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八田 武志『左対右 きき手大研究』

☆mediopos2770  2022.6.18

左脳と右脳では
働きが異なっているという

左脳は意識脳で言語脳
右脳は無意識脳でイメージ脳ともいわれるが
それぞれの働きは言語や文化などでも
異なった働き方をすることもあるようだ

そうした脳の差異からすれば
左脳とつながっている右手と
右脳とつながっている左手とでは
働きが異なっているかもしれないから
右ききと左ききとでは
それに対応した異なった働きをもっている可能性がある

単純かつ短絡的に考えれば
右ききは左脳の影響を強く受けそうだから
意識的かつ言語的なものの影響を強く受け
左ききは右脳の影響を強く受けそうだから
無意識的かつイメージ的なものの影響を強く受ける
ということになりそうだが
実際にはそういうわけでもなさそうだ

左脳と右脳は常に連携しながら
相互的に働いているわけで
そうである以上右ききと左ききも
片方の脳だけの影響を強く受けてしまうわけでもない

本書は八田武志氏が
左ききに関する一九九五年以降の研究をまとめ
二〇〇八年に刊行されたものを文庫化したもので
『チコちゃんに叱られる!』などでも
取り上げられたこともあるということだ

右ききには右ききの理由があり
左ききには左ききの理由があり
右ききのほうが優位な部分もあれば
左ききのほうが優位な部分もあるようだが
実際のところ極端なまでの違いはなさそうだ

しかし右ききが圧倒的に多いなかで
左ききが差別的に扱われたり
逆にスポーツ選手の場合は
左ききが有利だとされたりするように
左ききが右ききと異なった扱われ方をするのは
文化的な差異のほうが大きいようだ

むしろ影響が大きいのは
左ききを無理に右ききに矯正しようとしたすることで
ときに現れてしまう弊害のほうだといえる

こうしたことは
右ききと左ききの違いだけにいえることではない
そこにある理由はさまざまだろうが
そうした「現れ」として多数派と少数派があり
往々にして多数派が少数派に圧力をかけたりもする
「みんながそうだというのが正しい」というように
数の論理を正しさの論理にすり替えてしまうのである

違いがある理由を明らかにすることは重要だが
違いを別の何かにすり替えて価値付けることは
できるかぎり避けた方がいい

違いは違いとして理解し
そのうえで違いと違いが互いにサポートしあいながら
あらたな働きを生んでいることがなにより重要なことだ
きき手だけではできないことがあるのだ

できれば本書のような研究の先に
相互作用によってなにが生み出されるのかが
明らかにされる研究があったほうがいい
差異があるだけというではなく
差異によって何が新たに付け加わるかが重要なのだから

■八田 武志『左対右 きき手大研究』
 (DOJIN文庫 008 化学同人. 2022/5)

(「第1章 優れる左きき」より)

「人間というのは不思議な生き物で、自らが多数派に属することで安堵し少数派に対する差別感情を内に醸成するくせに、少数者にあこがれのようなものも抱く。歴史的に見ても左ききへの偏見がある一方で、左ききや両手ききになろうとする試みも行われてきた。」
「ほとんど、あるいはすべてとしても過言ではないと思われるが、物事には二面性があるのが世の習いで、何から何まで素晴らしいとか、逆にすべての面でダメであるということは稀である。」

「左右脳のはたらきの違いを研究するラテラリティ(laterarity)と呼ばれる研究分野は一九七〇年ごろから盛んになり、今日まで多くのことがらが明らかにされてきた。この研究分野の発展により、左脳は言語に関することがらの処理(たとえば、文字や文章の読みや文法の処理)に優れる一方で、右脳は非言語的なことがらに関連する処理(たとえば、画像、顔、方向、時間などの処理)に優れることが指摘されるようになった。もっとも、近年の研究ではこのような差異は存在するが相対的なものであること、また特別な実験で明らかにできる程度の違いであり、あくまで人間の脳は一つのシステムとしてはたらくと考えるべきだと強調されるようになっている。

 このラテラリティ研究の指摘から単純に考えると、スポーツに含まれる要素には左手の運動をコントールしている右脳の機能に関係が深いのものが少なくない。もちろん競技の種類により一様ではないが、テニスを例にとって考えてみても、相手の布陣の空間位置の認知、ボールの速度の判断、相手の移動速度の推定、奥行きの判断、疲労度や意図を相手選手の表情から読みとる能力などは、右脳のはたらきに関係が深いということができる。また、テニスの試合中ボールを打つたびに叫び声を上げる選手を見かける。叫び声は語彙や文法の認知処理とは異なり、右脳が強く関与することが明らかにされている。したがって、ボールを打つ際に叫び声を上げて右脳関与を誘発していると推論も可能で、左ききはスポーツ全般において有利ではないかという過程が生まれる。なぜなら、左手の運動をコントロールしているのは右脳だからである。

