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『別冊ele-king イーノ入門──音楽を変革した非音楽家の頭脳』

☆mediopos2833  2022.8.20

知らないことばかりだったことに
今さらながら気づかせてくれる
ブライアン・イーノ入門である

ブライアン・イーノといえば
アンビエントのイメージも強く
それ以前でいえば
ロキシー・ミュージックと
デヴィッド・ボウイのベルリン三部作だろうか

しかし最近では
「政治的アクティヴィスト」でもあるようで
ブライアン・イーノは
ミュージシャン(音楽家)という枠にも
収まらない存在である

しかしこのブライアン・イーノ入門は
主に「音楽」の領域でのイーノを扱っている
おかげで知らずにいたアルバムなども含めた
恰好のディスクガイドともなっている
しかもYouTubeを検索すれば
それらの音楽の多くを聴くこともできる

さて今回とりあげたのは
「非音楽家」ということについて
少し考えてみたいからだ

本書に収められている
松村正人「非音楽家の誕生」によれば
ブライアン・イーノは1968年に
「非音楽家のための音楽」を自費出版したという

それは25部限定の私家版で刊行したパンフレットで
現在は1部も残っていないが
1975年の雑誌インタビューで言及しているそうで
そのほかの「イーノの発言と表現から
その概念をうきぼりにする」とすれば

非音楽家の非はノン(non)
反音楽家の反はアンチ(anti)であり
比較的似た表現ではあるが
ノン・ミュージック(非音楽)は
「既存音楽の批判的な乗り越えをはか」るのに対し
アンチミュージック(反音楽)には
「そのようなことを企てる主体と対象への疑義がある」
ということや当時状況・背景を考えに入れれば
アンチミュージックであった「前衛」から
ノン・ミュージックである「実験」への
音楽志向の変化をいちはやくキャッチしていたともいえる

ノンとアンチ
音楽だけにかぎらず
そのふたつは似てるようで
異なったスタンスであるといえる

アンチは二項対立的な否定だが
ノンはそれそのものを超えていく試みである

水平と垂直の違いであるともいえる
アンチは水平的な対立と否定となるが
垂直はむしろそうした対立と否定を包含する視点となる

また別の表現をするとすれば
アンチは矛盾そのものを顕在化させるが
ノンは矛盾そのものを超えていく

その「ノン」ゆえに
イーノはたんに音楽領域だけにはとどまらず
すべてにおいて「ノン」として存在し
ジャンル横断的な活動をしているのだともいえそうだ

そうしたイーノに親近感を感じるのは
現代はあまりに専門家しその各領域が分断され
じぶんを「○○○」として位置づけ
「ノン」として生きようとするひとが
あまりに少なくなったからだろう
それだけにイーノの活動は
「ノン」への指針としても注目に値する

ちなみにほとんど終わっているが(6/3 - 8/21)
京都でブライアン・イーノによる音と光のインスタレーション展
「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」が開催されているようだ

■『別冊ele-king イーノ入門──音楽を変革した非音楽家の頭脳』
 (ele-king booksムック Pヴァイン 2022/5)

「ブライアン・イーノは1948年5月15日、イングランドはサフォーク州の人口の少ない田舎道、ウッドブリッジの機械好きの郵便配達人の息子として生まれた。少年時代、賛美歌が好きで、また、ラジオから聞こえるドゥーワップに「ほかの惑星からの音楽のようだった」と感動したという。10代後半はイプスウィッチのアート・スクールに学び、さらに勉強をつづけるため奨学金を得てウィンチェスターの美術学校に入学、なによりもヴェルヴェット・アンダーグラウンドとジョン・ケージを、そしてスティーヴ・ライヒにモートン・フェルドマンなどを知る。それらの影響をもとに1968年には「非音楽家のための音楽」を自費出版する。

1969年夏、ロンドンへ上京。70年12月にやがてロキシー・ミュージックを結成するメンバーと再会し、71年2月にはコーネリアス・カーデュー率いるスクラッチ。オーケストラの録音に参加。そして1972年にロキシー・ミュージックのデビュー・アルバム『Roxy Music』がリリースされる。ポップ・ミュージックを変革することになるこの「非音楽家」による冒険がいよいよはじまるのだった——。」

(野田努「「イーノ入門」への入門」より)

