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牧野富太郎『牧野富太郎と、山』/「牧野富太郎のABC」 『Coyote No.79(Spring2023)』

☆mediopos-3052  2023.3.27

NHKの連続テレビ小説
『らんまん』(4月3日から放送)の
主人公のモデルになったことで
牧野富太郎が各種メディアでとりあげられている

牧野富太郎はみずからを
「植物の愛人」「草木の精」ともいっているように
植物のことが「生まれながらに好き」だという
そのことから一切ぶれることなく
94年の生涯を生き切ることができた稀有な人物である

ぼくは高知県生まれということもあり
小さい頃からこの牧野富太郎や寺田寅彦などに
親近感を感じてきているけれど
とくにこの牧野富太郎は
「学校で勉強しなくても偉くなれた」人として
イメージされてきている

ある種の反骨的なプライドもあったのだろうが
博士号を授与されたとき
「普通の学者に成り下がってしまった」と
ぼやいたという逸話があったりもする

学校や肩書きとかいった権威から
自由であるということをはじめ
大事なのはじぶんのほんらいの興味関心であって
家や環境がどうだといったことではない
といったことなども牧野富太郎から学んできた

高知市の牧野植物園はとても素晴らしいところで
何度も訪れてきているが
『らんまん』の放送の影響で来園者も飛躍的に増え
園内にはずいぶんと人が群れてくるだろうから
その影響がおさまり
ゆっくり回遊できるようになる頃までは
残念ながら遠慮せざるを得なくなりそうだ

さて『Coyote No.79』(Spring2023)のなかに
「生涯を26項目でひもとく」
「牧野富太郎のABC]という記事がある
「Anaechism 草木の精として」から
「Zazzo 雑草という名の草はない」までの
AからZまでの26項目ある

最後の「雑草という名の草はない」には
「世人は、今少し植物に関心を寄せて欲しい」
という切なる願いも込められた言葉が引かれている

せっかくなので全項目を挙げておきたい

Anaechism 草木の精として
Biography 波瀾万丈な生い立ち
Childhood 植物に触れた少年時代
Drawing 牧野式植物図の萌芽
Essence 独自の勉強心得「赦鞭一撻」
Favorite 特別な存在 バイカオウレン
Godaisan 五台山と県立牧野植物園
Home Mountain ふるさとの山 横倉山
Illusrated Flora of Noppon 牧野日本植物図鑑
Japanese Botany 植物学の先進国へ
Ketsu-Mo 名前に込めた意思
Location 富太郎が歩いた高知
Mujinamo 世界を驚かせた新種
National Network 富太郎のもうひとつの功績
Old Books 蔵書「牧野文庫」
Poor 負債は3億円?
QUest 飽くなき探究心
Russia 幻のロシア行き計画
Speciemens 標本はタイムカプセル
Tools こだわりの筆
Unique ユニークな思考
Value 予想外の副産物
Wife's help 内助の功
X-factor 未解明なことがいっぱい
Yamazakura ヤマザクラ
Zazzo 雑草という名の草はない

■牧野富太郎『牧野富太郎と、山』
 (ヤマケイ文庫 山と渓谷社 2023/3)
■「牧野富太郎のABC]
 『Coyote No.79(Spring2023)』(スイッチパブリッシング 2023/3 所収)

(『牧野富太郎と、山』〜「植物と心中する男」より)

「私は植物の愛人としてこの世に生まれ来たように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います。ハハハハ。私は飯よりも女よりも好きなものは植物ですが、しかしその好きになった動機というものは実のところそこに何もありません。つまり生まれながらに好きであったのです。どうも不思議な事には、酒屋であった私の父も母も祖母もまた私の親族のうちにも誰一人特に草木の嗜好者はありませんでした。私は幼い時からただなんとなしに草木が好きであったのです。」

(「牧野富太郎のABC]より)

「「これは何という植物だろう?」
今では簡単に図鑑やスマホで答えが得られるが
150年ほど前は名前すら調べることはできなかった。
日本に生育するすべての植物を明らかにするべく、
独学で植物の研究に励み、94年の生涯を通じて
発見・命名した植物の新種や品種は1500種以上。
全国から収集した標本は焼く40万枚。
日本の植物分類学の基礎を築き、
植物の魅力と知識を広める教育普及にも尽力した
牧野富太郎のとはどんな人だったのだろう。
高知が生んだ非凡な学者の生涯を26項目でひもとく。」

(「牧野富太郎のABC]〜「Anaechism 草木の精として」より)

「どこまでも純粋な気持ちで植物に向き合ってきた富太郎は、長年東京帝国大学理学大学(現東京大学理学部)で助手や講師を務めたが、地位や権威には無関心で、晩年に至るまで肩書きを持たなかった。博士号を授与された時には、「普通の学者に成り下がってしまった」とぼやいたという逸話もある。」

(「牧野富太郎のABC]〜「Zasso 雑草という名の草はない」より)

「富太郎はすべての植物に敬意を払い、名前を付けてきた。
「世人はいつも雑草、雑草と貶しつけるけれども、雑草だって決して馬鹿にならんものである。味わえば、滋味のでてくるものがある。またその自然の妙工に感嘆の声を放たねばいられなくなるものもある。世人は、今少し植物に関心を寄せて欲しい。そうするならば、その人はどれほど貴い知識と、深い趣味とを獲得するであろうか」(『草木とともに 牧野富太郎自伝』より)」

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