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吉田菊次郎『日本人の愛したお菓子たち/明治から現代へ』

☆mediopos-3137  2023.6.20

著者の吉田菊次郎は1944年生まれ
祖父の代からお菓子屋を生業とし
フランスで製菓修行し
帰国後「ブールミッシュ」を開業(2023年で50周年)

本書では明治に「洋菓子」が入ってきてから
現代に到るまでのその流行の歴史が
実際に流行した菓子の写真付きで
時代背景を踏まえながら紹介されている

洋菓子の歴史を見てみることは
明治以降の日本の文化史を見ることでもあるが
なにより子供の頃から親しんできたお菓子のルーツや
その変化などを見ていくことは
ある意味でじぶんが時代とともに聴いてきた音楽を
ふりかえるようなそんな経験の検証ともなる

和菓子の歴史や流行についても知りたいと思うが
本書で紹介されているのは基本的に洋菓子である

洋菓子はカステラなどをのぞけば
基本的に明治時代以降
日本人の食習慣に加わってきたもの

明治時代も中頃になると
いわゆる西洋化の波も落ち着いてきて
日常的な菓子として位置づけられもするようになり
明治時代も終わるころには
菓子を製造する企業も生まれてくることになる

大正時代には凮月堂・森永が地歩を固め
やがて明治製菓や江崎グリコも創業し
洋菓子店ではバタークリームのケーキもでてくる

戦争時期には洋菓子の歴史・流行は停滞することになるが
太平洋戦争後の復興期の昭和20年には
チューインガムやミルキー
紅梅キャラメル・カバヤキャラメル
そして戦前からあった新高ドロップや
フルヤのウインターキャラメル・ライオンバターボールなどが
甘みに飢えていた子どもたちにを楽しませるようになる

昭和30年代にはクリスマスケーキが日本全体に広がり
昭和40年代に入ると消費活動が活発化してくるに伴い
装飾的なデコレーションケーキも充実しはじめ
バウムクーヘンやチーズケーキなども流行してくる

昭和40年代も半ばになるとフランスパンもヒットし
チーズケーキやチョコレートケーキにも人気が集まり
その後アメリカンタイプも大型のカットケーキが流行し
デニッシュ・ペストリーもブームになる
この時期プッチンプリンも登場している

昭和50年代になるとバレンタイン商戦も活発化し
その後ホワイトデーも生まれてくる
またアメリカンタイプの焼きたてクッキーや
出来たてをその場で提供する
アイスクリームやシャーベットなども次々とでてくる
ガリガリ君やハーゲンダッツがでてきたのもこの時代である

昭和も終わり頃になると
新しい保存方法が開発されることで
マドレーヌやフィナンシェなどのシェアが拡大され
また製菓業界全体としては国際化が深められていく

1990年代には毎年のように流行のお菓子が作られていき
1998年以降はパティシエという語が市民権を得るようになる

そして2000年代に入ると健康志向も広がり
安心安全な菓子が求められるようにもなってくる・・・

最近の菓子の流行については詳しくは知らないでいるが
新らしい菓子が続々と出てくるのに驚きあきれてしまう

「歌は世につれ世は歌につれ」というように
「菓子は世につれ世は菓子につれ」である

ちなみに個人的にいえば
最近では和菓子指向である
羊羹の美味しさを再発見したり・・・

■吉田菊次郎『日本人の愛したお菓子たち/明治から現代へ』
 ((講談社選書メチエ 講談社 2023/3)

(「はじめに」より)

「筆者だが、父方母方ともに祖父の代よりそのお菓子屋を生業とし、家業としてきた家系であり、幼い頃より甘い香りに包まれて育ってきた。顧みれば、生まれたのが昭和19(1944)年という戦時中で、物心が付いたのが戦後の荒廃期ゆえ、ちょうど日本の復興期をそのまま体現してきたような人生であった。加えて海外渡航の自由化がその復興期の流れに拍車をかけ、甘き世界においても筆者を含む若いパティシエたちが、次々とまなじり決してフランスへスイスへ、あるいはドイツやオーストリアへと飛びたっていった。そしてそれまでの空白区を埋めるべく、最新情報を携えて帰国。待ちかねたようにマスコミも消費者もそれらを受け入れ、高度成長期を彩ってきた。そして〝今はこれ、次は何〟と、その矛先も常に先を見据えてかまびすしく、新しいテイストを探し求めてきた。それが流行という現象を生み、エキサイティングに甘味世界を充足していき、今に至った。そうした流れをひとくくりにしてまとめてみようと思い立ったのが、本書『日本人の愛したお菓子たち』上梓のきっかけである。

