復権省


ものの本で読んだのですが、ジャンヌ・ダルクが処刑された数年後に、彼女の復権裁判が行われたらしいですね。その裁判では、ジャンヌ・ダルクに関する様々な証言がされたそうです。「ジャンヌ・ダルクは本当に優しい子だった」「ジャンヌ・ダルクは祖国のことを心の底から想っていた」などの肯定的な発言がたくさんあったのだとか。

一見すると良い話に思えるかもしれませんが、そんな裁判をするぐらいなら、最初から処刑しないでもらいたかったですよね。もし私がジャンヌ・ダルクだったら、確実に化けて出ています。都合よく裁判という場なので「出るところに出てやるわよ!」という決め台詞もバシッと決まります。なんだか『ステキな金縛り』みたいですね。

それにしても、死後に高まる名声というのは、なんとも取扱いに困りますよね。「ウチのところではそんなもん扱ってないから全く困らないけどなぁ」と豪語する卸問屋のオヤジもいるかもしれません。そんなオヤジに言いたいのは「名声というのは実体がないので取り扱うことはできない」ということです。もちろん、オヤジが聞く耳を持たないのは承知しております。オヤジというのはおしなべてそういうものです。

ジャンヌ・ダルクの人生は19年間という非常に短いものでしたが、その密度はとてつもなく濃いものでした。なので私は、各種の原液を目にする度に、ジャンヌ・ダルクの姿を想像します。濃い原液が容器の中でたゆたう様子を眺めていると、ジャンヌ・ダルクをより一層身近に感じるような気がします。近い将来、物質転送装置が発明されたあかつきには、ジャンヌ・ダルクのお墓になんらかの原液の容器を転送したいと思います。想いよ届け。常に着払い。


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