見出し画像

今福龍太『言葉以前の哲学―戸井田道三論』

☆mediopos-3159  2023.7.12

世界は言葉でできているともいわれるが
私たちは言葉によって
分節化された世界で生きている

そしていちど分節化されると
分節化される前の世界に戻ることは難しい

言葉においても
また身体においても
世界を「分かる」ということは
世界を「分ける」ということであり
いちど分けられた世界で生きると
いまだ分けられていない世界での感覚を
再獲得することは困難である

戸井田道三はその困難な道を
探求しようとした思想家であるということもできる

戸井田道三については
mediopos-3145(2023.6.28)で
『生きることに○×はない』をとりあげたばかりだが

戸井田道三の思想について
生前その教えを受け親交をむすんでいたという
人類学者・今福龍太による
戸井田道三論『言葉以前の哲学』が刊行されている

戸井田道三は一九八八年に七十八歳で亡くなるまで
療養のために転居した湘南辻堂で約五三年間暮らし
その場所で「非土着のネイティヴ」として
自己のからだを見つめながら
「深層の歴史」を探究した思想家である

「深層」とは
「言葉以前」の無意識領域の歴史である
それはひとが生まれたときに
「地」として生き続けている内在的な知覚
としての感覚領域のこと

今福氏が「非土着のネイティヴ」と表現しているのは
「そこで生まれ育った土着民でないにもかかわらず、
だれよりも、そうした土地の生活者の日常意識と
変化への思いを、共感と共苦とともに
彼らの傍らで生きようとした人」のことである

「言葉以前」の「深層の歴史」というのも
多くの哲学者が抽象的な概念のなかで
探求しているような思索によるものではなく
土地の生活者の意識とともに生きることで
見出すことのできた歴史を意味している

しかもその「歴史」は
「文字記録と言語的な再構築によってつくられた
公の「歴史」と呼ばれるものとは違う、
主体的な「いま」を貫いているそれだという

そうした「いま」を探求するために戸井田氏は
「「ない」ということから出発する思考法」
へと到達しようとしていた

「ない」とは
存在/非在における非在ではなく
「意識と存在が分化する以前のテリトリーにたつことで、
思考の言葉によっては
その存在を認識することのできない領域」のこと

そうした思考法をとることで
「言葉以前」の無意識領域の歴史へと
迫ろうとしていたという

それがどこまで有効なのかどうかはわからないが
「言葉以前」の領域に溯ることでしか
あらわれてはこない「ない」から
出発することができれば
言葉によって失われたものを
見出すこともできるのではないか

そうした「言葉以前へのまなざし」という視点は
たとえばChatGPTのような
「言葉以前」の存在しないAIを問い直す意味でも
非常に重要だと思われる

■今福龍太『言葉以前の哲学―戸井田道三論』
 (新泉社 2023/6)

(「2 言葉以前へのまなざし/舌でしゃべること」より)

「「言葉以前」と彼が呼ぶ人間の誕生時の感覚領域(であると同時に人間の深層に「地」として生き続けている内在的な知覚)を言葉によって探り出そうとする戸井田は、人間の日常的な動作のかげに隠された、原初の「みぶり」の存在にまず注目する。」

「対象と言葉以前の状態においてつながっているという連続性の感覚のなかに、自己の認識を解き放ってゆくようなこうした体験こそが、もっとも戸井田道三的な体験の原点であった。子供のときに座敷でぐるぐるまわってわざと目をまわす遊戯の体験も、戸井田にとって風車を見つめる赤ん坊への復帰以外のなにものでもなかったことが了解される。すなわちそうしたみぶりは、幼児が前言語的渾沌のなかから言語を学習してゆく構造形成のプロセスをあともどりすることによって、人間が原初の感覚領域に遡行するための仕掛けとなっているのだった。」

「言葉以前の「原初」のみぶりに対する特異な感覚は、こうして身体の領域から図像やデザインの領域にまで投影されてゆく。物質の構造的な形態に自らの原初の身体感覚を流し込んでゆくような発想法————。「言葉以前」への感受性に根ざした戸井田特有の図像学(イコノロジー)の秘密がここにある。

