新装版「好き? 好き? 大好き?」が出るらしい。それと違和感の話


※このnoteに書かれている文言はあくまで筆者の一つの考えである事をご了承頂きたい。





好き? 好き? 大好き? の新装版の書影が現代美少女コンテンツライズされてるのに結構な違和感を抱いてる。どう言う違和感なのかイマイチ言語化できなくて、一種の懐古なのかとも思ったけどそれもしっくり来ない。
「R.D.レインと反精神医学への道」を読んでて、その意味が朧げながら輪郭を帯びてきた気がするので、書いてみる。

同著で引用されてるレインの発言に「身体化された医学」と言うのがある。まぁ凄く噛み砕いて言うならそれは自己が分裂した人(何らかの精神病患者)と比べて正常な人の定義、みたいな物なのだが、私はそれに似たような物を新装版に感じたのかもしれない。

元々のデザインがめちゃくちゃ優れてるとは思わんし、多くの人の手に渡るのもいい事だと思うけど、今回の表紙は何と言うかあまりにも一般的、かつオタク向けに作られている気がするのだろう。正確に言えば、この本題を引用した「新世紀エヴァンゲリオン」や同名の成人向けゲーム(好き好き大好き!)最近だと「needy girl overdose」などの作品に見られる表層的な“受け取り”をする読み手向けに対する、カジュアルではない娯楽さという物を感じてるのだろうか。勿論、私だって最初はそう言った作品の元ネタを知りたいからと言う理由で今や絶版である元のみすゞ書房版を買った。だからと言って私は別だと言うつもりでもないし、入り口はなんだっていいとは思う。知識、言葉は自由かつ開かれるべきであるから。とは言え、今回の表紙はレインの打ち出した、私の感じているレインの思想と乖離してるのでは無いかと言うのが原因ではないのだろうか。「結ぼれ」に載っている翻訳者による後書きでは「レインの言葉が誰かの救いであり続けるのは良くない」と書かれているのだけど、これはそう思わせてしまうような(誰かの救いであり続けてるしまうような)危うさ、みたいなのがある気がするのだ。

何度も言うけど、レインの言葉や文がこのように今でも遺る事はとても良い事だが、レインの言葉の真意、あるいは解釈、考え、個人のレインに対する思想、そう言った物が遺らないのでは無いのだろうかと言う疑問があるのかもしれない。じゃあどうすればいいのか、どうすれば良かったのか。忘れられてれば良かったのかとなるけど、結局これに対しては一つの選別のように行き着いてしまう。詩を知る、と言うのは十人十色で答えはない。だけど、読む、消費だけする、と言うのは知ると言う事ではない気がする。今回の表紙は、それらの助長で無いだろうか? 今やレインの思想を知る手段は文字でしかない。限られた本と論文にしかない。だからこそ、読み手は一歩引くべきでは無いのだろうか? 引き裂かれた自己と言う誰にでもあり得る精神病の罠。それらの背景を知らずに、或いは感じないように梱包するのは凄く危うさを感じる。サブカルさ、メンヘラさと言う近年の日本的な、オタク的なカテゴライズみたいに当て嵌めてしまうと言う危うさ。これを見ているアナタも、私も真に引き裂かれた自己と言う視点を知らない。知らないからこそ、安易にしてはいけない。理解はせずとも、認めなければならない。ただそこにある文字の羅列が意味不明で、病的だったとしても踏み入れてしまったら切り捨てる事はできない。

今日に至るまで誰も精神病と言う物を解明できてない。先人たちが戦った形跡の表層、しかも一部分だけが読まれそれで終わってしまうと言う事があるかもしれない悲しさと言うのが、結局私が抱いた感情の正体なのだろう。
これらを解消する為には、好き? 好き? 大好き? を読んだ人が或いは読む人が少しでもレインの活動や記録を改めて記録すると言うのが必要なのではないか。元ネタしてある、変な詩がある。それで止まるのではなく、一人の医者が居たと言う記録を。誰かの解説や引用ではなく、調べた人の言葉で一つでも残れば、これは危うさを持った表紙ではなく立派な一つの入り口となるだろう。

消費だけではない、一つの感想としての言葉が新たに生まれれば、レインの残した文がまた知らない誰かに伝わって、彼の記録がまた残り考えてくれるかもしれない。精神病と言う人間の命題への認識に繋がるかもしれない。

精神病、と言うのは一口に言って色々ある。多くの人が今抱いてるうつ病やADHDだって悪い意味、一種の偏見としての定着がしてしまってるが、誰にでもあると言う事は忘れてはならないのた。知らない人が苦労している、それが表層だけの浅はかな認知ではなく、認める事ができれば、識る事ができれば、好き? 好き? 大好き? は一つの詩としてだけでなく、何かの取っ掛かりになるだろう。


一通り書いてみて

結局これは私がレインに深入りし過ぎてるのと、もう何年もうつ病と言うのを味わっているのが要因の要因として強いのかもしれない。何らかの共感性、強要。共有できない理解と感情。言ってしまえばこれは厄介オタクのただの戯言な訳で。

でも、やはり、レインのこれ以外の言葉を知って欲しいと言う気持ちは強い。何故かは分からない。ただ惹かれてしまったから、それだけなのだろう。

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