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田鶴寿弥子『ひとかけらの木片が教えてくれること・木材×科学×歴史』/寺田寅彦『柿の種』

☆mediopos2840  2022.8.27

「ひとかけらの木片」から
どんな世界が広がるのだろう
そんな関心から読んでみることにした
珍しいテーマの一冊

仏像や神像や歴史的建造物
そして木製の入れ歯まで
「木材である以上に、
時をこえて歴史をこえて教えてくれる
先祖たちから渡されたタイムカプセル」としての
「ひとかけらの木片」をしっかり観察することで

その木が何の木から作られているのか
どこから運ばれてきた木材なのか
文化財に用いられた
さまざまな木材の樹種を同定することで
「人間が木材とともに歩んできた歴史を、
科学の力で紐解き」
「人がいかに木に向き合ってきたのか」を
明らかにするのが著者の研究である

木片を観察するには
「色を見る」「手で感じる」「嗅ぐ」「味わう」
といったように「五感で見分け」たり
組織構造を目で見たり
そしてプレパラートを作って光学顕微鏡をのぞいたり
CTで樹種を探ったり
近赤外線による識別をおこなったり
DNAによる識別をおこなったり
年輪を調べたりと
さまざまな方法があるそうだ

こうした研究のためには
「材解剖学を軸に、歴史、考古、美術、建築、古気候など」
さまざまな分野の研究者が
分野横断的で学際的なアプローチをすることが必要になる

著者がこうしたアプローチに携わっているのは
寺田寅彦からの影響が大きいようだ
本書でも時折読むという『柿の種』からの
「学問というものはどうも窮屈なものである」と
「学問のあり方に疑問を投げかけている言葉」が
紹介されている

『柿の種』はいつもデスク脇に置いているので
久しぶりに拾い読みをしてみることにした

寺田寅彦は
「日常生活の世界」と「詩歌の世界の境界」を
「すっかり溶かしてしまう」詩人を語り
「宇宙の秘密が知りたくなっ」て科学者になり
さらには詩人になるみずからを語り
「算術のほかに数学はないと思っている人たち」のことを
苦々しく語る

ポエジーの失われた世界では
どんな学問もすべてはゾンビのような
営為にしかならないのではないか
そんな危機感をもたざるを得ない現代において
本書は人間らしさを感じさせてくれ
しかも科学をうまく活用した学問の形を垣間見せてくれる

■田鶴寿弥子
『ひとかけらの木片が教えてくれること/木材×科学×歴史』
 (淡交社 2022/8)
■寺田寅彦『柿の種』
 (岩浪文庫 1996.4)

(田鶴寿弥子『ひとかけらの木片が教えてくれること』より)

「書棚から時折手に取って数ページ読み、またもとに戻す古びた本があります。物理学者であり秀逸な随筆家でもあった寺田寅彦の『柿の種』という一冊。

(…)

『柿の種』の中で、特に私の心に響く一文があります。庭に落ちた一輪の椿の花を見て、
    このあいだ、植物学者に会ったとき、椿の花が仰向きに落ちるわけを、だれか研究した人があるか、と聞いてみたが、たぶんないだろうということであった。
    花が樹にくっついている間は植物学の問題になるが、樹をはなれた瞬間から以後の事柄は問題にならぬそうである。学問というものはどうも窮屈なものである。
 学問のあり方に疑問を投げかけている言葉です。「窮屈なもの」と形容されたそのような学問は今、分野横断型や学際研究という名称で、複数の分野、領域が境界を越えて統合し、研究を進めつつあります。
 実は、私が行っている研究も、ある種の分野横断型、学際研究といえる領域にふくまれるでしょう。古い文化財の小さな破片を顕微鏡でのぞき、その樹種を明らかにすること。そして人間が木材とともに歩んできた歴史を、科学の力で紐解くこと。
 木材解剖学を軸に、歴史、考古、美術、建築、古気候など、様々な分野の研究者らとともに木を見つめていると、寺田の「自然界と人間との間の関係には、まだわれわれの夢にもしらないようなものがいくらでもあるのではないか」という言葉に秘められた何かが見えてくる気がしています。
 寺田はさらに、暴風雨の潮風のためスズカケノキの葉が痛んでいる中にあって、潮風にもまれても痛みもせずに濃緑の色を新鮮にしたクロマツをながめてびっくりし、「日本の海岸になぜ黒松が多いかというわけがはじめてわかったような気がしたのであった。国々にそれぞれ昔から固有なものにはやはりそれぞれにそれだけのあるべき理由があるのである」とも述べています。そのような各地独自の、昔から伝わる知恵に込められた意味を今再認識して、科学にフィードバックさせるということ、つまり「温故知新」の観念は、木を通して文化財を研究する私にとって、欠かすことのできないものなのです。
 未来だけを見るのが科学ではない、古の知恵からも何かを学び取り、それを未来へつなげ、役立てる。それが、寺田が私たちに伝えたかったことの一つではないかと、そう思います。
 そして、この本を書棚に戻す前に必ず開く、古びた付箋が貼られたページにはこんなことが書かれています。
  棄てた一粒の柿の種
  生えるも生えぬも
  甘いも渋いも
  畑の土のよしあし
 寺田は、きっと科学を柿の種になぞらえて、その種がどのように成長するかは社会次第、といったことをいいたかったのではないかと推察していますが、私はいつも、同時にもう一つの思い出をこの言葉から勝手に受け取っています。「たくさんの人の手を経て今私の手の平に載せられたひとかけらの木片が私に教えてくれる歴史や文化、その情報をどのように未来に役立てていくのかは、研究者にかかっている」と。おこがましいと怒られるかもしれませんが、この言葉を読むたびに、研究者としての自覚を新たにしています。」

(寺田寅彦『柿の種』より)

「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。
 このガラスは、初めから曇っていることもある。
 生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
 二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
 しかし、終始ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。
 しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。
 ある人は、初めからこの穴の存在を知らないか、また知っていても別にそれを捜そうともしない。
 それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは……あまりに忙しいために。
 穴を見つけても通れない人もある。
 それは、あまりからだが肥り過ぎているために……。
 しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために、通り抜けられるようになることはある。
 まれに、きわめてまれに、天の炎を取ってきてこの境界のガラス板をすっかり溶かしてしまう人がある。
 (大正九年五月、渋柿)」

「宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつのまにか自分の手は一塊の土くれをつかんでいた。そうして、ふたつの眼がじいっとそれを見つめていた。
 すると、土くれの分子の中から星雲が生まれ、その中から星と太陽とが生まれ、アミーバと三葉虫とアダムとイヴとが生まれ、それからこの自分が生まれて来るのをまざまざと見た。
 ……そうして自分は科学者になった。
 しばらくすると、今度は、なんだか急に唄いたくなって来た。
 と思うと、知らぬ間に自分の咽喉から、ひとりでに大きな声が出て来た。
 その声が自分の耳にはいったと思うと、すぐに、自然に次の声が出て来た。
 声が声を呼び、句が句を誘うた。
 そうして、行く雲は軒きばに止まり、山と水は音をひそめた。
 ……そうして自分は詩人になった。
 (大正九年八月、渋柿)」

「一に一を加えて二になる。
 これは算術である。
 しかしヴェクトルの数学では、1に1を加える場合に、その和として、0から2までの間の任意な値を得ることができる。
 美術展覧会の審査には審査員の採点数を加算して採否を決めたりする。
 あれは算術のほかに数学はないと思っている人たちのすることとしか思われない。
 (大正十年、渋柿)」


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