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大好きな東北!~①東北との出会い~



始めての東北

2011年3月11日、震災のその瞬間私は愛知県(名古屋と言った方が分かりいいでしょう)に居ました。テレビに映る光景はおおよそ現実とは思えない物ばかりで、それを見てただただ心を痛めるばかりでした。「頑張ろう東北!」というありきたりなキャッチフレーズに満足して、復興支援を人任せ、国任せにしていました。

そんな私が東北に行ってみようと本気で考えたのは、2017年になってからでした。2017年3月11日がちょうど土日と被るということと、七回忌(間違ってたらすみません)ということもあって決心しました。不謹慎ですが、1度自分の目で見ておきたいという気持ちがありました。

3月10日(金)に仕事を早く終わらせて、車で名古屋を出発しました。福島に着いたのはまだ夜中でした。高速道路を降りて国道6号線を北上します。そこで最初の衝撃が……。国道に合流する交差点に警備員さんが立っていたのです。そしてその横には「この先は放射能が高いので、オートバイは通行出来ません。」というような看板がありました。それから国道を暫く走ると、右手の遠くの方に光る高い建物らしきものが見えました。恐らくは福島原発だと思われます。そう思うと不気味に感じたのを覚えてます。

更に北上していくうちに段々と明るくなってきて、回りの景色もハッキリ見えるようになってきました。まだ震災の傷跡が残る建物も国道沿いにはありました。そんな景色を見ながら、あの日のことを思い出していました。そしてあの日たくさんの方の命を奪った海。その海が見たくて、海岸に向かいました。段々海に近づくにつれて、更地が多くなっていきました。そうです、津波の被害が甚大だった場所です。そんな中に、一軒だけ家が建っていました。はじめは「奇跡的に一軒だけ無事だったんだな~」と思っていたのですが、違いました。その家は何と津波の被害にあって家を流されたにも関わらず、また同じ場所に新しい家を建てたんです(あくまでも私の想像です。)‼たくましいなと思いました。その日はとても天気がよく、海もあの日の事か全く想像できないくらい穏やかな表情でした。


南相馬の奇跡の一本松

少し時間を潰してから、南相馬市主催の合同慰霊祭に勝手に参列しました。市民ホールで厳かに執り行われました。目的を果たし、家路につくことにしました。まだ時間も早かったので、もう1度海の方に行ってみようと思い、車を走らせました。すると、「南相馬の一本松」というような看板がありました。それにしたがって一本松を目指しました。一本松と言えば、岩手県陸前高田の一本松が有名ですが、ここにも立派な一本松がありました!

もう今は無見る影もありませんが、ここは妨潮林だったと思われます。回りの松全てが津波で流された中で、1本だけ奇跡的に残ったのです。凛としてそこにたたずむ松の姿は神々しく感じました。日本には昔から全ての物に神が宿るという考えがありますが、まさにあの一本松は神が宿っているようでした。その神様に手を当て、パワーを分けて頂き、帰ることにしました。

帰り道はもう一度来た道を通りたいと思いました。今度は国道6号線を南下です。時間は夕暮れ時。景色を見ながら走っていると、あることに気付いたのです。途中から国道6号線の脇道が全てバリケードがしてあるのです。そして、国道沿いの建物も中に入れないようにしてあるのです。いわゆる、帰宅困難地域です。バリケードさえなければ、普通の町並みに見えます。信号もついてて、夕方になり街灯も明るくなってました。その光景はあまりにも衝撃的でした。そこだけ本当に時間が留まっているのです。とても不気味で、悲しくなりました。まだまだ全然復興できてないじゃないか‼何にも知らなかった自分が情けなくなりました。そして、また来年も東北に来ようと決めました‼

これが東北が好きになったきっかけです。また時間があるときに②を書いてみようと思います。お付き合いくださいありがとうございました‼


帰りに見て感動したフラガール(常磐ハワイアンセンターにて)













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