アイネ・カネ恋・タサン・サントリーニ島
せっかくの休みなのに、仕事を持ち帰っている。でも仕方ない。休み明けに必要なので、うっちゃっておくわけには行かない。
春馬くんの新盆だった。特に私は何もしない。前週の娘の結婚式の花がまだ花瓶に残っていた。お盆というよりは、戦争のことを考えていた。結婚式と人間関係に、人付き合いについて考えたりしていたが、仕事のことも頭を離れなかった。コロナも大雨も、アフガニスタン問題もあった。
春馬くんの夢を見た日があった。先週。春馬くんがまだ少年、大人ではない。寂しがっているという、「よしわかった、なんとかしよ」と私は思っている。結婚式で数年ぶりに会った元夫が私の近くにいて、それに協力してくれる感じの場面。夢はその場面だけ。そこで目が覚める。
ここでお決まり「あかんやん!あかんやん!死んだらあかんやん!」と、絶望になる。とりかえしつかない、という悔しさは目覚めた瞬間が最大で、その後は、色水の雫が落ちて広がり消えていくように、すぐに薄れていく。
「おカネの切れ目が恋のはじまり」を見直す。主人公・玲子の設定が魅力的で、それを余すことなく演じる松岡茉優に安心感があり、まことしやかに伝わる、最後の撮影日の現場で交わされたという、「彼女がやりやすいようにやりましょう、僕はそれに合わせます」という春馬くんのことばもなんの不自然もないように思える。
このままドラマが進めば、清貧女子の生き方を真似したい人も増えたのではと思えるような、うまい脚本だなとも感じた。よく見てみると共演者も良かった。会社の同僚や、家族、テレビドラマらしい華やかさ、明るさがあって、あちこちにうまくテーマのお金を絡ませてあった。
今、こうやって春馬くんのドラマを見返しながら、私はもう「なぜ」ということを前ほどには思わない。あってはならない、という気持ちも弱まった。1年前の強烈な衝撃が夢の中の出来事のようでもある。おそらく、作品の中で春馬くんが生きているからだろう。
20歳の、まだ丸みを帯びた中性的な顔立ちだった春馬くんの写真をみると、この子を失ったことの悲しみが噴出する。こんなに幸福そうだったのに!と迂闊なおとなであることを思い知らされる。
けれど、このままじゃいけないと考えて焦ったり、周りと自分を比べて落ち込んだり、孤独と向き合ったりしながら、人間は生きているものなのだろう。それを、確かに春馬くんは特別の感受性で、30歳までに一生分と向き合い切ったのかなと感じるところはある。いろいろな苦悩、挫折と対峙しながら、時間をかけて自分の幸福を感じる力をアップさせていくことができるところが人生にはある。それを成長、ということもできるのかもしれない。
たとえば辻褄合わせにエネルギーを遣ってばかりいるときに、「そうか、別に辻褄合わせるってこだわっているのがちょっと歪んでいるぞ」「だれも気にしてない」「辻褄合わせることの目的って自分のためじゃないな」というようなことを見つけられるようになり、楽に生きられるようになる。自分の拘りがつまらないことだと気がつくということは、本当の問いとの出会いのはじまりかもしれない。手放す、ということばが昨今よく使われている。身につける、手に入れる、それを強く欲した挙句に、それらが自分を縛り、重荷になって、苦しめているということに出くわすときに、自分のからだひとつの人生に気がつく時なのかもしれない。
そう、今朝見た「世界まち歩き」で、サントリーニ島の人が言っていた。「ここで暮らしてここで死にたい」と。世界的な観光地だけれど、最先端の医療や、高齢者の福祉はどうなのかなとふと思う私。けれど、そのように感じることができる人がうらやましい。今の幸せを今感じることができる。
そこで「アイネクライネハトムジーク」だ。濱田マリが「歯車を甘くみるなって話よ」と息子に言う。この映画全体がやんわり漂いゆく10年を描いて、とても誠実に感じられるのは、ものごとを成し遂げることができるできないではなくて、そこにある心をちゃんと描いているからだろう。
タサン・志麻さんのご夫婦のドキュメントを昨日見た。15歳年下のフランス人の夫が主夫をしている。志麻さんの仕事を手伝ったりしながら、子育てを楽しんでいる。かわいい夫は27歳。うちの息子が26歳だから変わらないのか。ふたりの未来はわからない。だれにも。子育てで本当に手がかかるのは10年くらいか。そこからは経済的なこと、精神的なことが子育ての真ん中にやってくる。主夫業に明け暮れて仕事をしていない夫に不安を感じる志麻さんも、正直で良かった。ふたりには3人目の子供がうまれるという。もう生まれているのかな。志麻さんも子育て、たのしむといいなと思う。
結婚したらテレビ見ながら寝転ぶ妻の背中をマッサージする、という夫婦観、家族観を持っていた春馬くんでした。アイネクライネの10年とは別世界の濃密な活動と精神的な浮き沈み、家族の問題などもあったのかもしれません。精神の病を発症していたのなら、きちんとした治療をしなければ、そして治療をサポートする家族やそれに代わるだれかがいなければ、治すことは難しかったのでしょう。
あの日、「三浦春馬、休養」「三浦春馬、芸能界引退」というニュースが流れていたのならどうか。そこにもさしたる希望を感じることができないでいる。
春馬くんの10年を思う。幼少の頃から選ばれたる者として生きてきた人たちが、若い時期に非常に苦しんでいる、というのをすこしばかり思いつく。それは命懸けの苦しみであり、そこを通り抜けるまでに時間もかかる。あらゆるからくりに気づきを得るにはそれなりの作業が必要になる。もうそういうことを、すっぱりと諦める、春馬くんらしいといえばらしいのが悲しい。
さて、春馬くんのことを久しぶりに書き留めておきたいと思ったら、長くなってしまった。いろいろ考えたり、感じたりするきっかけをもらってる。ありがとう。
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