである。」

「文化や言語の異なる新しい市民と共に生き、ともに作っていく新しい日本社会は多言語・多文化共生社会と認識され、二〇〇六年には総務省が「地域における多文化共生推進プラン」を策定した。行政サービスをはじめ学校や企業でも、「多文化共生」が唱えられている。
 言語的少数者として保障されるべき言語的な権利は、ルーツにつながる言語を使う権利と日本語を習得する権利の二つである。祖先につながる言語を使うこと、自分が使いたい言語を使い続けること、子どもたちに継承することは尊重されるべきである。一方、日本社会で自由で豊かな社会生活を営むために日本語学習は保障されるべきで、彼らには日本語を自由に使う権利がある。このことは「多言語共生社会」としての日本社会にとって大切なことだと思える。」

(「終章 〈外国人〉とこれからの日本語」より)

「法務省の在留外国人統計と日本の総人口を上げて、在留外国人数は日本の総人口の約二・四パーセントに及ぶことを確認した。ということは、日本で暮らす人びとの五十人に一人(以上)である。」

「二〇一九年六月に、外国人への日本語教育を充実させることを法制化した日本語教育推進法が成立した。」

「言語はツールだといy考え方がある。海外旅行などで必要な要件を伝えるために現地のことばを使うといった場合は、自動翻訳機(翻訳ソフト)を使って用をすますこともできる。自動翻訳機はまさにツールである。特定の目的をかなえるために必要なツールを選び、それで目的が達成されたら、そのツールを手放すとツールを持っていなかった以前にもどるだけのことである。(・・・)
 では、人が言語を習得するとは、ツールを手に入れることだろうか。いや、そこには本質的な違いがある、というのが私の考えるところである。言語教育に長く携わり、〈外国人〉による日本語文学やその周辺の活動を身近にしてきて、私が言語は「果実」であるという思いを深くしている。
 言語教育は、その言語の種を渡して、収穫までの世話の仕方を教えることに喩えることができる。学習者は受け取った種を植えて育てる。教える方は、学習者の立つ土壌の性質によって、気候によって、その他さまざまな環境の違いに応じて、よりよく育つように方法に調整を加える。これは、どこでどのような目的の学習者に教えるかによって教え方や内容を調整するのに似ている。」

「さて、道具と違って果実は、食べるのだ、滋味豊かな果実はその人を健康にしたり美しくしたりする。常に世話を怠らず、収穫し、毎日食していたら、その人の体はその果実でできているようなものである。あるとき、その果実=言語を、放棄せよと言われても、取り除くことなどできない。」

「目の前の若者が言った。
「日本語に未来はあるんですか。そもそもマイナーだし、外国人にとって学びにくいじゃないですか」
 なかなかの破壊力である。これもあながち特別ではなく、「どちらかというとそう思う」と気分を共有している人は少なくないようである。
(・・・)
 日本語が学習しにくいかどうかについては、さまざまな立場があるとは思うが、日本語教師として長く教育現場に立ってきた実感からすると、文法も発音もそれほど複雑ではなく、特に難しいとは思えない。(・・・)難しいのは表記法の複雑さと語数の多さ(・・・)で、特に表記法は〈日本人〉にとっても難しい。(・・・)
 多文化多言語化する日本社会における日本語の未来は、〈外国人〉の日本語の使い手、日本語文学の書き手とともにあってこそ光が見える。〈外国人〉の日本語使用、日本語文学の招来を実り多いものにするためには、それぞれの日本語をのびやかに使える環境を、日本社会が用意することも大事である。」

<目次>

はじめに――日本語と出会った〈外国人〉
序章 古代から現代に至る日本語使用領域と日本語
第一章 いにしえの達人たちの日本語――七世紀~十七世紀半ば(古代から江戸時代初めまで)
1 渡来人や通訳たちと日本語
2 西洋人宣教師と日本語
第二章 いにしえの達人たちの日本語2――十七世紀半ば~十九世紀初め(江戸時代)
1 「鎖国時代」の来日外国人
2 ロシアの日本語学習者
3 ヨーロッパの日本語学習者
第三章 いにしえの達人たちの日本語3――十九世紀~二十世紀初め(開国前後~昭和初期)
1 近代の来日外国人たちの日本語
2 海外の日本語教育の草創期を築いた人びと
3 「もう一つのことばとしての日本語」による日本語文学
第四章 戦時体制下の〈外国人〉の日本語――一九三〇年代~一九四五年夏
1 戦時体制下の日本語普及と学習者たち
2 日本語で活躍した人びと
3 戦時体制下の日本語文学
第五章 戦後の〈外国人〉の日本語文学――一九四五年夏~一九八〇年代
1 敗戦のもたらした価値観の転換
2 戦後、日本語を使って活躍した人びと
3 戦後の日本語文学
第六章 現代の〈外国人〉の日本語文学――一九九〇年代以降
1 留学生の増加と来日外国人の多様化
2 元外国人留学生による日本語文学
終章 〈外国人〉とこれからの日本語
あとがき
参考文献

○河路由佳(かわじ ゆか)
1959年生まれ。杏林大学特任教授。慶応義塾大学大学院文学研究科(国文学専攻)修了。一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程単位取得退学。博士(学術・一橋大学)。現代歌人協会、日本文藝家協会会員。東京農工大学留学生センター、東京外国語大学大学院教授などを経て、2020年度より現職。専門は日本語教育学、日本語教育史。
主な著書に、『日本語教育と戦争――「国際文化事業」の理想と変容』(新曜社、2011)、『ドナルド・キーン――わたしの日本語修行』(共著、白水社、2014)、『日本語とにらめっこ 見えないぼくの学習奮闘記』(モハメド・オマル・アブディンと共著、白水社、2021)など。

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