一日一夢

2022年11月23日(水・祝)

泊まっているホテルの部屋は4階。広い窓からは見える川は、もう少しで海に繋がろうとしている。川を挟んだ対岸のビーチには、スーツを着たサラリーマン2人とTシャツ短パンのおじさん2人が仰向けで並んで横たわっている。右側のおじさんたちは頭の3倍ほどの風船ガムを膨らませながら寝ている。

先週まで、非常に落ち着きのない日々を過ごしていた。
溜まっていた疲れを祝日にここぞとばかりに取り除く。本日は気づけば夕方5時をまわっていた。本日は、睡眠中に風船ガムおじさんと出会った。


2022年11月28日(月)

1年前。以前の職場で働いていたころ、心から尊敬していた先輩が突然辞めた。
いろいろと折り合いをつけ、それまでのお世話になった気持ちを改めてLINEで送ったら、長文の返信が返ってきた。
そこには「まだまだ一緒に働きたい」「大げさかもしれないが、自分が年を取り仕事を辞めるまで切磋琢磨していければと、叶わぬ夢を抱いてしまった」と書かれていた。

どうして叶わぬ夢なのか。仕事を変えてもまた一緒に働けばいいじゃないか。

考えているうちに、自分も同じ夢を抱いていることに気づいた。
珍しく、この夢は見ているだけでは満足できそうにないので、歩み寄ってみようと思う。


2022年12月21日(水)

夢に関連する気持ちの執筆
- 私の辞書に、夢という言葉はない
- 夢を見るように生きる
- イメージ。自分がその行動をしてるイメージ
- 夢は人生を楽にするのではないか


2023年1月2日(月)

眠っているとき、夢の「中」で現実の続きをすることができる。
例えば昨日、夢の「外」で東南アジア史のレポートを書いていた。テーマは自由、授業で学んだことに対し、自分がどのような問いを持ったのか、その問いにどのように考えたのか。そのような問いと思考の過程を記述するリアクションペーパー的立ち位置のレポートだ。

正直、新しいことを知りながら、同時並行で新たな問いや疑問を生み出すのは苦手な作業だ。大学でも仕事でも、新しいことはすべて「へーっ!すげーや」という小学生マインドで吸収してしまうからだ(これはきっと幼少期
「若いうちの頭脳はスポンジだから、頭が固くなる前に沢山吸収しなさい」という親の教えが効いているのだと思う)。
だから、「質問はありますか?」にまともな質問をすることができず、一度持ち替えるしかできない。ちなみに、会社の上司はそれを見越してか、大きいミーティング前には「今回のミーティングにはどのような姿勢で挑む予定ですか?」と聞いてくるようになった。自分の立場を明確にしておくことと、知りたいことを事前準備しておくことは新たな問いを生むからだ。入社前にはそれをマスターしておきたい。

話が逸れた。
学びながら考える、ということが苦手ということを伝えたかっただけなのだが。

昨日の話に戻ると、東南アジア史のレポートテーマがなかなか思いつかず苦労したのだ。知らないことはもちろん多く、新たな発見はたくさんあったが、そのどれに対しても疑問を抱けないのだ。特に歴史だと、「こういう事象があって、それにはこんな原因があって」というふうに、完結してしまっている気がするからである。実際には歴史学は動的な学問であり、既に過ぎ去った物事に対し、切り口を変えれば新たな事実が湧き出てくる。だから、習った事実に対して別の角度、別の人の視点、同時並行で起こった事象、理由のさらなる背景などなど見るべき場所がたくさんあることは事実としては理解している。

もう少しこの議論を深めたくなったので、夢の話には最後に戻ることにする。

東南アジア史という遠く離れた場所、顔も名前も知らぬ人々の歴史だから分かりづらいのだ。まずは自分の歴史を客観的に見るところから始めてみよう。一番面白いのは、小学二年生のときにいじめられた経験だ。まずはこの事実に至るまでの理由と過程を客観的に書き出してみる。次に、この事実を踏まえ、新たな第三者の視点で「問い」を生み出してみる。最後に、最初の事実と深堀りした問いへの答え(客観事実)を、主観的感覚と比較してみよう。

