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とあるバス停での出会い


アルゼンチンに来て4ヶ月、アプリを駆使しながらバスでの移動ができるようになってきた。こうなると行動範囲も広がり、自分の想像力も広がるというものである。
 

1. まずはバス停探しから



アプリがあるので移動自体はさほど苦にならないが、バス停がとにかくわかりにくい。KIOSKOと呼ばれる日本のコンビニみたいな場所が目印というだけで、「バス停です」と書いているわけではないので、人の集まる感じを察知しながらバス停を認識していく必要がある。
 

2. 意外と発達しているバス文化


 
渋滞していてもバスのが早い、そんな不思議なことが起こるほどのバス文化。大きな通りにはバス専用の路線があることから渋滞の時でも渋滞の車両よりは早く進むことができる。行先は全て番号で表示されるのだが、時刻表の有無はわからないが頻繁に走ってくるので利用者は助かる。バス停でなくても手を挙げて止まってくれる感じも昭和の日本っぽさがあっていい。
 

3. そんな時に出会いがあった
 


この日は書類の届け物があって外出した。その方は日本語通じる方なので、こちらの事情も察してくれていて帰り道の心配までしてくれてバス停まで来てくれた。一緒に乗ると言うのでさすがにそれは遠慮したのだが、隣にいた初老のご婦人に私のことを「○○に行くのでお願いします」と頼んでくれていた。その女性も太っ腹で「私に任せて、安心して!」と隣に座っていろいろと説明までしてくれた。
届け物の知り合いも女性なら、その方も女性。外国人男性を前にして「私に任せて」(直訳だが)なんて簡単に言えることではないと思う。その方は先に降りることになるのだが、きちんと降りるまでのバス停の数まで教えてくれた。
 

4. 男気のある女性たち


 
困ったことがあれば何でも言って、と言われると遠慮せずにいろいろ聞きたくなる心理状態。そんな状況下でこんな出会いがあると嬉しくなる。心配されることよりも、何とかしてあげようっていう気持ちが嬉しかった。そしてそこにいたというだけの人同士で「任せて!」って言える人間味という文化。
ただのお節介じゃない。外を歩くことが危険だから根付く優しさだと思った。一人で歩くこと以上に知らない場所にいることも危険なこと。守ろうなんて思ってないと思うが、何とかしてあげようっていう気概はすごく感じる出会いだった気がする。
 

5. 日本人だけの生活


 
言葉がままならない生活、一か月しか経っていないのに毎日何かが起こっている。平和に一日が終わることが数日しかないのもアルゼンチン。心が折れそうな時もあるけれど、そんな中で嬉しい出会いがあるから心に残っていくのだと思う。そんな出会いを大切にしながら言葉がなくても繋がれる経験を次に生かしていきたいと思っている。


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