Flat Journal 「心理学に踊らされる大人 欲求はどこにいった?」

今年もまた、
きみどり色のシーズンがやってきた。

ロールカーテンを下ろしていても分かる。
今日は天気がいい。窓の外で昨日と大体同じ鳥が鳴いている。
同じというのは種類ではなく個体として。

リビングのちゃぶ台の前に座ってnoteを開いている。

久々にnoteを開いた理由。
それは単純接触の効果によるものかもしれない。

「コロナ」と調べれば
「コロナ」に関するnoteがヒットする。

「認知バイアス」でググれば
「認知バイアスに関するnoteにたどり着く。

よく定着していると思う。
広告過多のブログ記事なんかよりよっぽど読みやすかったりする。
それで、久々に「書いてみるか」と思った。
正確には「打ち込んでみる」だが。

過去を振り返っている時間は
本当になかったか?

ところで、いつからnoteの更新を辞めていたのだろう。
まず、noteは基本的に過去を記す場所である。

振り返る暇もなかった、というのが第一印象である。
人の記憶は美化されるので、なんとなく頑張ってきたような気がする。
しかし、本当にそうだろうか。

振り返るための時間はいくらでもあった。

そう。
終わったあとだから言える話だ。

しかし、終わった後に考えなければ人生は変わらない。

さあ、人生を変える必要は本当にあるのか?

また、新しい疑問が発生した。

心理学の海にイカリを下ろしたが最後。

様々な批判的かつ機械的なモノの見方が、
現状維持バイアスを強化する。

なんのために学んでいる?

欲求はどこにいったのだろう?

それが、次のテーマだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?