事実:kは2年間に及ぶ受験勉強を乗り越え入学した私立の女子小学校にて、1年後にクラスメイトからいじめを受ける。いじめの中心メンバーはこれまで仲良くしていたグループの4名。遊びでの理不尽な対応から仲間外れ、持ち物隠し、盗難、間接的な暴力などをおこなう。当時新卒2年目で担任を務めた担任教師はrのテストを張り出したり、クラスメイトの前で侮辱的な発言をするなどして加担。また、中心メンバーによる行動を見逃す。ほか40名のクラスメイトによる積極的な加担はなかったものの、kの存在を無視するなど消極的に加担。これらはクラス替えまでの1年間続く。

理由:当時kといじめ中心メンバーが属していた仲良しグループ「6つ子ちゃん」は、出席番号順の座席縦1列の生徒6名から構成された。kともう1名を除く他のメンバーは全員成績優秀であり、テストでは常に上位10位以内に位置する優等生であった。そのため、クラスでの存在感も強い。彼女ら自身にもその自負があり、一時的に発足されたグループである「6つ子ちゃん」に徐々に帰属意識が芽生えていた。「優秀な生徒が集う『6つ子ちゃん』に優秀ではない生徒はいらない」という思いから、非・優秀な2人を排斥する作戦を思いつく。最初に排除された1人は、グループ外に仲の良い友人がいたためすんなりと除籍。次の1人がkだったのである。しかし、のんびりとした性格のkは彼女らの思惑に気づかず能天気に日々を過ごす。その非・優秀さに加えたkの能天気さに我慢ができなくなっていたほかメンバーたちは、徐々に排斥手段を強め、上述のいじめへと至る。

問い:本当にいじめは上記の理由で起きたのか?kの能天気さが誰かを傷つけた故に起こった事象ではないか?いじめは4人によりおこなわれたとあるが、全員が同じモチベーションのもとにおこなったのか?クラス内のいじめが発覚すると担任にはデメリットが生じるはずだが、なぜ担任は加担したのか?本当に加担したのか?いじめはどのように発覚したのか?クラス替え後のkはどうなったのか?いじめられる側を経験した人の性格には問題が生じるはずだが、kによる新たな問題は発生したのか?いじめたメンバーたちのその後はどうなったのか?いじめた側・いじめられた側双方の関わりはその後あったのか?kはなぜ早々にグループを抜けなかったのか?etc.

問いへの答え:いじめが起こった理由は上記が主であるが、より詳細の理由は当時のクラスの背景、いじめた側の生育環境、より個人的な理由まで深く調査する必要があり、インタビューなどが有効である。kの能天気さにより、彼女たちの自尊心や自身を傷つけている可能性は大いにある。また、マイペースでヘラヘラとした人間は、きちんと動く人間からは疎まれることが多いので、他人の怒りを買う可能性は十分にある。中心メンバーのいじめに対するモチベーションはバラバラであり、被害者視点では1人が空気づくりや指示をして残りの3人が従っているという感覚であった。そのため、従いたくない指示には従わず逃げるメンバーもいたということもあった。担任が加担した理由としては、新卒故に校内での立場が確立しきれておらず仲の良い生徒が少なかったこと、加害メンバーの1人の権力が親子ともに強かったこと、加担するにはリスクの低いいじめであったことが考えられる。また、教師にいじめに加担したという感覚はなく、生徒の冗談に乗った程度と認識していると考えられる。いじめは公には発覚しておらず、k本人の独白によるものである。しかし、kの祖母が孫の様子の違和感に気づいたことから問題としてkが自覚するきっかけとなった。クラス替え後のkは加担したメンバーのうち進級後に同じクラスになった2人に同様のいじめを単独でおこなっている。kのわかりやすい性格の歪みは不明だが、これにより人間関係や生き方の価値観に影響を与えたことは事実である。kによる新たな問題は1年後のいじめの復讐である。いじめたメンバーたちのその後の分かりやすい変化は不明である。加害者・被害者はその後、関わり合っている。2人のメンバーは翌年の復讐後、kがいじめに飽きたことから価値観の通ずる仲間として和解している。一番加害性の低かったメンバーは、幼稚園からの馴染みということもあり、ゆるく付き合いが続いていた。互いに信頼関係があったことから関係性はいじめ前から変わらないままである。リーダーメンバーとは、中学入学後に同じクラスとなり、そこでは悪知恵が働く者同士として共に学生生活を過ごした。kがグループを抜けなかった理由としては、グループに入る・抜けるという価値観がなかったことと、「いじめられていることに気づかなかった」という証言が挙げられる。

