自分にとって、noteで書くということ

結局のところ自分は、政治学を志した18歳の頃から、「立場の違う人同士が、お互いに折り合いをつけていくためのプラットフォームとしての公共性」にずっと関心があって。

LGBTQ+活動や同性パートナーシップの法的保障の活動でも、それを期待していた…というかそれが当然の前提だと思っていた(まだ若いというか未熟だったんだね、私(^_^;))。

実際には、自分が望む権利/法的保護が得られれば、「公共性」については頓着しない…という人もそこそこ居て。今となっては、誰がどういう立場や方法論であっても自由だし、それもアリじゃんと思うんだけど。

当時は「公共性」が重視されていないと思い込んでしまって絶望したり、疎外&孤立や自己憐憫に陥って、結果2014〜2015年頃から病んでいったんだよなぁと思い出した(笑)。

この入院中、「『公共性とは』みたいな事を考えるのは、個人的にやっぱり楽しいなぁ」と思い始めて。あくまで押し付けがましくなく、自分が思っていることをざっくばらんに淡々と書いていけたら良いな…と思う。「色々な考え方がある中で、私はこう思ってるんだよね」くらいのスタンスで。

結果的に共感してくださる方がいるとしたら、もちろん嬉しいし感謝だけど。「他者を動かすため/変えていくために書く」「他者にこう思われるために書く」というのはやめる。それをやると、自分の中の自己中心性や傲慢さ、コントロール欲求などがまた発動するだろうから。

あくまで「自分が思っていること」を淡々と残す記録としてnoteは使っていきたいかな。あとは読み手に委ねる。

というか、どう受け取るかは読み手側の問題であり、私が変えられる類の問題ではないと思うの。

#書くこと
#自分にとって書くこととは
#note
#公共性

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?