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岡本おさみ『旅に唄あり 復刻新版』

☆mediopos2933  2022.11.28

岡本おさみの名は
70年代前半のフォークソングの作詞家として
いまも記憶にたしかに刻まれている

記憶にある作詞は
吉田拓郎/森進一の「襟裳岬」
吉田拓郎の「旅の宿」「落陽」「祭りのあと」
南こうせつの「愛する人へ」
長谷川きよし「ひとりの女に」など

おそらく岡本おさみにしか書けない詞だし
作曲家・歌い手がそのことばと深く共振することで
それらははじめて楽曲になることができたのだろう
70年代前半にはそんな歌がたくさん生まれた

岡本おさみは2015年に73歳で亡くなっているが
1973年にエッセイ集『旅に唄あり』がでていたそうで
生誕80年にあたる今年2022年に
かつての本に「フォーク談義」や
みずからの詩について語っている記録
そして南こうせつなどからの寄稿が加えられ
「復刻新版」が刊行されている

そんななかから
「襟裳岬」にまつわる話を引用してみた

「襟裳岬」は日本歌謡大賞を授賞することになったのだが
「あなたの『襟裳岬』が歌謡大賞にノミネートされたので
当日武道館において下さい」という事務局からのご案内を
「一読して破き、クズ箱にぽいと捨て」る
事務局からの「今日は御出席になれますか」という電話にも
「いえ、欠席します」と答える・・・のだが
結局テレビでの本番の途中に会場に入ることになり
「襟裳岬」は授賞することになる
そして受賞後は「人の群れにまじ」りひとり家に帰る

みずからが記しているエピソードには
いろんな思いが屈折したかたちで
輻輳しながらこもっているのだろう

精一杯「うたを吐」いたみずからの思いと
それがきらびやかなまでにさらされることへの違和感
自負と誇りと同時に恥ずかしさや臆病さ・・・

岡本おさみは
「歌のことばはやさしいほどいい、というのが、
ぼくが心がけている第一のこと」だといい
「自分の気持ちを書くのに精一杯で、
歌手に合わせて書くほどの余裕がない」ともいう

とはいうものの
「「襟裳岬」は自分のたどってきた
暮らしの気持ちを書いたけれど、
森進一さんはじぶんのことのように思ったらしい」という

歌詞だけのことだけではないだろうが
それは書いたひとの気持ちであるだけではもちろんなく
それを歌うひと・聴くひと・読むひとそれぞれが
「じぶんのことのように思」えるとき
その言葉は歌はたしかに「届いた」といえるのだろう

「襟裳岬」の歌詞にあるように
「悩んで」「老いぼれて」
「身構えしながら話して」「臆病」なのは
岡本おさみであり吉田拓郎であり森進一であり
そしてそれを聴くわたしたちじしんに他ならない

わたしたちは「じぶんのことのように思」えるとき
たしかにその歌/ことばとともにあり
そしてともにふるえている

■岡本おさみ『旅に唄あり 復刻新版』
 (山陰中央新報社 2022/7)

(「第一章 旅に唄あり」〜「襟裳岬」より)

「たかが歌なのだが、かんちがいされている方のために自注すると、「襟裳の春は何もない春です」は「日々の暮らしはいやでも」とつながっていて、また春がやってくるけれど、年が変わって過ぎてゆくけれど、その先は何も変わらないし、暮らしなんて同じ繰り返しさ、という気持ちを述べたものだった。
 和田誠さんの「日曜日は歌謡曲」という本を読むと「進一版はたいそう新鮮であるかわりに何のことやらわからない。ま、森進一版「襟裳岬」はこの訳のわからないところが受けたのだろうとぼくは思うのですけれども」とあって、「いったい誰が」「悩んで」「老いぼれて」「身構えしながら話して」「臆病」なのかなあ。とあるのです。
 しかし、このことばは、とてもわかりやすい歌詞だと思っている。「悩んで」「老いぼれて」「身構えしながら話して」「臆病」なのは、うたを吐いた本人以外ないじゃないですか。だって作詞した者が吐いたことばだもの。思うにうたってのは歌手に合わせて作るものだという古い考えがどこかにあって、そういう風に考えたりすると、このことばは、なるほどやっかいに思われるのかも知れない。だけれども、ぼくは自分の気持ちを書くのに精一杯で、歌手に合わせて書くほどの余裕がない。和田誠さんにはお会いしたことはないけれど、イラストも文もとても素敵で、愛読しているひとりであります。その和田誠さんにさえ、誤解された。だとすると、まるっきり訳のわからない人がまだまだ沢山いるんだなァ、と思え、お先真っ暗になる。歌のことばはやさしいほどいい、というのが、ぼくが心がけている第一のことで、、活字の詩とうたの詩の境があるとしたら、そのことだろう。
「襟裳岬」は自分のたどってきた暮らしの気持ちを書いたけれど、森進一さんはじぶんのことのように思ったらしい。
 ぼくのことばが、森進一さんの心境を代弁するような結果になったとしたら、それはうたの作業として最も嬉しい。
 うた作りの過程は、そんな風にされるのが好きだ。ことばを書くものは、その時々の心境をノートにメモし、述べる。作曲者はそのノートから、まるで店先で立ち読みした人物のように気にいったことばに曲をつける。歌手は又、そのうたで、気にいったものだけをうたえばよい。みんながそんな作業に入ったら、すできだ。」

