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加藤清正がつくった謎構造の水路に迫る! 熊本県菊陽町 鼻ぐり井出

第1回に引き続き農業用水路の紹介です。

農業用の水路は用水路と排水路に分けられて、用水路は田畑に必要な水を運ぶための水路であり、排水路は使い終わった水を運ぶ水路です。
前回も今回も用水路の紹介なのですが、基本的な流れは河川に設置した頭首工(堰)やダム、井戸から水路を通じて田畑に運ばれます。

農業土木の仕事をしていると、なぜこんなところに、そこまで苦労して水を運ぼうとしたんだ・・・もう米じゃなくて、水の不要な作物(畑)でよかったじゃないか・・・と思ってしまうことが多々あります。笑
これには理由があり、明治以前は石高、要するにお米がお金のようなものだったため無理をしてでも開田し、水路もセットで築造されていきました。

さて、本題に入ります。
今回紹介するのは、その名も「はなぐり井手」。
読者の皆様はこれまでの人生で一度でも「はなぐり」と発声したことありますか?僕はありませんでした笑
はなぐりとは、牛の鼻に通す輪っかのことで、水路の構造がこれに似ていることからこの名称が付けられました。

?

意味不明ですよね笑
水路に隣接する公園に、このはなぐり部分と同じ大きさの模型が置かれていました。


い


お分かりいただけたでしょうか。
これはもうはなぐりですよね。もうはなぐりにしか見えなくなってきます。
そしてこれが築造当初は80箇所以上もあったのですが、その後に知識のない役人に崩され現存するのは24箇所のみです。役人おい!
これが水路にあると、何がいいかというと、穴を水が通るときに巻き上がるような水流が発生して、水路の底に土砂が溜まりにくくなるんですね。

あ

よくこんな構造を思いつきましたよね。
もう土木の神様もびっくりです。
土木の神様?
そう、これを作ったのは土木の神様と崇められる加藤清正公なのです!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%B8%85%E6%AD%A3
賤ヶ岳の7本槍や朝鮮での虎狩りなど、武闘派なイメージが強いのですが、
築城の名手でもあり、その土木事業における手腕は農業土木分野でも発揮されました。当時はお米がお金の時代、加藤清正が肥後の藩主になったことで石高も上がり、ゆかりのある建築物が熊本には未だに多く残っています。

はなぐり井手は1級河川白川にかかる馬場楠(ばばくす)堰から取水され、全長12.5kmある水路の上流部(熊本県菊陽町はなぐり井手公園からみることができます。)に現存しています。現在も馬場楠堰土地改良区により管理され、現役ばりばりの水路です。

ぜひ、熊本に来られて近くを通られた際は寄って見て下さい。
ちゃんちゃん。

じゃあ無いんですねー!!!笑
今回はうちの知将でもある増田が、武将加藤清正が思いついたとされるはなぐり構造の説について、反旗を翻しております笑 謀反じゃ謀反じゃ。

皆さんは、どういう経緯でこの「鼻ぐり構造」がつくられたと思いますか。もし自分がこの現場の工事監督だったらどうしただろう、と想像してみるのも楽しいかもしれません。
動画も最後までお楽しみ下さいね!


追伸:われらが農業農村工学会に寄稿されたレポートで、深い考察がなされていたのを発見しました。さらに真理を追究したい方は、是非こちらもご一読ください。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsidre1965/74/11/74_11_1005/_pdf
水土文化への誘い(その9) ― 水土文化の現場1:資 産の保全 ・活用― Introduction to "SUIDO" Culture (Culture of Land and Water) (9) ―Field of "SUIDO" culture 1: Conservation and application of the heritage― JSIDRE Nov. 2006

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