見出し画像

作る人

「作る人」になりたい。
小学生の時から図工が好きだった。簡単なスケッチを書いて木を削ったり絵を描いたり粘土で形をつくったり。作ることには人一倍やる気があった。居残りをして納得が行くまで作業をした。

小学校の記憶は鮮明に覚えてる。土を捏ねて壺を作り焼いた。クーピーやクレヨンで絵もたくさん描いた。写生大会も3回あった。中学生はぼやーっと覚えてる。鉛筆でデッサンした。印鑑つくった。絵も描いた。彫刻もした。高校は覚えてない。何かを自分の手でつくった記憶はない。僕の記憶に間違いがなければ、学年が上がるにつれて「作る」ことは減ったと思う。

「作る」ことは記憶することなのかもしれない。小学生の時に描いた絵は今でも覚えてる。家の近くの神社の絵。親が気に入って実家のトイレに今もまだ貼ってある。

社会人になって時間が過ぎるのがとても早い。早かった。
今はパステルを使って絵を描いてる。スマホで撮った写真、特にお気に入りの写真を見ながら絵を描く。描いているとその時のこと蘇ってくる。今描いているのは山鹿の空き家を草刈りしている時に撮った写真。その日は暑かった。4人がかりで作業して半日かかった。刈払機は2台。コードタイプと刃がついているタイプ。
草が多すぎたのかコードタイプはすぐに消耗して結局は刃付きの刈払機1台を交代で使った。途中暑すぎてセブンにアイスを買いに行った。
こうやって文字を描いて(作って)いる時にも記憶は蘇る。一度蘇った記憶はなかなか忘れない。木に巻きついてる蔦を取りたくて思いっきり引っ張ったら木が折れたりもした。

「作る」ことは大切だ。生きた記憶を残すためにも。絵を書くのも大切だ。絵にすることで記憶を誰かに伝えることができる。作るって素晴らしい。つくっているときは余計なことは一切考えなくていい。ただ自分が思うように作ればいい。口出しされても気にしなくていい。自分のもの(記憶)なんだから。

社会人になり働いてお金を稼ぐ。
学生の時とは違って自分で使えるお金がある。
自分のお金を最初に使ったのは財布だ。今も使ってる。4年ぐらい経つと思うけど全然飽きない。次は服だったかな。焼肉にも行った。本も買った。家も借りたし、車はもらったけど駐車場は借りてるしガソリンも買ってる。
買ってるばかり。

今は作る機会が増えた。
食べ物をつくる。家の本棚をつくる。 
絵を描く。服をつくる。テーブルもつくる。茶碗や湯呑みをつくる。

作る機会が増えてから1日1日がゆっくりになった気がする。1日の濃度が上がったと思う。作ることで豊かになった。

買う人から作る人へ。
僕は「作る人」になりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?