2024.2.1 死後も続く関係

目覚ましより早く目が覚めたのに、なかなか布団から出られない。腰痛は変わらず。
朝食は餅を焼いて昨日の汁物に入れた。餅入りの汁物は本当においしい。餅よ。
暇なうちに昨日の作業の続き。
妄想なのか虚勢なのか事実なのかわからない話から受け取るのは、心の満たされなさ、寂しさ、むなしさ。
夕方、母の筋トレ短縮バージョンをやって、早めに出発。半月ほど前の母の変調について母のかかりつけ医に相談するため、母には伝えずに、本来の予約日より前に予約を入れてもらった。
18時予約で、早めに受付を済ませたが、まだ15時の予約の患者を診ていて、だいぶ先の呼び出しになるという。予約を取った時の話とはちょっと違う気がしたが、仕方ないのでファミレスで時間を潰す。
2時間ほど経過、持参した『母の最終講義』も読み終わり、2回目の「あとがき」を読み終えた頃にようやく呼び出しの電話が来る。
先月の母の変調、変調が起きた時の悪条件の重なり、その後の様子などを医師に伝える。「プレッシャーがかかったんだね」「怖かっただろうね」「お母さんがよろしければ、次回、検査のお話しをしてみましょう」とのこと。何かしらの病症名がつくとしても、本人にははっきり伝えないでほしい、と伝える。
兄にLINEで共有して帰宅。明日以降のスープを作り、甘酒を仕込み、白米を炊く。
急いで風呂に入りなんとか日付が変わる前に就寝。

最近の母の筋トレへの取り組みを見ていると、父のことを思わずにはいられない。
今までも母に何度となく運動することを促してきてもまったく手応えがなかったが、先月の変調に強い危機感を抱いた私は、生前の父の姿の記憶を呼び起こして母を鼓舞し、母も父の姿の記憶に励まされて、受動的とはいえ行動を起こした。
父の姿はもうないのに、父に影響を受けている。死後もなお死者との対話や関係は続くというが、まさにそれを体感している。日常的に父の話をしてはゲラゲラ、ニヤニヤ、クスクスと笑い、それもまた姿なき父に和んでいるわけだ。無意識に写真に語りかけることもあれば、運転中などふと呼びかけることもある。死後もたしかに「在る」のだ。幸せな人だと思うし、私たちも幸せに恵まれているのだと思う。

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