「ブライアン・イーノ——音楽ファンであれば知らない人はいないであろうこの名前に肩書きをつけるとしたら、何が適切なのだろうか。芸術化、アンビエントの発案者、実験音楽家、自称「非音楽家」、音楽プロデューサー、インスタレーション・アーティスト、ビジュアル・アーティスト、活動家、香水師、元グラムロッカー、アプリ開発者……。イーノはその肩書き、すなわち自身の多様性を、年を重ねるごとに増やしているようだ。
 膨張する宇宙のような彼は、1972年、ロックの世界から登場した。楽器の演奏力が重視されたその時代に、イーノは楽器が弾けず譜面も書けない「非音楽家」と自らを定義した。轟音を美徳とする音楽があることに逆らうように、彼は静かな音楽を志向した。個人の感情や主張を訴えるために音楽があることに対し、彼は特定の個人ではなく場所のための音楽を提案した。多くの優れたロックがジャズにヒントを見いだしていた頃、彼は前衛音楽へとアプローチした。ライヴ演奏こそ本物とされているなか、彼は改造したリールマシンによる自動生成音楽を試みた。ファンやジャーナリストがいくら歌詞を重視しても、ナンセンスな言葉のみが彼の作品を彩った。ロックが白人文化の代名詞になったとき、彼はアフリカを研究した——。イーノはことあるごとに逆説をもって音楽を変革した。それと同時に、彼は汗臭く説経じみたスタジアム・ロックのバンドをプロデュースしたが、それは彼が最初からずっとやってきたこと——大衆文化とハイ・カルチャーの区別を曖昧にすることの延長だったのかもしれない。
 イーノの類い稀な好奇心は、音楽やアートの領域に踏みとどまらず、科学、学術、テクノロジー、政治などじつに幅広い分野に及んでいる。近年のイーノが政治活動に注いでいる熱量は膨大で、かつて音楽における政治表現を否定していた彼も、いまとなっては立派にポリティカルなアーティストとしてポリティカルなアーティストとして認識されている。が、そのいっぽうでは音楽を制作し続け、アプリも開発し、インスタレーション・アーティストとして世界をまわっている。創造行為に関する喜びはいまだ失われていない。こんな多彩な人物についての「入門書」には複数のやり方があるのだろうし、彼のおびただしい参照元を詳細にたどっていけば、枕のように分厚い書物ができてしまうのだろう。ここでは、彼の名前がもっとも知られている「音楽」の世界に照準を合わせて、彼の代表的な音楽作品とともにこの「非音楽家」の頭脳の軌跡とその根底にあるものをたどってみたい。」

(松村正人「非音楽家の誕生」より)

「ブライアン・イーノを語るに欠かせないことばがある。non-musician——日本語では「非=音楽家」となるこの用語は形式や様式ともちがうブライアン・イーノの姿勢、スタンス、かまえのようなものをさしている。記録の上では1975年の雑誌インタビューで言及し古くは68年に25部限定の私家版で刊行したパンフレット「Music for NOn-Musician」であきらかになった「ノン・ミュージシャン」とはなにか。エリック・タムの著書『ブライアン・イーノ』(水声社、1994年)をはじめ、いくつかの資料によれば、冊子「Music for NOn-Musician」は1部も現存しない。しからばイーノの発言と表現からその概念をうきぼりにするほかない。なんとなれば、ノン・ミュージシャンであることはイーノのあり方の核心にふれることなのだから。
 (・・・)
 名詞につく否定の接頭辞ではほかにも「アンチ(anti)」というのもある。(・・・)
 漢字ひと文字であらわすなら「非」と「反」のちがいとでもいえばいいだろうか。同じ否定の接頭辞でも「non」と「anti」には強勢において差異があり、後につづく名詞とセットでその立ち位置を主張する。すなわちノン・ミュージックは既存音楽の批判的な乗り越えをはかり、アンチミュージックにはそのようなことを企てる主体と対象への疑義がある。ともに音楽という領土の境界近傍にあり、たがいにごく至近なのだけれど、ノンは境界線の内側、アンチはその外側に居がちといえばいいだろうか。どこか前衛音楽と実験音楽のちがいにも似たものを、ノン・ミュージックを自認する二十歳そこそこの青年はうっすらと感じはじめていたのかもしれない。
 背景には教育と時代性がある。ことに64〜69年にかけれイブスウィッチとウィンチェスター、ふたつの美術学校での学びは非音楽家=ブライアン・イーノのなりたちに深くかかわっている。おりしも時代の潮流はジョン・ケージら先達を承けて、前衛から実験へうつりつつあった。このことはアートの価値基準が審美性よりも構想(アイデア)や不確定性(プロセス)に傾くことを意味する。そのような機運のなかでイーノは絵筆からリアルタイムのプロセス(時間)を自在にあやつるインストゥルメントとしてテープレコーダーにもちかえ、塑像芸術としての音楽制作にとりかかるのである。68年のノン・ミュージシャン宣言はおそらく、そのようなスタイルの発見を告げる報告の書であった。」

◎『BRUTUS』撮り下ろし「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」

2022年8月21日まで京都で開催中イギリスのアーティスト、ブライアン・イーノによる音と光のインスタレーション「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」。京都駅近くの古い建築が一棟丸ごとブライアン・イーノワールドに。『BRUTUS』は今回、7月1日発売の『夏のカルチャー計画』特集に合わせ、映像作家の柿本ケンサクさんと、イーノの音と光の世界を動画で撮りおろしました。

「《77 Million Paintings》では、シンギングボウルを聞いた時のような、心が沈静化されていく感覚がありました。《The Lightboxes》は、ライトの色の変化が、人の“声色“や”顔色“など常に“色”を意識している我々のコミュニケーションを象徴しているように感じましたし、《Face to Face》は、多様性についてのメッセージだと受け取りました。《The Ship》は、一転、暗闇となり、ヴィジュアルの表現はありません。すべてを見終え、日常に戻る時に、白昼夢のように感じる。その印象を、映像で表現しました。モトーラ世理奈さんには、目を開けてヴィジュアルを、目を閉じて音楽を感じ取り全身で表現する、視聴者とイーノの作品の橋渡し役を演じてもらいました。」(柿本さん)

ブライアン・イーノの音と光の館、あなたはどう感じるでしょうか?その世界の一端を、ご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=Y0XM7Bj1VJw

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