 ところで、「南蛮菓子」の次代はさておき、「洋菓子」なるものが本格的に入ってきたのは、幕末・明治の世となってからである。よってせっかく故と、そのあたりにまで溯って筆を運び始めることとした。ただ、その頃は、〝いつ何が好まれたか、何が流行ったか〟ではなく、〝いつ何が取り入れられたか〟の時代であり、大正時代も同様のきらい無きにしもあらず。したがって同時期の筆致は自ずと〝事始め〟的なものとなるが、その点に関してはご了承頂きたい。また昭和の前半にあたっては、世界恐慌に続いて昭和恐慌、事変の名を借りた戦争状態に入り、そのまま太平洋戦争に突入と、甘味文化どころではなくなり、当然のことながらニュースソースも少なくなっていく。辛い時代である。

 次いで戦後、日本の再スタートである。さて、その時流に合わせた昭和中・後期、平成、令和に至るまでの、その折々に花を咲かせるスイーツ類だが、その流行のピークがいつであったかについても収束も判然としないものも少なくない。また地域による差異も出てこよう。よって流行年については〝大体そのあたり〟と解釈していただいていいのではないかと思う。したがってそれらについて記した情報誌、あるいは読者諸氏諸嬢のご認識といくばくかのずれが生じる場合もあろうかと思うが、その点に関してはご寛容の程をお願いしたい。またロングセラーのスイーツ類については、これこそがはっきりいつとは決めかねる点、概ねその起年をシルさせていただいた。」

(「1 明 治──世界への仲間入り」より )

「南蛮菓子、和蘭菓子、西洋菓子、そして洋菓子へと変わるとともに、種類も豊かになり、ライスケーキ、スポンジケーキ、ビスキット、シッガル(シュガー)ビスキット、ウヲッフルス(ワッフル)(・・・)などに加え、チョコレートやアイスクリームも市民生活の中に入ってくる。本格的な西洋菓子の幕開けである。

 続いて明治も中期に入ると、世の中の西洋化も板につき始めてくる。食生活においても、戸惑いながら洋食に馴染み、お菓子文化もプリン(プディング)やシュークリームといったものが家庭でも手掛けられるなど、日常に溶け込み始める。加えて、ビスケット製造の機械化が試みられてくる。また鹿鳴館においては、最先端のデザート菓子が先進文化の一翼を担う象徴のひとつとして、意識され出す。なお、街中においては、和菓子舗に伍すべく洋菓子店といったものが確立されてきた時代といえる。
(・・・)

 同・後期においては、ビスケットやドロップなどの量産研究が進んでいった。特にビスケットは、日新及び日露の戦時にあって、兵糧の意味においても多大な貢献を果たすところとなった。

 なお、明治の初期から中期にかけてを洋菓子店の確立期と捉えるなら、同後期は後になる大企業の勃興期であったといえよう。森永や不二家といったところが産声を上げ、甘味世界を成長させ、次の大正時代へとつながていく。」

(「2 大 正──大企業の確立期」より )

「明治初期よりいち早く西洋菓子を手掛けた凮月堂一家が隆盛を極めて技術面をリードしていたことがわかる。他方森永がますます発展し、大企業としての地歩を固めていく。

 後期にはこれに対抗する明治製菓が発足。江崎グリコも創業した。総じて、大企業が確立していった時代といえる。なお、一般洋菓子店にあっては、ケーキ類の仕上げはグラス・ロワイヤルという砂糖掛けが中心であったが、次第にレベルが向上し、大正10(1921)年頃よりバタークリームに置き換わっていった。今様のケーキに近づいていったわけである。」

(「4 昭和20年代──子供たちの夢を叶えるお菓子たち」より)

「こうした復興期においては、限られた材料からチューインガムが作り出されたり、余剰の脱脂粉乳から生まれたミルキーが大ヒットを飛ばしている。また景品付きの紅梅キャラメルやカバヤキャラメルなどが、戦前からの新高ドロップやフルヤのウインターキャラメル、ライオンバターボールなどとともに、甘い味覚と楽しみに飢えていた子供たちに、限りない夢を与えていったことも印象深い。」

(「5 昭和30年代──お菓子の持つハピネスを求めて」より)

「いろいろあった中でも強く記憶されるのは、昭和30年代になるやならずやの頃のクリスマスであろう。それまでにもクリスマスケーキはなかったわけではなく。それをもって聖夜を祝っていた家庭もないわけではなかった。(・・・)それがこの頃になると、それまで抑えつけられてきた反動もあってか一気に盛り上がりをみせ、一億総宗旨替えでもしたかのようにクリスマスに燃え上がった。」

(「6 昭和40年代──若手パティシエ飛翔・スイーツ界に新風」より)