 また、左ききの出現メカニズムについての有力な理論であるゲシュヴィンドらの胎児期の脳内ホルモン環境説では、胎生期における男性ホルモンの過剰な分泌が左脳後部の発達を鈍化させ、左脳が担うべき言語機能に関連した能力の発達に遅滞をもたらすとともに、左ききを生むとしている。しかし、左脳後部の成長遅滞は同時に右脳後部の成長を促進するので、左ききは言語機能が優れることに期待できないものの、運動能力、数学、音楽、芸術に優れる可能性を指摘している。このことからも左ききはスポーツにおいて優れるという推論には一定の根拠があるといえそうである。」

(「第2章 安全でない左きき」より)

「少数者が偏見の対象にされるのは世の習いである。その成立メカニズムが明らかでない場合にはなおさらのことである。したがって、左ききは歴史的にも偏見や邪悪なるものの対象とされることがあった。少数者への偏見は、精神医学的な問題を例にあげれば明らかである。かつては精神病に分類されたてんかんは、その分類にあてはまらないことは誰もが知るようになり、うつ病への偏見もその成立メカニズムが解明されるにつれて急速に減少し、もはやないに等しい状況となっている。
 左ききへの偏見も、今日ではその成立メカニズムへの科学的な提案が行われるにつれ、あるいは少数者である左ききの人たちの発言の増加と相まって、ほぼ消失したといえよう。しかし今日でも、多数を占める者たちの鈍感さと、利潤を追求することだけを重視する社会の仕組みは、左ききの人たちにとっては必ずしも心地よい安全なものではない。」
 
(「第3章 きき手の諸相」〜「左ききはリスク知覚に優れる?」より)

「非右ききは右ききよりもリスク知覚に感受性が高く、リスク行動を避ける傾向が強いという仮説は支持されなかった。」

(「第3章 きき手の諸相」〜「きき足ときき手」より)

「一四万五一三五人のきき足を研究対象にしたこの結果では、「左か右か」タイプで分類した場合には、左足ききは一二・一%で、「左、右、両方」の選択肢で「左と両方の足」を非右足ききと定義すると、二三・七%であるとしている。左手ききの六〇・一%は左足ききであり、右手ききで左足ききは三・二%だけである。きき手研究からの、ざっくりとした左きき人口が約一〇%であるとすると、きき手ときき足が一致しない人は三分の一程度しかいないことになる。右手でボールを投げる右ききは、ほとんどが右足でボールを蹴るということだ。」

(「第3章 きき手の諸相」〜「左ききは文化の影響を受けるのか?」より)

「アメリカやヨーロッパ系諸国では左ききというよりも両手ききの割合が日本や中国、台湾、イスラム諸国でよりも多い印象をもつ。世代による非右ききの割合の変化などは、文化差すなわち環境要因の影響を示唆する。ただし、かつてポラックらが指摘したように、きき手への文化の影響は北アフリカや中東諸国のようなイスラム文化圏では強く、極端に左ききの割合が低いという指摘は、最近では薄れてきているのではないかと疑問が残る。
 まとめると、文化の違いはきき手の割合に影響しないというわけではないが、左手の使用を禁忌とする圧力は弱まってきているということになろう。」

(「第3章 きき手の諸相」〜「記憶ときき手」より)

「きき手と記憶には強い関係があることが記憶の研究者から報告されている。」

「マーティンらは方向性をもつ記憶材料の場合に、右ききは左から右へという手の運動動作の方向性、左ききは右から左へという手の運動動作の方向性が、人物像や標識、あるいは彗星のような無生物での記憶再生に影響し、記憶の正確さのきき手による違いの原因と考えている。」

「最近の脳画像研究では、実際に運動を生じさせなくても想像するだけで脳活性化は同じように生じることがレビスらによって報告されている。左ききは片手で使うハンマーの音を耳にするだけで、左手の運動につながる右脳に活性化が生じ、右ききは右手の運動を生じる左脳に活性化が見られたのである。したがって、視空間的な記憶を再生する際には同時にイメージが喚起され、その喚起イメージにはきき手による違いがあると考えられる。」

(「第5章 なぜ右ききが多いのか?」より)

「本章は、「ヒトはなぜ右ききが多いのか」の問い、逆の表現をすれば、「なぜ左ききや右ききでないヒトが生まれるのか」の問いに直接答えを提示するのが目的である。とはいっても、現時点では「これが回答です」と一つモデルを提示する段階にはない。おそらく、この問いに対する回答は複数考えられるというのが私の考えである。」

