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ドラえもんの耳は飾り


ドラえもんの耳が、ネズミ型ロボットによって齧られたというエピソードはあまりにも有名です。しかしながら、医者ロボットは、耳を齧られたドラえもんを治療する際に「耳は単なる飾りである」と言っています。これは一体どういうことでしょうか。ジオングの姿を見た際に「この機体には足がない」と指摘したシャアに対して「あんなのは飾りです」と述べた整備士を連想させます。ことほどさように、世の中には飾りが溢れているのです。飾りじゃないのは涙ぐらいですわ。

医者ロボットが言うように、ドラえもんの耳は本当に飾りなのでしょうか。それならばなぜ、ドラえもんは耳を齧られた際に、あんなに大騒ぎしたのでしょう。もしかしたら、ドラえもんは、リアクション芸人に憧れていたのかもしれません。常日頃から、大げさなリアクションを取ることを画策していたドラえもんにとって、耳を齧られるという出来事は「一世一代のリアクション・チャンス」だったのです。この機会を最大限に活かすべく、ドラえもんは盛大なリアクションを試みたのだと思います。結果は散々でしたが、本人(猫)は満足げな表情を浮かべていたので良しとしましょう。

ドラえもんが失った耳は集音機であり、この装置を使用することによって、様々な音声を聴き分けていたのです。集音機は極めて高性能なので、固定電話に電話した際に、母親の声と娘の声を聴き間違えるというミスを犯すこともありません。ただ、そのミスが起こらないことによって、母親はがっかりしていることでしょう。「声が若かったので、娘さんかと思いました」というセリフには、俗世にまみれて乾ききった母親の心身を潤す効果があります。結果として、ドラえもんの集音機の性能は、若作りの母親の密かな楽しみを奪っているのです。ミスを未然に防ぐのは良いことですが、それが必ずしも福音をもたらすわけではないのです。

現在のドラえもんには集音機がないため、人間の耳と同程度の聴力しかないようです(伝聞)。まぁ人間の世界で暮らすのであれば、人間と同程度の聴力があれば十分でしょう。「聴力が異常に高い」ということは「不要な情報をキャッチする可能性が高い」ということでもあります。もしも集音機があったら、のび太の部屋でウトウトしているときに、階下で洗い物をしている野比玉子(のび太の母親)が呟く「あの青タヌキはいつまでこの家にいるつもりなのかしら」という厭味たらしいセリフもしっかりと聴こえてしまうのです。耳が痛いセリフですね。耳がないのに耳が痛むとはこれ如何に。居候はつらいよ。

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