既読と覚悟は同義

LINEの既読と覚悟は同義である。
LINEとは、自分と外界を繋ぐ橋のようなツールだ。インターネットの接続がなければ、誰とも繋がることがなく、文明や世界の成長など一切のノイズを無視して、自らの楽園に閉じこもることができる。地に足のつかない生活は、怠惰な休日, ぬるい恋人のような快適さと中毒性を含んでいて、第三者がその場に足を踏み入れて音を立てない限り、脅かされることがない。反対に怖いのは地に足をつけたその瞬間と、足をつけた地上で一生歩いていくことを自覚してしまったときである。LINEの使用には必ず相手を有し、橋のその向こうでは見知らぬ人の見知らぬ世界が広がっている。相手の生活のいずれか5秒に自らの影がちらつき、やがてその輪郭が形を成す。自らが投げた言葉は、いかなるものでも音や形となって相手の肌を刺し、その柔らかな針は硬い皮膚に対峙して何事もなかったのように地面に落ちるかもしれないし、長い時をかけて相手の血液を循環し、血管に刺さる日が来るかもしれない。あるいは直接相手の目を貫通し、新たな目が精製されるまで、相手の行手を阻むかもしれない。既読をつけなければ、橋の上に浮かんだ会話は熱を失って蒸発し(熱を帯びて蒸発する世界の理と反すること悲しきかな)、やがて誰の目にも止まらぬ雲となって空を漂う。手を伸ばせば届く位置に、私たちの脳みそを置いておきたくて、消えゆく前にえいやと既読をつける。パサパサに乾きかけた文字の羅列は再度潤いを帯び、人並みの温度になるようにあたためた言葉を重ねる。会話は星にはなれない。一度空に溶けた雲は、もう二度と掴み取ることはできない。錆びた歯車に手をかけ、軋む音に耐えながらゆっくりと動かしていく。そんな覚悟の音である。

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