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かまめしどんは最後の良心


かまめしどんは、どんぶりまんトリオの最後の良心です。他の2丼と同様に「かまかまどんどんかまどんどん」と歌いながら登場します。「かまかま」ときたら「かまかみりあーん♪」と歌いたくなる人もいるでしょう(カルチャー・クラブの『カーマは気まぐれ』)。かまめしどんも本当は「かまかみりあーん♪」と歌いたかったはずです。しかしながら、アンパンマンの世界観にそぐわないことや著作権で各団体ともめることなどを危惧して、歌いたい衝動をぐっと堪えたのです。まことに堅固な決心ですね。金属製の本領発揮です。

それにしても、なぜどんぶりまんトリオは歌を歌いながら登場するのでしょうか。人間の立場に置き換えてみると、その異様さが際立ちます。落語家が高座に上がる際に、出囃子を自分で歌いながら登場する光景を思い浮かべて下さい。「機器の故障」「経費節減」「のど自慢」などの言葉が頭をよぎるでしょう。「地口落ち(駄洒落で話をしめくくる)」ならぬ「地声落ち」ですね。お後がよろしいようですが、お喉の調子はよろしくないようで。

話を釜に戻します。かまめしどんの一人称は「オラ」であり、語尾には「ダベ」を付けて話します。東北弁の空条承太郎を想像してもらえばわかりやすいでしょう。てんどんまんやカツドンマンのように、ばいきんまんに丼の中身を食べられることはほとんどありません。その理由については、あらためて語るまでもないでしょう。それを言ったらまずいことになる。あっ言っちゃった(川淵キャプテンの口調で)。

この三千世界には「身も蓋もない」という言葉がありますが、これはかまめしどんには当てはまりません。丼の中身を誰かに食べられることもないですし、蓋もしっかりと付いています。「身も蓋もある」のがかまめしどんのアイデンティティになっているのです。これほど強固でシンプルなものはありません。サカナクションのように「アイデンティティがない!」と叫ぶ必要性もありません。なんにもない なんにもない まったく なんにもない。

「丼の中身を誰にも食べられない」というと寂しげな雰囲気が漂いますが、確かなメリットもあります。前述したように、てんどんまんやカツドンマンの丼の中身は美味なので、すぐに食べられてしまいます。かまめしどんは、丼がカラになって困っている彼らに、自身の丼の中身を分け与えてあげるのです。こんなに慈悲深い丼がいるでしょうか。まるで、卒業式の日に学ランのボタンを後輩に全部取られて「いやぁボタンがなくなっちゃったよ~」と照れ笑いをする同級生に向かって「じゃあオラのボタンをあげるべ」と無粋な提案をするようなものです。こんなに滑稽な丼がいるでしょうか。滑稽丼を開発する際には、具材として烏骨鶏を提案します。天丼コケッコー。



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