(「第7章 きき手はいつ現れ、いつ決まるのか」より)

「きき手が何歳ごろに確定するかは、かなり古くから研究が重ねられてきた。たいていの場合、親が子どものきき手に関心をもち、左ききを悩み始めるのは、子どもがおもちゃを取り上げて動かす片手動作が多くなるころからである。

 きき手が何歳ごろに決まり、決まるまでにどのようば道筋を辿るのかという疑問への対応は、人間の身体と精神機能の成長に伴う変化の様相を記述しようとした、発達心理学の古い話題の一つである。心理学研究が急激な広がりを見せた一九三〇年代以降のアメリカでは、ゲゼルらの著名な発達心理学者がこの種の研究を行っている。きき手発達の様相を縦断的に調べたゲゼルの古典的研究をまとめると、

 〇〜一歳:左右手の偏った使用傾向は見られない
 二〜三歳:左または右手を偏って使うが、混在している
 四〜六歳:もっぱら片方の手を使うようになる
 七〜一四歳:安定して一方の手を使う

というものであった。」

(「第八章 左ききの矯正はよいことなのか」より)

「もっとも組織的にきき手の変更に取り組んだのは十九世紀末、ヴィクトリア時代のイギリスでの「両手きき運動」であろう。この運動は、左ききの排斥というよりも右ききも左ききも両手ききにしようとするもので、「これからの人間は両手ききでなければならない」という主張のもとで起きた。(…)
 しかし、この運動はすぐに廃れてしまうこととなった。「両手ききが左ききや右ききよりも能力的に優れることはない」という解剖学者の報告や、「左右の手を同じ頻度で使っても両手ききになるわけではない」「左右手を交互に使って動作するという愚劣な訓練よりも自然に任せたほうが、気分的にずっと楽である」などの主張に負けたのである。

 つまり、少しくらい片方の手を使ったところできき手が変わるものではないことが明らかとなり、一九二〇年代には「両手きき運動」は消滅したのである。二〇世紀の初頭にでは、むしろきき手の変更は悪いことであるという主張が強まり、アーリットが指摘するように「共生的なきき手の変更は発語だけでなく。読書能力などにも悪影響を及ぼす」といわれるまでになった。」

●目次

第1章 優れる左きき
スポーツ選手は左ききが有利?/野球選手は左ききが有利?/英才児の多い左きき/左ききは器用?/音楽の才能と左きき

第2章 安全でない左きき
「左きき=短命」説/本当に短命なのか?/短命でない左きき/左ききの骨折事故/左ききと怪我/両手ききが怪我をしやすい?

第3章 きき手の諸相
左ききはリスク知覚に優れる?/日本人と左きき/きき足ときき手――大規模メタ分析/きき手と軸足の関係は?/日本の中高年に左ききは少ない?/きき手と実行系機能/左ききは文化の影響を受けるのか?――外国人のきき手/きき手と精神医学的特性との関係に文化の影響はあるか/左ききには同性愛者が多い?/記憶ときき手

第4章 きき手の決め方
きき手を質問紙検査で決める/作業成績できき手を決める/新しいきき手判別検査/日本人のきき手検査

第5章 なぜ右ききが多いのか――きき手成立のメカニズム
きき手は遺伝する?――対立形質遺伝子モデル/脳損傷の影響?――左きき脳病理原因説/左ききと細菌性髄膜炎――病理説への支持/脳の外傷が原因?――出産トラブル説/男性ホルモンの影響?――脳内ホルモン説/聴覚系の影響?――プレヴィックの前庭器官モデル/神経細胞の数の影響?――脳梁発達説/遺伝子発現の影響?――胎児期の発達不安定性説

第6章 きき手と脳のはたらき
きき手と視覚機能/きき手と聴覚機能/きき手と言語障害/左ききの触覚機能/左ききの脳画像――その形態学的特徴/きき手と脳画像――その機能的特徴

第7章 きき手はいつ現れ、いつ決まるのか
胎児にもきき手はあるのか/乳幼児にきき手はある/きき手はいつ決まるのか/学習によるきき手と非きき手の機能差/旧石器時代人のきき手/きき手の発現と言語の誕生/きき手と言葉の誕生とをつなぐ

第8章 左ききの矯正はよいことなのか
なぜ左ききを変えようとするのか/きき手を矯正することの効果/きき手の矯正――ネズミの場合/きき手矯正の結末

第9章 動物にもきき手はあるか
類人猿のきき手/左ききのニホンザル/ネコのきき手/イヌのきき手/カエルにもきき手?/魚のきき手?

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