長くなったが、以上がいじめの事実・その過程と理由・第三者視点の問い・その問いに対する答えである。最後に簡単にk(私自身)による主観的ないじめへのイメージを記していく。

いじめメンバーは頭が良く、運動神経も優れていることから、当初私は彼女たちをとても尊敬していた。成績も性格も標準的な自分は、優秀な彼女たちと日々を過ごすことを通し、自分と違う視点を得て、優秀な人々の当たり前を知り、刺激的な時間を愛していた。また、マイペースな私は常に彼女たちと行動をしていたわけではないので、自分がいないところでどのような会話がおこなわれていたのかは知らなかった。そのため、突如いじめのような仲間はずれが始まったことに対し「自分の知らない文脈がある」と特に疑問を抱くこともなかったし、「優秀な人が私をバカにするような言動をするのは当たり前だ」とさえ思っていた。許せないのはむしろ教師のほうで、名前を書き忘れた私のテストを黒板に張り出したときには「それ、私に直接言えばよくない?」と疑問を抱いた。頻繁に彼が使用していた「きみの友だちは優秀なのに…」という枕言葉に対しては「私の友人が優秀なことと、私が非優秀なことに関連性はあるのか?」と思い、不信感を持った。つまり、私の中でいじめメンバーの言動は整合性があり、担任の言動は整合性がなかった。という理由から合理性を重視していたように思う。したがって、「人には優劣がある」「優秀でない自分が、優秀な人々から圧力を受けるのは当たり前である」というような価値観を持っていたことが分かる。第三者視点の問いより、加害者側とその後も円滑に関係性を築いていたことから、私は彼女たちの刺激的な性格と優秀性を愛しており、その手段がたとえ自分を客観的に傷つけたものだとしても、その傷よりも彼女らへの愛と自分自身の成長欲求が上回っていたと推測できる。

どうだろうか。私。
この件に関しては、これまで何度も考察を重ねてきた部分である。
しかし、自分自身で「第三者視点の問い」を生成したことにより、過去の動かぬ歴史に新たな側面と解釈が生まれている。
今回、過去の歴史を振り返る上で、面白い考察を生んだ問いは以下のような視点から為るものであった。

①4人の加害メンバーを、個人として分解する
②担任というこれまで触れなかったキャラクターの深堀り
③加害者・被害者のその後
④被害者の別の視点

これらを普遍的に考えると
①集団の主語を小さくして考える
②重要性の低そうなキャラクターが及ぼした影響に着目する
③主要メンバーのその前後の人生に着目する
④主要メンバーの言動を別の視点で切り取る

なるほど、私は「人」に興味があるので、東南アジア史のレポートでも上記を意識して人にフォーカスした問いをつくればいいわけだ。

本題に戻ろう

さて、この議論は「夢」の話から始まった。
学びながら考えることが苦手な私は、東南アジア史レポートのテーマを決められず、困っているという話だった。
私は眠りながら現実の続きをすることができる。つまり、レポートのことを考えながら眠りにつくと、夢の中でレポートのテーマを決める続きができるのだ。今回夢の中で生み出した問いは、「80年前の日本は南方軍事侵攻をし、東南アジアに住む人々を文明を持たない野蛮な人々であるとして見下す態度を示した。その表現は当時発行されていた人気漫画において、東南アジア人を「肌が黒く、アホ面を強調し、動物のように描く」というように容姿を見下した描き方に表れている。しかし、低身長で胴長短足の日本人に他人の容姿をバカにできるほどの自尊心があるのか?

とりあえず私の2023年の初夢が持ってきてくれたこのテーマを採用してみた。私の夢仕事は今年も続く。

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