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嶋左近清興

よく、嶋左近の名を耳にするのは関ヶ原の合戦であろう。
古今無双の強さに誰もがたじろいだが……
結果、徳川軍の前には勝てず戦場で散っていった……

そもそも、島左近では無く嶋左近で嶋左近は父の代からの襲名である。
元々は大和興福寺の筒井家に仕えた一族であったが世間で耳にするようなカッコイイエピソードではなく、実は水泥棒をして筒井家を追放されている。

そんな嶋左近清興とは何者なのか追っていこう。

                    嶋左近清興

嶋氏とは大和国(奈良県)の生駒郡平群町の在地領主で平群嶋城の城主であった。
筒井家に仕え、筒井の右近左近が一角と讃えられた頃の左近は父、嶋豊前守左近であり、関ヶ原で勇猛果敢に戦った現代人の誰もが知る島左近ではない。

1583年に伊賀の筒井陣所が奇襲されており、
その負傷者の中に初めて出て来るのが島左近で
若い頃は然程強くも無い…
同時期に筒井家の重臣達数名を羽柴秀吉が大名化させたが、まだ、重臣ですら無かった無名の時代があった……
いつから関ヶ原で武名が届くほど、強くなっていったのだろうか?
若い頃に武田信玄に仕えたという突拍子もない話があるが、彼が若い頃は当時の畿内は三好長慶の重臣、松永久秀と戦っていたそんな状況の中、畿内をわざわざ抜け出して武者修行…そんな事出来るわけがないのである。

               嶋左近の強さは畿内の戦で

嶋左近の若い頃はいずれ、水の権利を互いの領地の農民を中心に争う事になる菅原道真の子孫であり柳生家と親族の中坊秀祐が松永久秀に取りいったり、筒井家に入ったりを繰り返して無理繰り大和国、河内国の境界で領土の奪い合いをしていた時代である。
主君、筒井順慶の父、筒井順昭は僅か30代で病死(毒殺の可能性あり)筒井順慶の嫡男も早逝(早死に)するような時代で誰が味方で誰が敵なのか?敵の松永久秀は将軍 足利義輝を手玉にとっていた時代でもあるのでこういった戦国アウトローの策略、戦略渦巻く中で古今無双の島左近が作られていったのでは無いだろうか…


                  嶋左近の剣の腕前

嶋左近の奧さんは北庵法印という医師であるが別名、中坊治部卿法印という。
中坊家は柳生家と血筋が繋がっており技の伝授もあったのではなかろうか、中坊家とは後に水の権利問題で争い筒井家から伊賀から追放されるきっかけを産んでしまうが嶋左近も培われた場所が伊賀で戦乱の1番、激しい時代に生まれたので強くなっていったのであろう。


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                       アクセス
三重県伊賀市上野丸之内28 ラフォーレビル2階
伊賀の鎧屋NOTORIOUS
℡090-7824-9617
担当 中村宙史
ご来店前に電話を下さい^ ^

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