2024.1.20 料理と韓国語に救われる

朝一で夫のカット。いつもよりスムーズにできた。シャンプーとセットまでやってちょうど1時間。仕上がりも自然で良い感じ。車で駅まで送る。
午後、母が店の外に出た短い時間に、古いお客さんから「値段変わった?」と聞かれる。前回の値段がこれまでと違ったから、とのこと。カルテを見ると、直近2回がこれまでより高くもらっていた。母の筆跡。なんらかの理由で他の方より低い値段設定していたのに、過去の値段の見ずに他の人と同じ値段をもらっていたようだ。母に伝えると、不可解そうな表情。そりゃそうだろうな。
後日、忘れ物を届けがてら、もらいすぎの分を返しに行くことにする。
午後から母の表情が冴えない。不機嫌にも思える。夕方になって私が「おなかすいたね」と言うと、「そうなの。私お昼食べたのかなと思っていた」と言う。最近、お昼食べたっけということも増えた。
お茶をいれて、残っていた羊羹を食べる。その頃にはいつもの雰囲気。母のようすに一喜一憂しないようになりたい。
夫が教えてくれた最相葉月の新刊『母の最終講義』を注文。親との最期の時間(長さの差はあるだろうけど)を最終講義と呼ぶのは自然な感覚なんだろうな。私も父との最期の時間を「パパの最終講義だね」とよく言っていた。全身全霊、命がけの最終講義。父との時間はそんな風にとらえられたのに、母のことはそんな風に思えないのが辛い。ただ、父との場合は、それまで10年くらい冷戦状態が続いていて、心理的な距離ができていたことが強く影響しているのだろう。
夕飯は家で作って食べたかったのに、夫からカレーを食べに行きたいとの訴え。地元の好きなカレー屋に行く。冬野菜のカレーを選んだら、イメージしていたのとは全然違ったけど、むしろ今の私の体調と気分にあったものが出てきた。
帰宅後、もともと作るつもりだった豚肉と大豆のビール煮などを作る。無心で手を動かすことで、ほぼ何も考えない時間ができる。しかも作ったものが跡形もなくなるのがいい。
少しだけ『82年生まれ、キム・ジヨン』を読み進める。3章目に入り、キム・ジヨンが中学生になった。何も考えず、機械的に訳して、淡々と意味を追っていく作業。いい気分転換になる。

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