***

「言葉以前」の世界へ溯ろうとする戸井田が方法論的にもっとも見事に駆使したのが、言葉の「音」としての性格をなかだちとした概念連関の方法である。『色とつやの日本文化』に収められた「摺染(すりぞめ)のみだれ」という文章がこうした方法の独自性を鮮やかに示している。

 あるとき戸井田は、家の幼い子供たちが白紙の上に置いたもみじの葉に霧吹きに入れた墨を拭きかけ、もみじの葉の痕がくっきりと紙の上に残るのを面白がって遊んでいる姿に引きつけられる。これを、もののかたちが紙にうつることへの興味であると考えた戸井田は、「うつる」という音がかかえこんでいる多様な感覚の世界に思索をめぐらせることによっいぇ、「言葉以前」へたどり着こうとする。「うつる」ことの背後には、ゆるやかな「移行」の感覚が存在している。もみじの葉で遊んでいた子供たちには、まさに葉の像が写真を撮るようにいっぺんにパッと転写されるのではなく。墨の霧が紙の上に落ちるにしたがって徐々にしあがってゆくという「移行」の過程が面白かったにちがいないのだ。うつるは「移る」であると同時に「写る」でもある。現代の写真技術では、なぜ写るかは科学的に説明できるが、それでも人間は「写る」ことのなかに不可思議な何かを感じとる。」

「「うつる」ことの神秘は、写真というような近代テクノロジーのなかにおいても潜在的に知覚されているのである。さらに、病気がうつるともいうよういん、「うつる」とは「伝染する」ことでもあった。伝染と、「染」の字を使うことからもわかるように、病気の伝染とは病に「染ま」ることであり、それが「うつる」ことのひとつの現れ方であると考えられていたことを示している。しかも「染まる」ことはどこかで布地を「染める」ことにつながっていた。原初の摺染めとは、自然の草や花のかたちあるいは色をじかに布地にうつすことである。摺染めは布についた一種のまだらやしみのようなものではあったが、それは染色技術の未発達がもたらしたものであるとうよりも、むしろより呪術的な動機にもとづいていた。そしてそのことが、摺染めにある特別な感覚を付与し、それによって「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれかぎりしられず」(『伊勢物語』)という歌にあるような「心の乱れ」を象徴する心理的有徴性をのちに獲得してゆくことになる。」

「「うつる」という音と「しみる」という音をむすんで言葉が意味の世界に分化してゆくぎりぎりの稜線をゆるやかに渡りながら、ここで戸井田は理解や感情のシステムの底にひそむ「言葉以前」の感覚へと、微細な思索の通路をひらいてゆこうとしているのである。」

***

「『食べることの思想』に収められた「おしゃぶり」という文章が、言葉の音声的側面をなかだちとして、隠されていた概念連関を発見する戸井田流の思考法の一つの到達点を示している。(・・・)戸井田は「しゃぶる」ことで幼児は乳以外の何かをも味わっているのではないかと指摘する。赤ん坊が、食べ物でもないのにあらゆるものを口へ持ってゆく行為は、彼らが「しゃぶる」ことによって。彼らの外界に展開しはじめた対象をなんとか認識しようとつとめていることを示している。やがて赤ん坊はなにかわけのわからなぬことを「しゃべり」はじめる。すなわち「しゃぶる」も「しゃべる」も、舌と唇でする行為として、おなじ生理的な感覚を共有して言葉以前の語感を含む言葉だったのである。「言葉の始まりはしゃべるだったと考えてまちがいない」としながら、戸井田はしゃべることのなかに含まれていた言葉の未分化な流動体がやがて一定の「型」をそなえ、文法的・音韻露的分節化を経て「語る」ことが可能となる道筋をしめしてゆく。すなわち、「語る」と「型」は同根だったのであり、「しゃべり」を型化することで「語る」ことが生まれたのであった。」

***

「戸井田の関心は、つねに、個々の言語体系として成立した意味の世界のなかにではなく。個別言語に特化する以前の人間共通の普遍的な「理解の体系」が、非言語的媒体を通じて社会や身体に表面化してくるさまざまな現象のなかにあった。したがって言語学的な意味においても、戸井田の思索はきわめて本質的なものであった。」

