2024.2.17 他人の心配をしている場合ではない

5時台に一度目が覚める。起きてからもじんわり汗が出てくる。ホルモンのせいだ。
仕事の合間に着付の道具の整理、片付け。講習会の復習をするつもりが後回しになる。
母の筋トレをしてから帰宅。母の筋トレを始めてから、ジムに行くのがおっくうになっている。帰る時間が従来より1時間くらい遅れるため、省略されるのが自分のジムとなり、なんだかなあという気持ちになる。母の筋トレをやめれば自分の首を絞めることになるし、自分の運動を怠ればいいことはない。母の筋トレを外注できれば一番いいのだが、母のこれまでを考えると可能性はゼロ。絶対行かない。来てもらったとしても続かないだろう。
そんなことを考えながら帰ると気持ちが晴れない。
帰宅して、鯖缶のトマト煮込みの残りでペンネを食べる。
ジムから帰ってきた夫がお茶したいというのでファミレスへ。
『82年生まれ、キム・ジヨン』の続きを訳す。姉のウニョンが高3。IMF危機が直撃している。ウニョンの母に対する反論が芯をくっていて、ぐうの音も出ない。なんで私はウニョンのことを忘れていたのだろう。
近くのテーブルに夫婦と小学生の息子2人の4人家族。母親の息子たちへの言葉掛けが聞いていてつらい。それを諌めない、時々同調する父親の軽さも気になる。特に下の子の発語の悪さを咎める母親、それをからかう上の子、それを咎めない両親、という構図が気になる。褒め方も自尊心が育たなそうな褒め方で、聞いていてつらくなる。彼らはどういう大人に育っていくんだろうか。あの母親はどう育てられたのだろう。
雑誌『文學界』の読書術の新しい連載を読むが、半分くらいしか理解できない。わからないところを数回読み返してみるが、いまいちわからないまま読み進める。この先ついていけるだろうか。

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