「四十九年、日本歌謡大賞の生放送で、きらびやかな服装にまじり、ジーパンで乱れ髪の男が作詞者と呼ばれ紹介されたのを記憶している方があるかもしれない。ほんの一瞬テレビにぼくが映った。
 これには裏話がある。
 十一月になってまもなく一通の封書が届いた、正確な文面は覚えていないが、「あなたの『襟裳岬』が歌謡大賞にノミネートされたので当日武道館において下さい」といった内容だった。さらっと読むとごく事務的な文だけれど、あることに気づくと失礼な招待状に思えてきた。まだ賞が決定した訳じゃない。それなのに客席に居て、発表を待てという内容である。そういうことにも耐えるのが職業とするものへの宿命なのかもしれない。しかしテレビに限らずラジオでもコンテストと名のつくものは、〝感動〟がお好きなようで、放送の仕事にたずさわり、その種のことをやってきたぼくには、ああまたやってるな、と腹だたしく思える。
 眼のまえに肉をぶらさげ、犬を並べる。しかし肉は一匹にしか与えられない。
「こんな招待状は気に入らないね。」
 一読して破き、クズ箱にぽいと捨てた。それを見て奥さんは、
「破らなくれもいいのに」と言った。
 それで発表日がいつなのかも忘れていたけれど、なぜか奥さんは覚えていた。
「今日は発表日よ。テレビで生中継するわ」
 朝刊を差し出した。
 なんだか気になりだした。
 朝、電話が鳴った。歌謡大賞事務局と名のる女性からで、
「今日は御出席になれますか」
「いえ、欠席します」
「そうですか」女性は事務的に答えて、あっさり電話を切った。

(・・・)

「電話きたでしょう」
「うん」
(・・・)
「ご主人は武道館に向かわれましたか、って言われるから、いえ、近くの友達のところに言ってますって言ったのよ」
「その通りだからいいじゃない」
「そこまではいいんだけけれど、ご主人はお仕事で行かれましたか、って言われたから、遊びに行ってます、って言っちゃったの」

(・・・)

「武道館ではディレクターのH氏がむかえてくれた。八時をまわっていたからTVは本番に入っていた。席に案内された。拓郎の代理であり顔なじみの陣山くんが隣に居た。
(・・・)
 授賞です。決まりました。通知があって、陣山くんとぼくは袖に待機することになった。袖にいると司会者である高島忠夫さんが近づいて、岡本さんですか、と言った。はい、と言うと、「『襟裳岬』は好きでした。よかったですね」と丁寧に言われた、やさしい人なんだな、と思ったけれど、高島さんの服装があまりにきらびやかで拒否したい気持ちがあったから、そのときどう答えたのか覚えていない。(・・・)
 授賞があって、そのショーは終わった。森進一さんは嬉しそうで来てよかったと思った。陣山くんは用があるたしく帰ってしまい、ぼくは東京で飲むことも考えたけれど、ひとりで飲むのも何やら淋しいし、家に帰ることにした。武道館のまわりは人の群れでいっぱいだった。ぼくはトロフィーと賞状を持ってその人の群れにまじり帰っていった。人の群れにまじると、何だかほっとした。夜風が気持よかった。お客さんたちは誰ひとりぼくに気づくものはなかった。ぼくは客のひとりになった。
 東京駅から津田沼へゆく電車にのりこんで、酔っ払いや、夕刊を読む人たちにもまれながら、北の岬のことをおもった。」

(山陰中央新報社出版部 須田泰弘「メールから始まった岡本さんとの交流」より)

「岡本さんの詞は、それまでの日本歌謡の歌とは異なり、世の中を裏側から見たような鋭いことばで旅、恋愛、人との出会いなど体験しないと生まれないであろう、リアルで強烈な歌詞が並びます。吉田拓郎さん、南こうせつさん、長谷川きよしさんらのアーティストが曲をつけてギターで弾き語り、学生運動がくすぶる70年代以降の若者たちの共感を得たのは時代の自然な流れだったのではないでしょうか。
 20年春、コロナ禍によるステイホームのさなか、知人から「フェイスブックで好きな本7冊を紹介し合おう」と声が掛かり、本棚の「旅に唄あり」初版本が目に留まりました。あらためて読むと70年代の歌の世界はとても刺激的で新鮮に思えました。絶版とった同書はネットでは高値で売られています。たまたま新聞社で出版の仕事をしていて、岡本さんの楽曲と「放浪の作詞家」の生きざまを後世に伝えたいとの思いが強くなり、「わが詩」など岡本さんの貴重な「ことば」も再録し、弊社から復刻することになりました。」

〈著者について〉
本名・岡本修己。1942年1月15日生まれ。鳥取県米子市出身。 放送作家から、フォークソングの黎明期に泉谷しげる、吉田拓郎らと出会い作詞家へ。 主な作品は、「旅の宿」「落陽」「祭りのあと」(吉田拓郎)、「こんな静かな夜」「満天の星」(南こうせつ)、「黒いカバン」(泉谷しげる)など多数。吉田拓郎作曲、森進一が歌った「襟裳岬」で日本レコード大賞、日本歌謡大賞受賞。 エッセイ「旅に唄あり」(1977年)を上梓したほか、自身初のアルバム「風なんだよ」(1978年)、岡本作品をさまざまなアーティストが歌った「岡本おさみ アコースティックパーティー with 吉川忠英」(2003年)をリリース。 作詞活動の一方、芝居の作詞と訳詞に参加。ミュージカル「ラブ」(市村正親、鳳蘭、西城秀樹)、「セツアンの善人」(大竹しのぶ)、ロックミュージカル「ロッキー・ホラー・ショウ」など。男性合唱組曲「隠岐四景」の作詞(堀悦子作曲、1980年に文化庁芸術祭優秀賞)がある。 2015年11月30日に心不全のため死去。享年73歳。

◎森進一-襟裳岬


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