***

「晩年の戸井田道三は、かなり意識的に「からだ」という言葉と「身体」という言葉を区別して使っていたように見える。「からだ」とは、とりあえず戸井田にとって、いわゆる生理としての、あるいは物理的存在としての「肉体」を意味していや。それは完全にマテリアルな存在であり、それはまだ「思考」したり「理解」したりする以前の段階にあると考えられた。一方「身体」とは、まさに人間がそのような「からだ」という物理的現象を認知し、了解し、それを空間のなかで使用してゆくときに立ち現れるもので、自然−文化−歴史の連続体のなかに置かれて息づく人間的な現象のことであった。「からだ」が認識による了解以前のからだであるとすれば、「身体」は了解されたあとのからだであるともいえるだろう。

 「からだ」という物理的な存在の周囲に、理解や了解のさまざまなコードを接続してはじめて「身体」ができあがるとすれば、それはすでにみてきたように、人間が「言葉以前」の感覚を分節化し、「分ける(=分かる)」ことによって作り上げられた制度的・社会的システムに対応するものであった。(・・・)

 人間は自己の周囲の空間を目によって了解し、そのなかで自分が動き回るための構造化された空間を作りだしてゆく。それは私たちの個々の生と特殊な関係をもったいわば「生きられた空間」であって、決して数学的で同質的な空間ではない。」

***

戸井田道三が自己の病弱なからだへの凝視を続けることにとって到達した思索の地平では、存在と意識との関係は奇妙に転倒した姿をみせていた。「カラダがおぼえる」(『忘れの構造』所収)という文章で、戸井田道三はデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉を引いて、これは「思う」ことと「思うことの自覚」とが思うことのなかで飛躍しながら連続することをデカルトが表現したのだと考える。従来の哲学は、すべてこのデカルト的な、意識の自覚を存在とむすびつける。いわば「在る」の思考から出発していた。しかし戸井田が晩年に到達しかけていたのは、ちょうど転倒したデカルト主義ともいうべき、「ない」ということから出発する思考法だった。「ない」というのはしかし存在/非在という二分法における非在ではなく、意識と存在が分化する以前のテリトリーにたつことで、思考の言葉によってはその存在を認識することのできない領域(すなわち「ない」という世界)に探りを入れてゆくための方法を意味していたのである。」

(「あとがき」より)

「戸井田道三が教えてくれたこと。ひとことで言えば、それは「言語以前」という、人間の身体における無意識的領域の重要性です。脆弱な身体を抱え、それを繊細に感じながら生きることをつうじて、彼はこの無意識領域が人間の意識と身体を結んではたらいていることを確信したのです。そして、身体に刻まれた深層の記憶領域に降りてゆくことで、人は文字記録と言語的な再構築によってつくられた公の「歴史」と呼ばれるものとは違う、主体的な「いま」を貫いている「深層の歴史」に出逢うことができる、と戸井田は説きつづけました。それは、独創的な「歴史学批判」の実践として、彼の思想を貫いています。」

[目次]

1 非土着のネイティヴ
――土地に住むこと

2 言葉以前へのまなざし
――舌でしゃべること

3 乳色の始原へ
――母を思うこと

4 思考のヘルマフロディーテ
――性を超えること

5 翁語りの深淵
――時間を生きること

6 歴史の昂進
――色が移ろうこと

7 はるかに、遠くへ
――旅に憧れること

あとがき

◎今福龍太(いまふく・りゅうた)
文化人類学者・批評家。1955年東京生まれ湘南の海辺で育つ。1980年代初頭からメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より奄美・沖縄・台湾を結ぶ群島に遊動的な学び舎を求めて〈奄美自由大学〉を創設し主宰。
著書に『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(讀賣文学賞)、『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(宮沢賢治賞・角川財団学芸賞)、『ぼくの昆虫学の先生たちへ』など多数。主著『クレオール主義』、『群島―世界論』を含む新旧著作のコレクション《パルティータ》全5巻が2018年に完結。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?