「[前期]消費活動も盛んになり、生活にゆとりができると、お菓子の傾向も変化を見せてくる。すなわち口にするだけでなく、見て楽しむようになり、飾る技術が格段の進歩を遂げてくる。その顕れとしてマジパン細工やそれを利用したデコレーションケーキが一目を惹くようになる。また各百貨店の名店街の充実とともに、バウムクーヘンがもてはやされる。(・・・)街場の洋菓子店の世界ではオムレツケーキやレモンの形をしたレモンケーキ等が流行り、チーズケーキも流行のきざししを見せてくる。」

「[中期]フランスパンが爆発的な大ヒットとなり、パリの地図入りの細長い袋を抱えて歩くことがファッションとなる。洋菓子の贈答品としては缶詰もプリンやシガレットタイプのフランス式巻せんべいなどがもてはやされる。また生菓子ではチーズケーキやチョコレートケーキに人気が集まり、さらに本格的なフランス菓子も脚光を浴びてくる。」

「[後期]小型で瀟洒なフランス菓子とは対照的に、アメリカンタイプと称する大型のカットケーキが流行した。一方流通菓子の分野では、歴史に残る大発明のプッチンプリンが登場する。またパンの分野では、フランスパンのブレイクを引き継ぐようにデニッシュ・ペストリーのブームが世を席巻していく。」

(「7 昭和50年代──フランス菓子一辺倒からの脱却」より)

「[前期]バレンタインも一気に商戦としての位置付けを不動のものにしていった。一方、おやつ菓子の分野では、「およげ!たいやきくん」の歌がヒットし、たい焼きブームが起こる。」

「[中期]バレンタインデーにチョコレートを頂いた男性からのお返しとして、ホワイトデーなるものが生まれる。」

「[後期]従来のようにあらかじめ焼成して袋詰めや缶入りにするのではなくアメリカンタイプの焼きたてクッキー、出来たてをその場で提供する立食形式のアイスクリームやシャーベット、あるいはきれいな器に盛ってソースや飾りを添えて供するデザート菓子と称するものなどが、次々と提案され、ブームとなっていった。またアイスクリーム業界ではガリガリ君や高級志向からハーゲンダッツが誕生をみる。」

(「8 昭和の終焉──スイーツのジャンルを次々網羅」より)

「エージレス(脱酸素剤)やアンチモールド(粉末アルコール製剤)使用といった新しい保存方法の開発を背景として、マドレーヌやフィナンシェなどが、自家需要やギフト商品としてのシェアを拡大していった。
(・・・)
 製菓業界全体としては、国際化がより深められていき、それはさらに花開く平成の時代へとつなげられていく。」

(「9 1990年代──スイーツ文化の国際化&次々登場の流行菓」より)

「これまでのフランス菓子主導からよりインターナショナルな感性へと切り口の幅が広がっていく。そしてマスコミの影響も強く受けながら、ほぼ毎年のように流行のお菓子が作られていった。また1998年以降はパティシエという語が市民権を得るほどに製菓人がアートの担い手として認識されるようになってくる。」

(「10 2000年代──スイーツ界も安心安全」より)

「お菓子を含む食品関係では、アレルギー物質の表示の義務化や黒い食品及び赤い食品、あるいは雑穀類といったものに注目が集まり、健康関係がより一層注視されるようになっていく。」

【本書の内容】

第I部 戦 前
1 明 治──世界への仲間入り
2 大 正──大企業の確立期
3 終戦へ(昭和前期)──お菓子産業受難の時代

第II部 昭 和
4 昭和20年代──子供たちの夢を叶えるお菓子たち
5 昭和30年代──お菓子の持つハピネスを求めて
6 昭和40年代──若手パティシエ飛翔・スイーツ界に新風
7 昭和50年代──フランス菓子一辺倒からの脱却
8 昭和の終焉──スイーツのジャンルを次々網羅

第III部 現 代
9 1990年代──スイーツ文化の国際化&次々登場の流行菓
10 2000年代──スイーツ界も安心安全
11 2010年代──お菓子もフォトジェニックに!
12 今のお菓子たち

○吉田 菊次郎
1944年、東京生まれ。俳号・南舟子。明治大学商学部卒業後、フランス、スイスで製菓修行。第一回菓子世界大会銅賞ほか数々の国際賞を受賞。帰国後「ブールミッシュ」を開業。現在同社会長のほか、製菓フード業界の要職を兼ねる。フランス共和国より農事功労章シュヴァリエ勲章受章。2005年、天皇皇后両陛下より秋の園遊会のお招きにあずかる。2022年秋、「黄綬褒章」受章。現在、大手前大学客員教授。
主な著書に、『あめ細工』、『チョコレート菓子』、『万国お菓子物語』(講談社学術文庫)ほか多数。

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