皆さんなぜ歌い手になったの?

歌い手をするにあたって、なぜ歌い手になったのかという理由はひとえに承認欲求と呼ばれるものに集約されるのだろうけれど、その承認欲求の形も実は千差万別であると言わざるを得ないと私は勝手に思っている。では承認欲求が他のもので満たされてときに歌い手は歌わなくなるのかというのが大きな疑問でもある。例えば人気がある大手歌い手と言われる方々は歌い手という形で承認欲求を満たしているわけだが(語弊があるかもしれないがある種の承認欲求は満たされているはずである)彼らが歌い手的スターへの道を歩んでいくにあたって承認欲求は人並み以上に満たされているはずなのに歌うことをやめないのは何故だろうか。思うに、承認欲求は一欠片の形としてのみ満たされても満足はできないのだと私は仮定している。例えば人間関係や社会的承認、地位や名声、お金など全てがその人なりのバランスで満たされなければ承認欲求は解決しないのだ。話は戻るが、つまり人にはその人なりの承認欲求が存在しているということになる。つまり私は考えたのだが、私は歌を歌って世間に承認欲求を求め、何かしらの"反応"が得られればその形に拘る必要もない人間なのだ。言い換えれば、歌に拘る必要はないのかもしれない人間であると自分自身で断定できるのだ。しかし、なぜ私は歌に固執しているのだろうか。それはひとえに歌が他人の言葉、他人の旋律を借りて自分の気持ちを置き換えることのできる簡単なツールであるからだろう。自我というものが薄い人間であると自認している私からしてみればこれ以上に簡単な気持ちの言語化ツールはないのだ。そして、歌を歌うにあたって声は人に固有のものであり、声は個人情報に他ならない。この個人情報を晒しているという感覚が私のなにかしらの気持ちを擽るのだと思う。さて話は本題に戻る。皆さんはなぜ歌い手になったのだろうかと私は気になってやまない。私は先述した通り、言葉を得て発していたいという承認欲求によるものなのだが、みなさんはどうなんだろうか。人気になりたいからだろうか。歌が好きだからという理由はこの場合弾かれる。なぜなら好きなら歌っていればいいだけで人に聞かせる必要などないのだから。私は皆さんの話が聞きたい。どうして歌い手になって、どうして自分は歌を歌って、どうしてそれを公表するのか。これを読んだ人にはぜひ述べてほしいのだ。あなたはどうして歌い手になったのですか?