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浮足立つドラえもん


ドラえもんの足は、反重力装置の働きによって、地面から3ミリほど浮いています。文字通り「浮足立っている」のです。浮足立つという言葉には、「期待で浮かれた気持ちになる」と「不安や恐れで落ち着きを失う」という意味があります。前者はポジティブですが、後者はネガティブです。ドラえもんは、その足の裏にアンビバレントな感情を宿しながら歩いているのです。まぁ歩いているというよりは「宙を漕いでいる」と表記した方が適切かもしれませんけどね。

ドラえもんの足は元々、歩くときに音が出ませんでした。その原理はよくわかりませんが、サプレッサー(銃の音を抑えるための消音装置)のようなものだと思います。現在はその機能が壊れているため、空気圧によって音が出るようになったのです。ちなみに、ドラミは宙に浮いていません。ドラミはこのことをどう思っているのでしょうか。「お兄ちゃんは存在自体が浮いているからなぁ・・・」としみじみとしているのかもしれません。妹よ。

そこらへんの子供に「足が浮いたらなにをしたい?」と訊いたら、大半の子供は「水の上を歩きたい」と答えるでしょう(たぶん)。キリストの水上歩行の例を挙げるまでもなく、子供にとって「水の上を歩くこと」は大いなる夢なのです(おそらく)。私も子供の頃は、川や湖を目にする度に「水の上を歩けたらなぁ」と想像していました。水面下に生息する魚の立場になって考えてみると、また違った風景が見えてきます。アホ面さげて泳いでいたら、頭上にいきなり足の裏が出現するのです。パニックになって、尾ヒレを必要以上にバタバタさせてしまうこと請け合いです。ハラホロヒレハレ。

たった一度で良いので、水の上を歩くことによって、魚たちから放たれる驚愕の視線を感じてみたいものです。足の裏を見慣れていない魚たちに対して「これが足の裏だ!文句あっか!嗅いでみるか!」と凄むことを想像すると喜びに打ち震えます。ただ、世の中には「足の裏を見慣れている魚」もいるので注意しなければなりません。例えば、ドクターフィッシュなどがそうです。ドクターフィッシュは、水中に人間が足を入れると、その表面の古い角質を食べるために近づいてきます。足を怖がって避けるどころか、足を目がけて突進してくるのです。まさに魚雷ですね。

やはり、何かを誇らしげに示す際には「その相手が興味を示すかどうか」を考慮に入れなければなりません。誰彼構わずに誇示しても、芳しい成果を得ることは困難です。相手の腹を見透かしてみれば、どんな反応が返ってくるかは予想がつきます。手のひらを太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる血潮が確認できるのと同じです。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんな生きているのです。 友だちではないけれど。


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