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僕ときのこ帝国-①『ロンググッドバイ』という作品について

YouTubeで、佐藤千亜紀の「面」という曲が期間限定という形で公開されていたのを聴き、これは、ずっときのこ帝国に対して抱いてきたふわっとした考えを文章にして形にする良い機会かなと感じたので書いてみる。

きのこ帝国は、僕が大学生の頃に特によく聴いていたバンドで、当時シューゲイズというジャンルにハマっていた自分にとって、自分の音楽遍歴を語る上でも重要な位置を占める存在である。現在は解散してしまっており、デモを含めなければ、全部で6枚のフルアルバムと1枚のEPを出している(はず)だが、所謂「シューゲイズ」の大枠で語ることができるのはファーストアルバム『渦になる』、セカンドアルバム『eureka』、そして唯一のEPである『ロンググッドバイ』の3枚だろう。(個人的には特に『ロンググッドバイ』は轟音のギターの中に、佐藤千亜紀の寂しくも澄んだ歌声が綺麗に響く最高の作品だと思う。)

この後の『フェイクワールドワンダーランド』からは「POP色が強くなった」とか「売れ線に走った」と揶揄されることが多い。他でもない自分も、前作が好みのど真ん中であったこともあり、徐々に聴かなくなっていったが、インタビューなんかを読むと、実際に製作する側の心持ちも『eureka』~『ロンググッドバイ』~『フェイクワールドワンダーランド』と変遷する中で大きく変化していたようだ。

例えば、『ロンググッドバイ』発売時のナタリーのインタビューで佐藤は、当時の自分たちの周囲の人間関係・環境が次々と変化することに対して、「悲観的な感情ばかりじゃなくて、むしろ「日常が普通に流れていくような」」と表現し、それに続けて「“喪失と日常”って不思議な関係性だなと思って、それを日記のような感覚でひとつ年内に残しておくことが大事な気がしたんです。だからバンドの次のためのステップっていうふうには考えず、今しか残せないものだから録っておこうかというモチベーションで挑んだというか。」と語っている。轟音の中で閉鎖的・攻撃的な曲を歌った『eureka』から、これまでの自分たちの色をある程度は踏襲しつつも、かなり開放的でポップな曲構成や歌詞を採用した『フェイクワールドワンダーランド』。
その2つの作品の間で、特徴のひとつである轟音のギターサウンドと、重く張り詰めた歌詞〜メロディラインから脱却する形になった曲構成が、絶妙の塩梅で組み合わさって、結果的に「ジャパンシューゲイズ」というジャンルの音楽史における最高峰の作品を生み出したのではないかと思う。
「喪失と日常」という言葉がインタビューで用いられたとおり、曲調は寂しさや儚さを感じさせ、このバンドがMy Bloody Valentine的シューゲイズに最も接近した(にもかかわらず、数多ある「マイブラフォロワー」で終わらない独自性をもった)作品であると個人的には考えているが、この部分も「シューゲファン」の間でこの作品の評価を高めている要因なのではないだろうか。

様々な意味で過渡期にあったバンドだからこそ生み出し得た方向性が、そのまま「シューゲイズ」というジャンルや、佐藤のボーカルの特徴に完全にハマった奇跡的な作品である今作は、例えば蝉が長く暗い土中から出てきて、殻を破り羽化するまでのほんの数時間に見せる透き通った美しい姿を連想させ、過去でも未来でもなく、今ここ、このバンドでしか生み出し得ない刹那的な美しさを備えていた。そして、だからこそリスナーに呪いをかけることになったのである(僕ときのこ帝国-②に続く)。

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